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沖縄愛について語る

やふぅー٩( 'ω' )و
今回は、沖縄について書こうと思います。

みなさん沖縄といったら、なんでしょう?
暑さ?シーサー?三線の音?方言?食事?エイサー?

私は、3つの小学校に行っているんですが、その1つが沖縄でした。
当時の私は何も知らず、転校するんか!!ってことにも焦らず。
沖縄に転校だってよ、の前に旅行で行ったことがるので、
今度は住むのかー感覚。

沖縄到着は、夏休み中。
暑い真っ昼間に、学校までの経路を覚えさせられた記憶。
長い急坂ありの片道40分は、きつい。
学校に行く前に汗だくで、水筒は空っぽ。

学校初日。
挨拶をしたら、話し方や東京から来たことを理由に笑われた。
服装も何もかも違うので、明らかに浮くのだ。
まるで宇宙人。
それでも、小学生だったことが幸いしてか、友達はすぐにできた。
環境にも、すぐに馴染んだ。

1番変わって、喜ばれたことは私の食事量が増えたことだ。
給食美味しかったー!!!!
食べるようになって、毎日の運動(登校)で、めちゃくちゃ寝る(今も)ので急に背が伸びた。
よく食べる人は、本当に背が伸びるんだと思う。

先生も普通に方言を使うので、すぐに話し方も変わっていった。

沖縄。
日が昇るのは遅いけれど、遅い時間まで明るい。
門限を何度もやぶって怒られ、何度夕飯抜きにされたか不明。
こっそりキッチンに忍び込んで、バレない程度に夕飯をつまみ食いした。
だって!!!!
いつまでも遊んでいたい&みんな学校から家が近い。
うちの家だけ遠かった!!!!

週末には公園に連れて行ってもらい、夕方から始まるエイサーの音。
パーランクーや太鼓の音を聞きながら、食べたご飯。
グァバジュースが好き。
エイサーは、スーパーの中でも行われていたので、どこでも聞こえると言えば聞こえる。

親戚が遊びに来た時には、ハブとマングースの戦いを見に行った。
あれは()

基地で行われるイベントに行ったり。
13祝いしてもらったり。
体育や、歴史を学ぶのも違ってたので、今でも私の思想は一部違う。

何をするにも歩きで、週末や長期休暇は友達とプールに行きまくり。
ジャスコ(イオン)などのショッピングモールは、最高の遊び場だった。
何をしていたのか思い出せないけれど、クーラーが効いている。

何もかも楽しくて、毎日遊んでいた。
よく友達の家に泊まったり、友達がうちに泊まりに来たり。
楽しさが止まらなくて、帰りたくなくて。
多分、それがよく泊まってた理由だと思う。

暑い中、放課後イベントがあると疲れてしまって玄関で寝たことがある。
よく海に行っては、海にまつわる怖い話で盛り上がった。
毎日外で遊んでいたから、1年中日焼けしていた。
野生児というか、健康的だった。

あと4ヶ月で卒業ってところで、再び転校。
この時は、本当に悲しくて泣いた。
受け入れられなかったし、時間がかかった。
なかなか友達に転校することを、言えなかった。

一緒に制服のデザインに文句を言うのかと思っていた。
当然のように、みんなと同じ中学に進むと思っていて、ここが自分のいる場所だと思っていた。

しばらく馴染めず、自分の中で時間が止まってしまっていた。
そしてついに、中学1年生の時に1人で沖縄に行った。
宿泊先が友達の家だったから、許されたんだと思う。
両親には、感謝でしかない。

それからも、頻繁に沖縄に行っていた。
いつだって私の心には、沖縄がある。
あの場所こそ、私が戻りたいと願う空間であり、時間だ。


今も当然のように、琉球キングスを応援する。
時々、懐かしくて時間があれば沖縄料理の店に足を運ぶ(沖縄料理高い)
Tシャツも沖縄ネタシャツを着る(Tシャツを結構もらうのも理由)

「沖縄好きだねー」と言われて、私はそれを不思議だと思う。
小さい頃に転校を繰り返されてみ?色々歪むから。
今いる場所にいながら、私はいつも地に足を着いていない。

沖縄に行けるチャンスは、原則逃さない。
友達と話せば、すぐに口調も戻る。
服装も変わって、心も楽になる。
公園を歩いていると、「ああ、戻って来たな」ってリラックスする。


小学生の頃は「またかー」と思ったエイサーの音が、今じゃ心にくる。
年とったなー。


心の中の沖縄を覚えて、私は今日も東京の春の爆弾気候と立ち向かう。
きっつい時期なので、みんなに幸あれ。




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