「足を洗う」という体験の深みへ

前日から、そわそわしてました。
サプライズをする前と同じ心境ですね。

どんなサプライズだったか、
背景を簡単に説明させてください。

受難週というキリスト教にとって大切な時期

今週、キリスト教の暦では
受難週と言って、
キリストが十字架にかかられたことを記念する大切な1週間です。

クリスマスに誕生をお祝いするのに似てて、
1年に1回、十字架にかかったことを記念する日があります。

今年は明日、19日の金曜日。

最後の晩餐って有名ですけど、
十字架にかかる前日の木曜日の夜なんですね。

最後の晩餐の最初のシーンが
イエスの教えを象徴する場面なんですけど

イエスが弟子の足を洗った

という記録が残っています。

洗足と言ったりするんですけど、
ここにイエスの愛の本質が込められている
とも言われるくらい大事な場面です。


想像してみてください。

先生が膝をかがめている
自分の足を洗うために
普通は家の奴隷がやる仕事
1日、サンダルで土の上を歩いた足は汚れてる
普通の神経してたら、申し訳なくて出せない

そんな感じの場面なんです。

関心があったら

ヨハネの福音書13章を読んでみてください。

サプライズでなるか悩んだ末に

ということで、サプライズの話に戻ります。

昨日、水曜日、洗足の木曜日からは1日早かったのですが、
教会の集会で

洗足式をやろう!!

と決めた私。

でも、どんな反応があるかなー
とやっぱりドキドキしてました。

いつもと違うことを急にやると言われたら

えーーって思う
事前に伝えてほしい
変なことしないでいつも通りでいい
やりたくない
と、まぁ色々な反応が予想されます。

前日の段階で、参加される方にお知らせしておけば
否定的な反応は減らせたと思うのですが、

事前に伝えちゃったら

お〜〜〜〜!!!!!!

といういい意味でのサプライズ感もなくなっちゃう

色々と悩んだ結果、
結局、サプライズにしちゃおうと思って、連絡は一切しませんでした。

洗足式、やってみました

そして、昨日、
聖書を読んで、
簡単に意味を確認してから、

今日は、皆さんに体験してもらおうと思います

と切り出したわけです。

タイトルにも書いたように、
参加者の顔を見ると、
どうなるんだろうと不安そうな方がちらほら。

別室に用意したスペースに移動して、
やり方を説明しました。

色々なやり方がありますけど、
今回は
足を洗ってもらったら、次に足を洗わせてもらう
という感じで皆さんが順番に入れ替わっていく感じにしました。

イエスに足を洗ってもらった弟子が
次に、ひざまずいて足を洗わせてもらう

恵みを受けて、恵みを分かち合う

これが恵みの本質かなと思うんです。

最初の人は私が洗わせてもらいましたが、
私も参加者の列の中に加わり、1人の参加者として
足を洗っていただき、
洗わせていただきました。

この体験は言葉にすると

一気に陳腐になっちゃいそうです。

足を洗ってもらうのも出しにくいし、
片足で十分だと思うし、
同時に、
人の手の温もりを感じるわけです。

洗足というのは、
イエスの十字架と本質的には同じ
だと言われていて、

足を見せることにも抵抗がある私たちは
やっぱり、自分の内側にある汚れを
神の前に出すことには

もおおおおのすごく抵抗がある

はずなんですよね。

でも、
足を出していいよと言ってくれる人がいて、

その人が信頼できるから、

決して、
足、臭いね〜
とかは絶対言われない

そういう安心できる人間関係があるから、
これは成立するんですよね

「最初はえ〜って思ったけど、すっごくよかった」

という感想がありましたけど、
わかる気がします。

洗ってもらう体験
洗わせてもらう体験

どっちもプライスレス

そんな時間を過ごすことができた受難週の祈祷会でした。

座禅体験なんてお寺さんでありますけど、

洗足体験は新鮮でいいかもしれないなー
なんて、思ったのでした。

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