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猗窩座について
![](https://assets.st-note.com/img/1648474587936-g8siay6IT5.jpg?width=800)
『鬼滅の刃』は全巻読みました。
映画も平日の人のいなさそうな時間を見計らって観に行ったなぁ。
そんな私の1番好きなキャラは猗窩座です。
今日、友達の相談話を聞いていて上記画像の話を例に出され、
猗窩座のこのシーンを思い出した。
逃げたっていいじゃないかって言われる時代。
卑怯者と言われ、腹が立つこともある。
立場が異なれば、何か重大な決心を自分の中でして相手に伝えても
その返答を聞くことが怖くて”言い逃げ”のようになれば、
受け手は上記シーン炭治郎が猗窩座に言い放ったような気持ちになると。
そうか、そうなのか。
そうだよなってなった。
誰かが「あのさ」って言いかけて「やっぱ何でもない」って言われるようなことが何度もあったら、きっと嫌だろう。
相手にとって、こちらの返答を聞くのが怖くても、
返答は時間や空間を隔てて欲しいということもある。
だけど、言われる側は怒る場合もあると。
そうだよなって思いながら、どちらもつらいなって話を聞きながら考えた。
否定も肯定も出来ない。
それは自分が、どちらかに立つ可能性が否定できないから。
嫌だな。
猗窩座について、もう少し書きたい。
私は猗窩座が許して欲しいと思っていたところや、
おかえりなさいと言われることに本当に心動かされた。
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![](https://assets.st-note.com/img/1648475384896-QbG5Ro8MMg.png?width=800)
誰かに迎えてもらえる幸せ、
自分の不甲斐なさ。
色んなことに心を動かされた。
私も、こんな風に最後は誰かに許してもらえるのだろうか?
卑怯者と言われたくない。
それでも卑怯な自分がいるんだ。
本人に言えないけれども。
最後に出迎えてくれる人が、自分の理想と異なっても
おかえりなさいって迎えてくれる人がいて欲しい。
自分も同じように相手を迎えたい。
そういう気持ちになった日でした。
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