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璦憑姫と渦蛇辜 4章航路②

 海賊達の狂騒から離れワダツミは、暗い海の果てにのたうつ龍のような稲妻を見ていた。
 「ワダツミ、こんなところにおったのか!ほら、見て見て!」
 足場の悪い岩の上でタマヨリは真新しい着物の裾をひるがえしまわってみせた。
 「紅い着物じゃぞ。見ろ、つやつやの生地!こんなきれいなものがあるんじゃなぁ」
 と長すぎる袖を目の前でひらひらさせた。
 「あっちに食い物もあるぞ、来いよ」
 「俺は手を貸すとは云ったが海賊になどなった覚えはない」
 依然そっぽ向いたままだ。
 「はずかしがりめ……」
 ワダツミがぎろりと睨んだところに、ひょいとウズがあらわれ、
 「これ、お頭が返していいってさ」
 と持ってきたほこを岩場にねかせた。
 「あんた人間じゃねえだろう?」
 ウズがくりくりした目を窺うようにワダツミに向けた。
 「俺を畏れる虫どもはみんなそう云う」
 「ん!?なんだと」
 喧嘩腰になるウズを無視して鉾を手に取ると、
 「戻ったな『波濤はとう』。しばし休め」とひとりごちるとおもむろに鉾を自らの背中に突き立てた。
 「あっ?」「なにしてるの!?」と慌てる二人の目の前で鉾はワダツミの躰の中に、ゆっくりと呑込まれていった。タマヨリが背後にまわり確かめたが傷も血の一滴もなければ着物の破れさえなかった。身の丈より長いものが躰の中に入り影も形もなくなったのである。ウズは瞬きも口を閉じるのも忘れている。
「これ、あれか?おれの子安貝こやすがいを入れたのといっしょか?ようやく分かったぞ!鉾は躰の中に仕舞ってあるんじゃろ?」
「『波濤』は俺の一部だ。ゆえに海の力を宿す。あの貝殻片はお前のものだがお前の一部ではない」
タマヨリはわかったようなわからぬような顔をした。
「まあいいや」
しばらく考える素振りをしていたが、
「おれは喰ってくる。なくなる前に来いよワダツミ」
と云うと、紅い着物の後ろ姿は宴の明かりの中に吸い込まれていった。
「馬子にも衣裳とはよくいうなあ」
とつぶやいてウズがワダツミをちらりとみると、彼の視線も紅い背を追っていた。

 ほうぼうに灯された松明にあぶられて黒い岩肌が鈍く照っている。ハトとカイの隣で獣肉や魚肉のおこぼれを両手にタマヨリが頬張っていると、夷去火いさりびがやってきた。
「喰い意地のはったわっぱだな、おまえ、名前なんだっけ?」
「タマヨリだ」
「ふーん。お頭に頼まれちまったからよ、タマ、お前妙なことするなよ」
「は?しねえけど。お前怪我はいいのか?」
「怪我だあ?わっぱに心配されるかよ」
枇杷びわの葉をな、火で焙って貼るといいぞ。この島には生えてなさそうじゃが。おれの生まれた島にはいっぱいあってな、調子が悪いとみんなそうした」
「そうかぁ」
夷去火は気のない返事をするがタマヨリは続けた。
「枇杷と云えばおれのお婆さが大好物でな、歯の欠けた口でどうしてというほどあっというまに平らげるんじゃ、いっぺんに五つも六つもじゃぞ」
 こうやってな、とくしゃくしゃしたお婆さの顔を真似、齧って種を飛ばす仕草をした。それにハトが大笑いし、こうか?と真似する。
 タマヨリは「いや、こうだ」と立ち上がって大げさに再演してみせる。
「こうか?」
「こうじゃ、種はぺぺっと」
「こうか?」
「歯は見せちゃなんね」
 二人のやりとりにカイと夷去火が笑いだすと、人が集まりやんややんやの騒ぎになった。
 それを礁玉しょうぎょくが少し離れたところから見ていたが、近くの部下に
「娘を呼んで来い」
と命じた。
 タマヨリは宴真っ最中の海賊たちに囲まれ礁玉の前に進み出た。礁玉がゆっくり瞬きし目元に濃い影がさして消えるまでタマヨリはじっとしていた。
「その着物、気に入ったか?」
「ああ、とっても!」
「与えられたものに喜んで、愛想を振りまいて、見苦しいなあ……」
「え?」
 礁玉が話しだすと海賊たちの喧騒がさーっと引いていった。
「タマヨリ、ここはお前が育った島でもそこらの魚村でもない」
「うん」
「その着物、返してもらおうか」
「えー」
「覚えておけ。気まぐれで与えられたものは気まぐれで取り上げられる」
 タマヨリは目を伏せぎゅっと裾をねじりあげた。
「ここは海賊の世界だ。欲しいものは何だ。与えられるな、奪え」
「……そん、そんな……」
 顔を上げればあるだろう礁玉の怒った顔が怖くて、口ごもってうつむくばかりだ。
「欲しいものを手に入れるか否かはあんたの働きしだいだよ」
 目の前に礁玉の顔が降りてきて一瞬視線を上げた。怒ってはいなかった。ただ目をのぞきこんで戻っていった。
 タマヨリは後ずさるようにしてその場を離れた。
 情けないようなただ悲しいような、いろいろなものがまざって打ちひしがれていた。
 くりやのすみに置いておいた元の着物に着替えようとしていると夷去火が入ってきた。
 「さっきのババアの真似、面白かったぞ」
 「ああ」
 と先ほどの元気はどこへやら気のない返事をした。
 「婆さは枇杷が好きだ……死ぬ前にもういっぺん食わせてやりたかった」
 タマヨリの目から涙が落ちた。
 「兄ィさにも今日食べたみたいなうまい肉を食べさせてやりたかった。お頭は怖えし、わけが分からねえし、おれには誰もいねえ」
 「だいじょうぶだ、独りなのは誰も変わらねえ」
 来い、と云って夷去火は中心にむけ高くなっていく島のごつごつした岩場を登り始めた。かろうじて階段状になった足場をつたって後を追っていると、
 「似てねえよ」
 と前から声がした。
 「何が?」
 「お前とお頭。ハトはしきりに云うけどな。俺はお頭を十の頃から知ってるが、めそめそぐずぐず……そんなんじゃなかったな」
 「そ、そりゃ海賊の頭とおれとじゃ違うに決まってる」
 「礁玉だって初めから海賊だったわけでも、頭だったわけでもねえ」
 「……わかるよ、それは」
 「賽果座サイハザ來倉ククラの戦争で、俺も礁玉も親兄弟みんな亡くした。でもあいつは泣くより先にやることがあったからな」
 「なんだよやることって」
 「俺を守ること」
 「ははは、そんなでけぇなりしてか?」
 「笑うなよ。俺だってはじめからでかいわけじゃねえ」
 顔をしかめて夷去火が振り返えり、タマヨリを見遣って目を細めると
 「こんな小さかったか?俺らも」と小首を傾げた。
 「じゃあいつでかくなったんだ?」
 「さあ、……逃げて盗んで戦って、それを繰り返して、來倉の捕虜だったろうを逃がしたんだ。でもあいつはほんと弱くて、礁玉がいくら強くても二人同時には守れない。そっからだな、俺はでかくなったし、浪は賢くなった」
 「へえ」
 前を行く男の水牛のような背をしげしげと見た。
 タマヨリが連れてこられたのは、戸板のついた岩穴の前だった。
 「これ持ってちょっとまってな」
 夷去火はタマヨリに明かりをもたせ、中をがさがさとひっかきまわして一枚の布を出してきた。
 「これで服を作ったらいい」
 投げてよこしたのは生成りの麻だったが、織目は細かく傷みもほつれもなかった。
 「あ、ありがとな」
 「それ、お前にはデカすぎるだろう」
 岩場を登るのに、裾や袖をたくし上げたせいで珍妙に着くずれたタマヨリを見て彼は笑った。
 
 タマヨリがくりゃに戻って隅でせっせと針を動かす間、海賊たちは車座になりある話を進めていた。
「最初は小さな歪みなのだ」
 礁玉しょうぎょくのすぐわきに座るのは古株のコトウと云う白髪の男だ。その二人の左右に猪去火とろうが、そして五十人ほどの男と六人の女が岩場に留まった鳥のように礁玉を囲んでいた。ワダツミは独り岩の向こうから動こうとしないが、彼の耳はそこからでも十分に聞こえるのだ。
 「これが、その歪みの元凶となる」
 礁玉が無造作に岩の上に置いた宝珠は、場違いな触れがたい美しさだった。数人の海賊がよく見ようとのぞき込んだ。
 「肚竭穢土ハラツェドの大王の後ろ盾を意味する宝だ。値がつかぬゆえ、売っぱらっても得にはならん。こんなもの、一介の海賊が持っていても意味はない」
 場がざわついた。來倉ククラの勅使船強奪は、以前より入念に計画していたのだ。礁玉に代わって言葉をついだのは浪だった。
 「だが、西海の一国がこれを手にすれば、肚竭穢土を恐れる小国はすぐに頭を垂れるであろう。例えば……來倉を取り囲む五つの小国。あそこは來倉とは小競り合いを続けておるが、流石に肚竭穢土に睨まれるのはおそろしかろう」
 「じゃあ、北西の五小国をだまくらかそうって話かい?」
 海賊のひとりの言葉に浪は首を振った。
 「だから、海賊が宝珠を持っていても意味はないのだよ」
 「じゃあ」
 「賽果座サイハザと手を結ぶ」
 そこで初めてコトウが口を開いた。潮風を吸い続けた者の枯れた声だった。
 「使いは送ってあるが、明朝、ワシと浪は賽果座へ発つ」
 「おそらく、來倉は宝珠を取り返そうと、我らを探し出し軍を送るだろう」
 と浪が続けた。
 「そこで戦だ!」
 夷去火の声に血の気の多いものは、おおーと応えたが浪が遮った。
 「戦にはちがいないが、それは來倉と賽果座の戦になる。海賊相手と甘く見積もったところを、賽果座の軍に叩かせる。その間、五小国に根回し、海と陸両方から來倉を攻めるのだ」
 「長く続いた賽果座と來倉の争いもこれで終わる」
 礁玉がうっとりと云った。
 「そして、両国と五小国をまとめ上げひとつの国をつくる。我らの国じゃ」
 「なんだと!?」「我らの国?」
 海賊たちがどよめいた。
 「賽果座の配下などに入って何となる。肚竭穢土の後ろ盾を得んとした來倉に出し抜かれた無能の国だ。あたしの優秀な部下二人をていしてやるのだ。国のひとつやふたつ獲ったところで釣りがくるわ」
 礁玉はそう云い放ち立ち上がった。
 「賽果座、來倉を手に入れた後は、三年のうちに肚竭穢土を落とす」
さきほどより大きなどよめきが上がった。
 「西海の水潮みずしおの全てを我らが治め、大きな国を築く。それがあたしの航路だ」
 礁玉は全ての海賊を見渡し宣言した。
 室に押し込まれ暗い空ばかりみていた元船漕ぎ人足たちは、突如上がった歓声にいよいよ自分らがとって喰われるような心地になった。
 「ここから全て始まる。心してかかれ」
 厨で縫物にいそしんでいたタマヨリのもとにも、その地響きのような唸りは届いた。
 「なんじゃ。海賊というのはほんとうに気の荒い連中だな」
 そこから、タマヨリとワダツミのもう一つの旅が始まる。



4章完

つづく

読んでくれてありがとうございます。