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『ウナギが故郷に帰るとき』

やふぅー٩( 'ω' )و
今回は、積読消化の1冊を紹介します。

パトリック・スヴェンソン著『ウナギが故郷に帰るとき』  大沢章子訳 (新潮社、2023)

今日こそ読もうと思って、この本を開いた日。
数ページ読んだところで、なんとも表現し難い違和感を感じた。
うぇ?表紙を改めてよく見た。
英題が”THE GOSPEL OF EELS"。

どういう内容で、このタイトルになる?
どうしたら、この邦題になる?(理解の助長か?)

タイトルに惹かれたこともあって、あっという間に読んでしまった。
そして、私はウナギになりたいと思った。

「○○みたいになりたい」と語る人は、私の周りに常にいたし、いる。
特に理想を持つことなく生きてきた私は、ついに理想を見つけたかもしれない。

この本はウナギの生態、歴史、それの持つ謎が書かれている。
タイトルは、著者が主観的なイメージを引き合いに出す際に聖書を引用しているからだろう。
客観的な視点としては、海洋生物学、科学とその歴史の視点、哲学的方面からも書かれている。
著者が持つウナギの主観的イメージと、客観的なイメージを行き来する。
著者の主観的考察と、客観的な事実を行き来しながら最後まで読むと、タイトルの意味が理解出来るようになるのではないだろうか。

本を読み終わる頃は、この本が自分の中でベストセラーへと変わった。
要は最高に面白いってことだ。



ざっくり内容

この本は、18章で構成されている。
各章は短く、まとめられている。
ウナギの生態の謎に触れながら、著者と父の関係にも触れられているので、
エッセイの要素もある。

1 ウナギ
2 川べりで
3 アリストテレスと泥から生まれるウナギ
4 ウナギの目をのぞきこむ
5 ジークムント・フロイトとトリエステのウナギ
6 密猟
7 ウナギの繁殖地を発見したデンマーク人
8 流されずに泳ぐ
9 ウナギを釣る人
10だまし討ち
11気味悪いウナギ
12動物を殺す
13海の中で
14罠にかかったウナギ
15故郷への長い旅路
16愚か者になる
17絶滅の危機に瀕するウナギ
18サルガッソー海で


感想

ウナギって魚なんだ…!!(衝撃)
ウツボに近いようなイメージで、魚っぽいイメージなんかまるでなかったから。
いや、まず近くでしっかり見たことがない。
たまにテレビで見る、無脊椎動物さながらの動きをするイメージしかない。
生息地が川か海なのかも知らないし、考えたことがなかった。

料理された状態。
うなぎ白焼きかタレに浸かった茶色い、あのイメージだけだ。

本書の著者パトリック・スヴェンソンが言うに、ウナギはその誕生の発見が遅かった故にウナギは泥から生まれるとか、自然発生するんじゃないかという説が1777年まで続いていたという。

アリストテレスは形而上学的に物事を考えた。
プラトンに学んだ彼は、ウナギを解剖し研究していた。
(これも驚きである)

アリストテレスの洞察の根本とは?

何かが存在するということを証明する。その時初めて、人はそれがどういうものであるかという問いに目を向けることができる。そして、それがどういうものであるかに関するあらゆる事実を集積できたとき、はじめて、それがなぜそのようなものであるかという形而上学的疑問に取り組むことが可能となる。

パトリック・スヴェンソン著『ウナギが故郷に帰るとき』 大沢章子訳(新潮社、2023)、36頁。

アリストテレスは、自説を曲げることがなかった。
見たことがないものは、証明出来ない。
だから、彼はウナギが泥から自然発生したり、無から生まれると提唱したというのだ。

存在の証明ができなければ、その存在がどういうものであるかという次の疑問に進めない。
存在の証明は重要なことではあるが、問題提起されたことを永遠に結論づけ出来ない、一種の枷ともなり得るのではないかと思った。
証拠、事実やデータのない証明はあり得ないが、謎に包まれたものは謎のままなんだろう。
ウナギの誕生は、この1つの例だ。

面白いことに著者は、形而上学的に考える科学と相反するような考え方も書いている。

愚か者だけが奇跡を信じることができる。恐ろしいことだけれど、心惹かれる言葉だ。

同上、293頁。

これを読んだ時に思わず笑ってしまった。
証明したいけれど、証明出来ないものがある。
または、客観的な証明やその説明が困難である場合だ。
学問の歴史を見てみると、過去多く論争されてきているが、その理由の多くは十分な証明か否か(でもあるだろう)。

ウナギの驚くべき寿命!!
病気などにかからなければ、ウナギの寿命は50年ほどあるものもあるという。
捕獲されたものは、80年生きたものもあると。
さらに、ウナギはその生涯の中で何度か変態する。
これも衝撃的だ。

アメリカではウナギが嫌われているという。
それは、メイフラワー号の歴史に由来するという。
しかし一方、ヨーロッパではわりと歓迎されているようだ。

ヨーロッパ各地でのウナギの食べ方は非常に興味深い。
そして、私も食べてみたい(ウナギケーキとか、何だよそれ!?)

ウナギの生態について様々な分野の学者が調査し、研究し、論争を重ねてきた。
しかし、結論づけに関しては論拠が不十分であり、ウナギの無脊椎動物のようなあの動きさながら、学者たちの決定打からすり抜ける。
だからウナギは良い。

話は変わり、この本のエッセイ要素について。
著者と、その父がウナギ釣りに出かけていた思い出話が、本書のエッセイっぽい箇所である。
釣りの体験により、生き物の生死の話にも触れられることとなる。
本書ではタコの足の話が少し触れられているが、タコの足には神経細胞がある。
タコは足を切り離されても、その神経細胞により足単体でもエサを取り、頭部(口)のあるはずの箇所へ運ぼうとするというのだ。
この動きを見て、生きているのか死んでいるのかを問われたら分からないと思ってしまった。
定義づけして説明するのではなく、自身の感覚で答える場合。

人の場合、日本では医師のみが人の死を決定することが出来る。
しかし、生死の境目がよく分からない場合がある。
ここで詳しくは書かないけれど。
特に現代社会においては、様々な死がある。

ウナギの生態、その歴史と一生を読みながら私、人々は今どこに向かっているのかも考えさせられた。
生きているのか、死んでいるのかも含めて。


話は大きく変わって。
存在の証明→どういうものかという問い→なぜそのようなものか。

この形而上学的疑問へのアプローチを読んで、私は以前から疑問であったことを思い出して再び取り憑かれている。

それは「幽霊」と「鬼」だ。
存在の証明は出来ないが、言葉としての証明なら可能ではないか。

「幽霊部員」や「幽霊」という言葉を多くの人が知っている。
「鬼のような形相」や「鬼○○」(非常に○○である)「鬼電する」など。
※「鬼電」は今初めて文字にしたし、今は聞かない。
この表記で合っているのか分からないし、私が言われたことがあるという経験談。

言葉がある。
言葉のみで証明を試みるといきなり行き詰まるのが「どういうものか」だ。
(いきなり投了したい!!)
本やアニメで見たことがあるだけ。
机上の空論に等しいか、それ以下である。

なぜそのようなものか。
これに関しては、まったく辿り着けない。
調べてもいない(すんまそい)

漫画『鬼滅の刃』大フィーバーを私が起こしていた時に、
英語圏の友達(またはヨーロッパ)に「鬼」が説明出来なかった。
錆兎(すでに選抜戦で死んでいる子ども)のことについてもだ。

うなぎの生態も謎だが、この世は謎だらけだ。
そういうわけで図書館に住みたい。
ウナギが食べたい。
ウナギ食べに行こうって誘われてたのを思い出したので、次回はウナギを食べて楽しもうと思う。


【無理やり結論】
この本、めちゃくちゃ面白いって伝わってください。



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