亡き母と食べたパフェ

今日はキリストが十字架につけられたことを記念する金曜日。
クリスチャンにとってはちょっと特別な日です。

今度の日曜日にバプテスマを受ける青年がいるんですけど、
彼に向けたメッセージを書きながら、
母親のことを思い出して、
ちょっと涙ぐみそうになりました。

私の母親は倹約家でした。
そう言えば聞こえはいいかもしれないですけど、
質素に暮らすことをよしとしていました。
外食は特別な時だけだったし、
ファミレスみたいなところにいっても
デザートを食べた記憶はないかもしれないです。

そんな母親が自分から誘って、ごちそうしてくれた思い出を
その青年のメッセージを書いていたら、
急にリアルに思い出されました。

母はクリスチャンだったのですが
一般的な日本の家で育ちましたから、
母は家族から祝福されてクリスチャンになったわけではありません。
でも、そんな反対を押し切ってでも
クリスチャンになりたい
という強い意志の人と言えるかもしれません。

多分、息子がクリスチャンになることを
誰よりも望み、祈ってくれていたでしょう。

当時、私は中学1年生。
思春期真っ盛り。
小学校から始めた野球に打ち込み、
日曜日も部活を優先していました。

たまたま部活の休みと重なって、
軽井沢で行われた教会のキャンプに参加していました。
そこで語られた聖書のメッセージに心を打たれて、
私はクリスチャンになろうと決心したんです。

私はそれなりに「いい人」だし、
周りの人と比べたら、ちゃんと生きてる。

そんなふうに思っていた私でしたが、
神の前に罪人である
とその話を聞いて思ったというか、
心にぐさっときたんです。

私は罪人で、私の罪のためにイエス様が十字架で死んでくれた
ということを信じる決心をしました。

そのことを聞いた母親が
「近くのカフェでお祝いしよう」
と声をかけてくれたんです。

私は予想外の展開に、母の言われるがままについていきました。
「パフェでもアイスでも、好きなもの食べていいわよ」
母の口からこんなセリフを聞く日が来るとは夢にも思いませんでした。
先にも後にも、
パフェをごちそうしてくれたのはこの1回だと思うのです。

なんで、こんなに母が喜んでいるのか、
当時の私には、理解できなかったんです。
でも、自分も結婚し、子どもを授かり、
親としての気持ちをちょっとずつわかるようになってきて

あのときの母の気持ち こんなだったのかな

とようやく想像できるようになりました。

今度、バプテスマを受ける青年は思春期まっただ中
って感じですけど、
家族に祈られ、大切に育てられ、
この日を迎えます。

あの当時の母親に私からおめでとうは伝えられないけど、
今度の日曜日、
ご両親には心を込めて
「おめでとうございます」
と伝えたいと思います。

あー、あのパフェ、
もっと味わって食べればよかったな。
なんか、どうにもこうにも、照れくさくて、
あんまり覚えてないんだよな。

タイムマシンがあったら、あの瞬間に戻ってみたいな。

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