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『コンビニ人間』

やふぅー٩( 'ω' )و
今回は、読んだ本の感想を書きます。


村田沙耶香著 『コンビニ人間』 (文藝春秋 、2018)


読みたいと思っていたまま、時間が過ぎた本。


ざっくりあらすじ

ストーリーと書くほどの、話の本筋のようなものは特別ない。

コンビニで、アルバイトをする主人公。
家族に「治って欲しい」とか、「普通になって」と言われる、この主人公の日々と、彼女を囲む環境が描かれる。
主人公が、小さい頃を想起するところから、主人公が「普通じゃない」と、周りに思われていたことが分かる。

主人公は、30代半ばの女性。
恋愛経験なし、結婚歴なし。

主人公は「コンビニ店員」であり続ける。
その主人公が、コンビニ店員でいるのを辞めたら、どうなるのか。

感想

さて、主人公。
小さい頃のエピソードには、内心どきりとする。
多数派と同じようには、考えないようだ。
考えられないようだ、と表記すべきか。

「普通」でいるために、コンビニの求める「店員」となる。

なぜか。
誰かの話し方や、外見を真似をすれば、「普通」でいるようにと、責められることもないし、不思議がられることもない。
主人公は、自分の意志や思考を消して、「普通の誰か」を真似ることで、マジョリティーの中に上手く溶け込めれば良いと考えているようだ。
悪目立ちすることなく、友人とも家族とも上手くやれるし、心配をかけることもない。

しかし一方、主人公は様々な感覚に欠けるような生活を送る。
主人公は毎日のように、味のない食事をする。
主人公が小さい頃に好きだった唐揚げなどの料理が、「店員」になってから、ほとんどない。
聴こえているのは、コンビニの音だけだ。

「普通」であるために、「誰か」を真似し過ぎた弊害なのだろうか。
しかし、彼女らしさが出ても、その生活が上手くいくわけではない。

主人公は、誰かの言動で形成されていても、いなくても、
常にどこか不調和が生じてしまう。

コンビニの音だけが、彼女を律して、鼓動のように彼女の身体を脈々と動かしている。

合理的な社会。
それこそ、今ではAIが社会を支配して、人が不要となる世界がきていると言われる。
AIによる脅威や人の不要性の危惧以前に、人としてのあり方を考えさせられた。

「ある」から、「いる」ことが可能となるのであれば、
人としてのあり方は、誰が、何が基準となり得るのか。
それは、存在するのだろうか。

ある程度「普通」でいなければ、社会に上手く適応出来ない。
「普通」でいれば、誰かの記憶にも残らない、絶えず動く社会の中で、
消えゆく虚しい存在の1つともなり得る。

主人公のような、マニュアルに沿って行動出来る人は、企業にとって最高の人間だろう。
しかし、コンビニのアルバイト店員を長く続けると、長く勤めていても、周囲は彼女を憐れむ。

企業にとって最高の人間とは、社会にとっても最高であるとは限らない。
その不一致が、音や感覚に特化している、この文章内で際立つ。
なんとも形容し難い不調和で、不快感を抱くような感覚。
それでいて、決して他人事ではない。

教育は、その年齢に相応しい教育を文科省が決定する。
しかし、それ以外のことは本当に人それぞれだ。

いつ恋愛をするのか。
そもそも、するべきなのか?
結婚は?
主人公の家族や友人、コンビニで働く人々からの同調圧力は、話を読んでいて、針でチクチク刺されるような鈍い痛みや、違和感を抱く。

他人事、これは小説だ。
いや、でも実際にこういう人いるな。
話を読み進めながら、記憶がチクチクと針のように刺してくる。

読み終えた後、悲しくもあり、焦燥感もあった。
人に対しての、悲しさや虚しさを感じたのだ。

私だったら、とっくに辞めているし、耐え難い環境だ。
しかし、現実世界の私にも、どこか主人公に似通うところがる。
必要とされるところに、人は身を置きたい。
それが多少、酷な環境であったとしても。
分かっていても、分からないふりをすることもあるだろう。

主人公に思うところがあっても、それは自分自身の弱さと、どこか似通っている。
人によって感じ方の異なる、「生きづらさ」であり、「普通じゃない」と言われてしまうところ。

たまに「普通ってなんだろうね」と、言う人がいる。
そう言った人は、私の経験だと、「自分は普通の方だと思う」と内心思っている人だ。
どこか線引きして、人によっては俯瞰するように「普通とは?」と考える。
と、書いてる私も書きながら「お前、俯瞰しているんだろう?」と、誰かから言われているようだ。

生きづらさは、誰でも抱えている。
「普通」とは、それを思う人によって形を変えて、歯痒い思いをさせるのだと思う。

マニュアルに沿う生き方をする人間は、「普通」だとは限らない。
合理性を求め過ぎると、感覚を失う。
「普通」を求め、誰かになり過ぎれば、自分自身を失う。
社会への適応にばかり目を向ければ、やはり自分自身を失う。
企業に最良な人間は、人間らしさを失う。

これらの可能性がある。
思考判定に、「普通」という基準を持つことの意味は一体なんだろう。


おすすめしたい本。

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