【余白のある生活を】蒔田望/練馬教会牧師

まきたのぞむ。ライフワークバランスを大切に。牧師。練馬バプテスト教会。3人娘の子育て/…

【余白のある生活を】蒔田望/練馬教会牧師

まきたのぞむ。ライフワークバランスを大切に。牧師。練馬バプテスト教会。3人娘の子育て/育児も全力で。

最近の記事

娘の成長を感じた一言

【娘の一言】 自分のことより、人のことが大切でしょ。 パパの仕事は後にして。 昨晩のこと。 保育園と学童にお迎えに行って、 夕食を作って、食べから、 締め切りが過ぎてる仕事を必死にしてました。 そしたら、仕事場に長女のギフトが来て言ったのが冒頭の言葉。 どうやら、三女のサンがパパと寝たいと泣いてるから 早く帰ってきてと呼びにきたと言うんです。 そんなこと言われちゃったら、 すぐにベッドに向かっちゃいますよ。 パパと寝たいという三女もかわいいけど、 長女もおもし

    • なんで褒められないんだろ

      いや、褒められる時だってあるんですよ。 念のため、そこは先に書いておきます。 昨日、小学校の出来事を話してくれて、 一緒に長女のギフトと喜びを分かち合えました。 本当、嬉しそうだったし、私も聞いてて嬉しかった。 そういう時もあるんだけど、 今朝の一コマ。 なぜか5:30に三女が起こしてきて そしたら、すぐ3人とも起きてきて 早い1日がスタートしました。 ・・・ そこから2時間くらいはすっ飛ばして、 (お蕎麦を食べて、保育園の支度も終えて、 保育園に連れてって) 保育園から

      • ランドセル選びと親のエゴ

        次女のセンターは来年小学校に入学。 ということで、 昨日、仕事を終わらせてから 車で30分、多分まああま有名なランドセルを作ってる工房併設のお店に行ってきました。 朝は激混みだったみたいですけど、閉店1時間前に到着したら、いい感じに空いていて ラッキー!!! って感じで、早速入店。 長女のランドセルもここで買ったので、 もうお店の選択で迷うことなく、直行です。 2年目にもなると、 ちょっと周りの家族模様を見るゆとりも出てきます。 ほんとにいいの?6年間使うんだよ。こ

        • 長女が開いた家族会議

          昨日の記事(怒ってしまった後、長女と反省会)  を公開することにたくさんの戸惑いと葛藤がありました。 「怒り」って思わぬ方向にいくし 時に制御不能になるし 何より、人を傷つけてしまうことがある。 自分の「怒り」について記録することに 色々な怖さがありました。 公開してからも もう消した方がいいかなと 何回も頭の中を巡ったけど 他のSNS上で友人たちがたくさんコメントくれて 背中を押してもらいました。 どうもありがとうございました。 ある友人が 「悲しみを分かち合える家

          怒ってしまった後、長女と反省会

          余白のある生活 というものを心がけてこの1ヶ月、過ごしているんですけど うまくいかない事もあります。 昨日の夜の失敗も記録しておきます。 それぞれの1日の生活を終えて、 学童のお迎え、保育園のお迎えを済ませ、 帰り道にちょっと公園で遊んで と帰宅するまでは、いい感じでした。 この時は、まだ平和だった、、、 夜ご飯の準備をし始めたあたりから雲行きが怪しくなってきました。 昨日のメニューは唐揚げでした。 揚げ物、暑いですよね。 長女がまず一言 「(今日は)暑いんだから、冷

          怒ってしまった後、長女と反省会

          亡き母と食べたパフェ

          今日はキリストが十字架につけられたことを記念する金曜日。 クリスチャンにとってはちょっと特別な日です。 今度の日曜日にバプテスマを受ける青年がいるんですけど、 彼に向けたメッセージを書きながら、 母親のことを思い出して、 ちょっと涙ぐみそうになりました。 私の母親は倹約家でした。 そう言えば聞こえはいいかもしれないですけど、 質素に暮らすことをよしとしていました。 外食は特別な時だけだったし、 ファミレスみたいなところにいっても デザートを食べた記憶はないかもしれないです

          「足を洗う」という体験の深みへ

          前日から、そわそわしてました。 サプライズをする前と同じ心境ですね。 どんなサプライズだったか、 背景を簡単に説明させてください。 受難週というキリスト教にとって大切な時期今週、キリスト教の暦では 受難週と言って、 キリストが十字架にかかられたことを記念する大切な1週間です。 クリスマスに誕生をお祝いするのに似てて、 1年に1回、十字架にかかったことを記念する日があります。 今年は明日、19日の金曜日。 最後の晩餐って有名ですけど、 十字架にかかる前日の木曜日の夜な

          「足を洗う」という体験の深みへ