PBR1倍割れ企業について学生が思うこと
極端な世界の一体化・流動化は日本の資本市場にも悪影響になり得る。PBR1倍割れ企業を問題視する見方を誰も問題視していないが、資本市場を意識しないからこそ経営そのものにリソースを割き競合優位性を確保できたのが過去の日本企業ではないのか。
それは鎖国中に発達した浮世絵が開国後西洋美術にジャポニズムという一大ムーヴメントを起こしたのと似ている。プレゼン能力の低さは日本の弱みであり、プレゼンのリソースを内部の経営に割けるのが日本の強みのような気がする。
IRの「見せ方」や「透明性」を重視する西洋の見方で変に日本の資本市場にてこ入れをしない方が良いのかもしれない。僕は東証というデコボコの市場が昨今の海外機関投資家の介入により西洋に沿った形で平地化されることによって、日本企業の競合優位性が長期・不可逆的に失われる可能性を懸念している。
完全な仮説になるが、日本が世界に対し優位性を得るパターンとは、国内の閉ざされたルールで一定期間燻らせたものを一気に海外に解放する場合である。それは浮世絵であり、堂島米市場(米の先物取引で世界の先駆けとなった)でり、黄金期の日本的経営であり、アニメである。日本人は静的な環境において複雑なシステムを作り上げクオリティを磨いていくことに関して極めて優れていると思う。そのことを忘れて西洋の論理=土俵=ルールで競争力を得ようとするのは努力の方向性として如何なものか。我々は流動的で「開かれた」競争環境を得意とする民族ではないことを意識すべきだ。
だから日本企業の経営者には資本市場に振り回されず、内向的に事業に専念してほしい。そのために最大限外部からサポートをするのが自分のアドバイザーとしての存在意義だと思っている(卒業後は企業アドバイザリーに従事予定)。この意味において矢野さんの以下の文章はすごく好きだ。
なお、PBR1倍割れ企業は現状の市場ルールでは当然海外投資家に買い叩かれるため保護すべきだ。だがしかし、もし海外からのプレッシャーがなければ…数十年スパンで日本企業は低迷し続け、同時にそれを憂う声が徐々に国内で募り、やがて国家の将来を背負う覚悟を持った力強い若者がひとつの世代として現れたかもしれない。
上記のように長期の発酵を経て爆発するパターンは恐らく実現しない。現に若者は皆外資金融に進みむしろ東証を開拓する側に回っているのだ。 僕は日本企業や市場の観点においては「非流動」「発酵」の時期が必要だという仮説があり、この国の将来を担う同世代の友人にも共感者がいることを願っている。
(補足1)
流動的・動的な環境での競争において日本人が欧米人に劣位するというのは自分の留学経験やスポーツ・歴史上の知識に基づいたもので、生物学的根拠はないし僕の願望でもなんでもない。欧米人は狩猟民族だけど日本人は農耕民族で…というようなよくある議論はその例の一つである。加えて、僕は上の文章で「人間のキャパシティは皆同じである」「欧米人が自分の見せ方=プレゼンにリソースを割く割合は日本人より高い」という暗黙の前提も置いている。これは僕自身が留学をする中で見てきたコミュニケーションスタイルの違いや授業で作るスライド等の様々な違いを根拠にしている。しかし、右翼的(に響き得る)文章を書くとは、歳をとってしまった。
(補足2)
>「現に若者は皆外資金融に進みむしろ東証を開拓する側に回っている」
かくいう僕もその一人であり、西洋の市場論理を日本に導入する側に加担する側になる。その背景には「だから日本企業の…」の段落で述べたような思いがある。
同時に、僕は給与だけを見て外資に進む学生やTwitterで海外移住の素晴らしさを言いふらす人に疑問を呈したい。前者には、この記事を読んでもらい、それでも祖国の将来よりも個人的な充足を優先する程自分が大事かと問いたい。特にその経済的潤いが努力によるものならまだしも、外資系企業の給与水準から受けている恩恵は本質的には海外と日本の物価水準・成長率の違いを活用したアービトラージに過ぎないということを我々は肝に銘じるべきではないか。後者も同様である。日本より物価が低い国を勧めるような場合は言うまでもないとして、例えばアメリカの新卒給与の高さを大袈裟に取り上げるような場合でもそこに自分という一世代だけが恩恵を受ければ良いという利己主義と、その給与水準格差の根源を考えようとしない浅はかさの双方が垣間見える。