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(徒然日記)「自己実現」って何ですか?!

やふぅー٩( 'ω' )و
今回は、「自己実現」って何ですか?!って思った時のことを書きます。

※屁理屈が、疑問を持った面倒臭い内容になっています。

・努力は報われる
・頑張る
・日々邁進…

こういう言葉を大事にする人がいる。
また、これらを言う人がいる。
個人的なことなので、良いと思います。
だが、これらを押し付けられるとなると話は変わるのである。

最近言われた言葉は、「自己実現」だ。
なぜ、私は今まで疑問に思わなかったのか。
何を言われているのか分からないので、一旦タイムをもらう。

自己実現…ではなく、「自我実現」(self-realization)と出てきた。
辞書によれば、19世紀のイギリスの哲学者トーマス=ヒル=グリーンの言葉だと。
中国故事などが出てくるかと思ったのに、まさかの哲学用語だった。

究極的に自己を認識する。
辞書を引いたら、ますます分からない。

分からないなりに考えてみた。
自分自身を認識する。

これに対して、瞬時に思い浮かんだのは3つのこと。

第一に、主観的に本当の自分を認識すること。
また、メタ認知のように自分自身を客観的に認識すること。
最後に、他者による客観的な判断により自我を認識すること。

第一の考えの場合。
主観的要素は立証するに不十分である。
自分自身のみ、自我を認識したと考える可能性があるからだ。

第二の考えの場合。
客観的に自身を捉えることが出来たとしても、それが自我の認識を確固たるものであると、なぜ言えるのだろうか。
「客観視している」、このことを説明するに十分な条件付けは何か。

第一と第二に共通する欠点は、自分の頭の中で自己完結してるだけじゃないか。
ここに行き着くことだ。
どうしても客観性に欠ける。
証明しようがなくないか?
もちろん、自分自身で認識することも大切だ。
しかし、他者に自我の認識を立証する場合、論証するには不十分ではないだろうか。

第三の考えの場合。
他者による客観性を持った意見は、最も確かかもしれない。
しかし、自我の認識の場合、どうして他者がそこに介入できるのか。
不可能に近いのではないか。

んー、自己実現って改めて何だ?
現代、よく使われるような心理学的な意味で言うのであれば、多少は納得するんですよ(私のような屁理屈でも)。
しかし、これもまた非常に抽象的な言い方だ。

日本語は、主語を言話なくても大体通じる。
「自己実現」が何を言おうとしているのか、理解するにはどう言えば良いか。

「あなたが、〇〇を実現したら良いですね。」

上記のような言い方なら、理解出来るかもしれない。
(こんな言い方しないけど)

様々考えてから、タイム!!をもらった相手に再度話しかけ、
上記を説明してみた。

こちらが話すほど、相手も言い方を変えて言ってくる。

「認知して欲しい。」
「認識してくれたら、」

認知と認識は違うからね?
ここでまた私が話そうとしてみたけど、話している自分が疲れた…
相手も疲れとる。

何してんだ。

話す相手が悪かった。
そうだとしか言えない。


私は、哲学が好きだ。
高校生の頃に、哲学書を読んでいた変わり者だ。
そして、すぐに辞書を引く(電子辞書、大感謝)。

今回の疲れた出来事がキッカケで、去年言われた言葉を思い出した。

最近、けん玉が楽しいこともあるのですが、本が読めない。
集中していられないし、眠くてたまらない。
それでも、去年言われた言葉が脳内再生された。

急に去年のことを思い出したので、集中出来ないなりに、ゆっくり読書を再開することにした。
ネガティブな出来事でも、それがプラスに働くことは大いにある。
哲学の楽しさを思い出せたことは感謝。

筋トレをしながら哲学をする。
そして、寝落ちする。

はっはっは




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