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結婚の小説を書いてみます、ポリアモリーにもふれて

結婚生活を書いたお話を短期連載することにしました。

結婚といっても彼らの場合は、法律上の婚姻ではありません。
「女性」と「女性」と「男性」の結婚です。

「女性」の中には、女性として生まれ自身を女性と認識し男性を性愛の対象にする人がいて、女性として生まれ自身を女性と認識し女性を性愛の対象とする人、女性として生まれ自身を男性と認識する人も、女性として生まれ自身を女性とも男性とも認識しない人もいます。
「男性」も然りです。
パターンを上げればもっとたくさんありますね。
身体、精神、歴史、社会……、男性性や女性性を語るには本来は多様な視点があります。

でも私たちは、何というか……便宜上「男」か「女」かどちらかになっておかないといけません。
たいていは生まれた時の性徴に従います。

それに従っていないと、まず一時の気の迷い言われ、固執が続くと病気と言われます。(病気!?ほんとに!?)
男でないなら女だといわれ、女でないなら男だといわれ、真ん中だといえばネタにされますね。
それしかないと、思ってるから。

どうしてそんな窮屈な世界を生きなければいけないのでしょう。

男らしい男性は素敵です。
妊娠出産できるの女性の、その女性性はおかしがたいものです。
でもメイクして可愛いオシャレする男性も素敵です。
妊娠出産をしない/できない女性も、やっぱり女性です。

           ◇ 

『5月の窓11月の椅子』は、ポリアモリーの人たちを書いたお話です。
ポリアモリーについてすごく簡単に説明すると、複数の恋人を互いに合意の上で持つことです。
登場人物はバイセクシュアルやアセクシュアル(ロマンティックアセクシャル)、デミセクシャルです。
字面だけ見ると呪文のようですが、当たり前にいる人たちの性と性別にフォーカスした言い方です。
「彼ら」(とここではいいますね。theyです)はそれぞれがそれぞれのことを、それぞれの形で愛し愛されます。
ややこしいようですが、つまりは“その人が好き”という関係性です。


この話に至るまで、いくつも下絵を書いてきましたが途中で挫折しました。
ようやく書き始められたのは単調極まりない話です。盛り上がりもなければオチもない、変化もない事件もないただの日常が綴られています。
ゆるふわでファンタジック。
それでいいやと思いました。
日常や社会生活の“儀式”によって固定される性差別を書かなくても、「彼ら」を書くことはできるのです。
常に戦いを挑んでるわけではないし、辛さがデフォルトでもない、後ろ暗さも葛藤もない、そういう「彼ら」。
お話の中ではセクマイ(セクシュアルマイノリティ)もポリアモリーもアセクシュアルもLGBTQもFtM、ゲイもレズも言葉としては使いません。それは彼らの一部(とても大切な一部です)を指す言葉だけど、彼らそのものではないから。

彼らは彼らの人生を生きていて、セクマイとしてだけ生きてるわけではありません。

「彼ら」がいる、それだけです。

私は“いる人”の話を書く、それだけ。


ひとつ言いたいことがあるとすれば、現実の中で「いる」こと、そうで「ある」ことさえ否定されることがあります。
そんな時、
「あなたはその人ではないのにどうして“そんなこと(もの)はない”と言えるの?」
と聞きたいです。
別の話にすり替えてくる人も同じです。


だから私は“いる人”の話を書きます。

         ◇

ただ、単調極まりない話なので、読んで下さる方がなんの話しか分かりやすいように(お話の中だけで表現できる文章力がないので💧)、登場人物の紹介にセクマイ方面からの説明ものせました。

※登場人物紹介※

         ◇

きっと何も書いてはいないのです。

でも、私にとっては雨上がりの虹のようなお話であってほしくて。






読んでくれてありがとうございます。