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「言葉の世界」に限界を感じているあなたへー カメラにできる10のこと ー

「言葉の世界」のプラットフォームで、こんなことを言うのはなんですが、書きたいのに書けない、そもそもどの言葉もしっくりこない、手が動かないときってないですか?

書きたいけど書けない、なんにも言葉が降りてこない。逃げたくなるし、ほんとしんどい。

シンプルに働きすぎ、書きすぎで疲れている可能性もありますが、

もし、これまでより微細な表現に敏感になり、自分が書いた文章に違和感を感じてしまうことが増えているなら、

あなた自身の世界の認知の仕方が変わり、使い慣れた辞書が合わなくなり始めている、変容のサインかもしれません。


あらたな辞書に言葉を書き込むために

ここでいう自己変容は、細胞の入れ替わりのような繰り返しの新陳代謝ではなく、

激しい寒暖や嵐を伴う、季節の変わり目のような、

これまでの正解が機能しなくなったり、役に立っていた道具が逆に足枷となったり、しっくりくる考え方がガラリと変わってしまう遷移の時期。

言葉は、考え方≒思考を汲み上げるパーツなので、辞書もしっくりこなくなるのです。

そんなときに試してみたいのは、古い辞書を一旦テーブルに置いて、使い慣れた言葉から離れたところで、あたらしいリアリティから受けた印象を書き留める、

言葉のない世界への旅へでかけること。

その世界は広く、ダンス、絵画、演奏などいろいろな世界がありますが、

写真の世界へと、カメラと一緒に旅してみるのはいかがでしょうか?

誰でも押せば、いきなり写る。

カメラは今や、どのスマートフォンにも搭載された、世界で最も簡単にできる、言葉のいらない自己表現のツールです。

25年以上カメラと暮らしてきた人として、わたしは変容のための旅に携えるなら、これ以上の相棒はいない!と断言できます。

と、つい「断言」なんて、思わずゾッとする言葉を使ってしまいましたが、その責任をとる代わりに、その理由をできるかぎりの言葉を尽くして、10個のリストに並べてみました。

題して、「変容のために、カメラにできる10のこと」

フォトグラファーだけが知っている、カメラの使い方の本にも、写真の撮り方の本にも書いてない、カメラのあたらしい使い方です。

長いので、本気で「変容フェーズ来てるかも…!」と感じた方だけ、先をお読みください。

同じ、言葉に苦しみ言葉を愛する一人として、ひとつでもあなたの変容のヒントになることを、心から、全力で、祈っております。

1. 「何が見えていないか」を、みつける

カメラにできることは、あるものを写し撮ること。

撮影者が気づいていなくても機械的に、判断を加えずに記録すること。

狼に変身しそうなほど大きな満月を撮ったのに、写真に描かれた月のあまりの小ささにショックを受けた、そんな経験がある人も多いはず。

わたしたちは見たいものを見たいように、補正して世界を見ています。

シンプルに心が動くものにシャッターを押して写真を集めて、

選んで、並べて、観察してみましょう。

すると、

写したつもりのないものが、写り込んでいませんか?

写真には、技巧的な良し悪しから自由であるほど、クリアに焦点と盲点が写真に写り込みます。

「見ているつもりが見えていない」ことを、

突きつけられるのはちょっと痛いけど、

「見ているつもりが、実は見えていなかった」と気づいて、

昨日より見えるものが増えたら、何も増えていないのに、今日の世界は豊かになる。

カメラは見えなくなっていた世界の豊かさを、思い出させてくれます。

何が見えていなかったのかをふりかえるのが、リフレクション
それを還元された言葉(記号)ではなく、目で見える事実で確認するのがフォトワーク

世界が眩しく見えるなら、振り返れば影がみつかる

2. 思考の轍(わだち)を観察する


撮った写真を並べて、じっと観察していると、共通する思考の流れが浮かび上がってきます。

それは、写真に写り込んだ、無意識に繰り返される認知のあしあと

あなたの得意とする、言葉の世界に刻まれた歩き慣れた路です。

まずはそれを育んできた強みとしてしっかり受け取って、

次は踏み分けられていない、未踏の地に意識を向けてみる。

それは、

「見たことのない世界」への、あたらしい冒険のはじまりです。

まだ歩いたことのない茂みに漂う、踏み分けられそうな気配を感じ取りながら、ゆっくり分け入る。

撮影者の視点から離れ、はじめて向かい合う鑑賞者の視点で、あなたが記録した現実に新たな解釈を与えることを、写真は可能にしてくれます。

これは轍(車のタイヤのあと)ではありませんが、
茂みが迫る山道のように、人が踏み入れたことがある場所は、
想像以上に狭いのかも

3. 自分の輪郭の素描をなぞる

世界のゆるぎない法としての「真」、

社会をかたち作る法としての「善」、

だとしたらきっと、「美」は、個人の法になるもの。

「自分は何者であるか」の輪郭は、自分以外の存在との境界に現れてくる、関係性が描くものではありますが、

結果として現れる個人のかたちへと導く「下書き」となるの「美」意識です。

世界が語りかけてくる「美」をキャッチして、カメラに写しとる。

撮った写真を並べ、それらが描く美の稜線を感じ取る。

それはきっと、自分自身の輪郭を主体的に描いていく、手がかりとなるでしょう。

個人の身体性、生まれ育った風土や文化のなかで育まれる「美意識」
「生存欲求」とはまた別の次元にある、根源的なニーズ

4. 一瞬に内在する無限性を歩く

特定の座標から切り取られた写真のなかにも、無限の可能性が秘められています。

写真は、移り変わり続ける世界が見せる、ほんの一瞬の一片を切り取ったスナップショット。

いつでも何度でも、意味を無限に変化させることができる。

写真を編集する度、過ぎ去った時間にも、無数の解釈が眠っていることを気づかせてくれます。

同じ写真から、複数の意図を持って、まるで違う作品を作り出すことは、ごく自然に叶えられる。

"過去は、いつでも書き換えられる"

編集を重ねるうちに、知覚している世界は「今」の瞬間に決定しているのだということを、体で感じることができるはずです。

編集の対象として、過去の出来事を切り離し、
今と未来に心地よいかたちにしてまたつながる、
いつでも、何度でも、できること

5. 「言葉の源泉」を探す

言葉は、客観的に観察することができない内側の世界で触ることができる、唯一の「モノ」。

その源泉は、思考となって流れる世界の外側にあります。

そこに偏在する、まだ言語化されていないニーズや思いを捉え、再び言葉の世界に流し込む。

写真は、言葉の世界と言葉にならない世界をつなぐ架け橋です。

日々歩いて行き来するうちに、その橋は揺るぎないものとなり、

頭ではなく、体のもっと深いところから言葉が溢れてくる。

それは、記号に当てはめるのではなく、聞こえてくるままに声を書き留める、フローな時間。

源泉掛け流しの、温度感のある言葉が流れるルートができると、古くなった価値観や、凝り固まった視点もほぐれ、

言葉の世界も、より心地よい表現で溢れ、書くことが今よりもっと楽しくなるはずです。

川として流れる前に、水が世界に偏在しているように、
思考の川を辿る前に、言語の源泉は、言葉のない領域に偏在している

6. 「モノ」から「コト」に触れる

「モノなんて幻想で、大事なのはコト。体験することに、価値がある。」

そんなメッセージにちょっとハッとしても、何も残らないのは、どこか心もとないもの。

わたしたちが文字を書くのも、きっと何かを残したいからだけど、

それはきっと、写真も同じです。

写真は「記憶の栞」となり、

触れられない「コト」の手触りを、思い出すよすがになってくれます。

ずっと前に撮った写真を、あたらしい自分で眺めてみる。あるいは、誰かと一緒に語り合ってみる。

同じ記憶を共有することができるのは、「モノ」としての形があるから。

他の人の世界の言葉を重ねたり、もはや他者になった過去の自分の記憶を繰り返し反芻し、リフレクションを重ねるなかで、

そのときは気づかなかった、あらたな世界の見え方に気づくかもしれません。

ひとつの生き物のように泳ぐ、回遊魚。
その姿の何が自分に響いたのか、
日を改めて見て、さらに深い意味に気づくこともある


7.「今、ここ」に広がる全体性に心をひらく

「意図して写真を仕立てるなら、撮影までの準備が9割。」

それはさすがに言い過ぎですが、気構えとしては真実です。

なぜなら、撮影中は、頭を使わなくていいようにしたいから。

頭を空っぽにして、感覚に意識を預けたいから。

言葉の世界の外にあるものに、「その瞬間」を委ねたいから。

考えなきゃいけないことが残っていたら、言葉の外の世界にはいけないですよね。

だから頭を使う仕事は、ぜんぶ終わらせてからカメラを構える。

意図だけを頭にポンっと置いて、内側の動きと外側の動きの感覚の変化に注意を向けて、待つのです。



すべての違和感が消え、「整う」瞬間に、指が動く。

それは、言葉の世界を離れ、純粋な観察者として立ち会う、

マインドフルネスという言葉で表現される、「いま」に居続けるあり方に通ずる時間。

とても静かで、穏やかでありながら、凛と研ぎ澄まされた世界です。

変容に瞑想は効くようですが、瞑想は寝てしまうという方も多いよう。
カメラなら、思わぬ奇跡に眠気も覚める、かもしれません。

冬の朝、ひだまりにごろごろする子
心の動く瞬間を待つ
と、なぜか奇跡も降りてくる

8. あたりまえの世界を再構築する

「目に見えている世界を変えるのは、目に見えない世界」

という変容のメカニズムが、心理学から精神世界まで、多くの理論で指摘されています。

そこで提案されている、

「一度深く潜って今の認識を解体し、あらたな認識で再構築する」

アプローチは、シンプルに見えて簡単ではありません。

「無意識のブロックを外しましょう」
「古い信念を書き換えればいい」
「気づかない思い込みから自由になること」

知ることと、できることは別問題。

一度のセミナーやワークでできた気になっても、それは講師が支えたはしごにちょっと登ってみたようなもの。

はしごから一度見た景色を、そこに硬い床がある日常にするには、地道な実践の積み重ねが必要です。

カメラは、文字通り「現実を解体して再構築する」道具。

「外の世界は内側の世界の投影である」

メカニズムをそのまま形にしたカメラの使い方を知り、写真に現れる認知の軌跡を読むことは、一見シンプルなアプローチの要素分解を可能にします。

そこで現れてくる要素の関係は、実は写真を構成する要素とほとんど同じ。

カメラの使い方の本が、ほとんどそのままインナーワールドのガイドブックに見えてきたらしめたもの。

写真の技術と、あたらしい自分のセルフビルドへの学びが一緒にできるのは、写真を嗜む者の密かな楽しみです。

虫が野菜の葉を食べる。
「害虫」に食い荒らされた畑の姿も、
視点を変えると食べられたことで、光と風が通るようになったことに気づく。

9. 重なって響き合う、自己の多様性をみつめる

「本当の自分」を探していると、

体調や、共に過ごす相手、場の雰囲気が変わるたびに、求めることや降りてくる言葉が変わり、混乱することがあります。

「インナーチャイルド」や「ハイヤーセルフ」という言葉があるように、

ひとりの人という宇宙のなかに、矛盾するように聞こえる声、ニーズがあるのは自然なことです。

写真のなかに顔を出す、それぞれの声に耳を澄まし、言語を超えた世界で視覚的に調和させる、

その繰り返しが、少しずつ、「それでいいんだ」という自分自身への信頼感を育みます。

変容の扉が開いている、稀有な季節の変わり目は、上に下にと揺さぶられるからこそ、聞こえる声、感じ取れるニーズがあるもの。

もし、見えない世界のどこかに「自分軸」を立てることができるのだとしたら、

それは、重なり合う自己のニーズが心地よく響き合う場所なのではないでしょうか。

「光がもっとたくさん欲しい」
「涼しい陰で過ごしたい」

同じ畑のなかでも、育ちのステージや植物によって異なる、
複数のニーズが重なっている

10.自らの「座標」を定める

撮ろうと決めたものを、

どの画角、どのアングル、どんなフレーミングで切り取るか。

何かを表現するには、自分の座標を定めることが必要。

でも、自分のポジションをとって、それを明らかにすることは、

「みんなそれぞれみんないい」空気が流れる今、

どこか怖くて、勇気のいることです。

意図を持って写真を撮ることは、その勇気を形にしてみる最初の一歩。

「見ているつもりが見ていない」と、写真が自分の盲点のありかを教えたように、

どんなふうに表現しても、

「みんな、見たいものしか見えない」

他の人も同じであることを、写真は思い出させてくれます。

それは、さびしくもあるけれど、怖さを和らげてくれるはず。

カメラは、思い切って、自分を語る勇気をくれます。

これが、さんざん潜り込んで破られた麻のソファーカバーだって誰が気づく?
伝わる人にだけ伝わる、
鑑賞の瞬間にも、無限の可能性が内在しているから。

言葉の外へ、カメラと一緒にでかけよう

「カメラ」も「写真」も、ツールです。

電池がなければただの箱。焚き火の前ではただの燃料。

あなたが意味を見出すなら、言葉の引き出しにも、リフレクションのきっかけにも、あらゆるシーンで力になってくれることでしょう。

でも、いきなり一人で冒険するのはちょっと怖い?

抽象的すぎて、わかるようでわからない?

ごめんなさい。

実は、変容の過程で、読み取れる意味が徐々に変わるように、あえて、分かりすぎないように書いてみました。

今すぐひとりではじめられる、変容のためのカメラの使い方ですが、言葉なき未踏の地を歩くのは、ガイドなしにはちょっと難しい?、とも感じているのが本音です。

ガイド付きフォトワークのお誘い

お察しの通り、この記事の着地点は、撮影歴25年以上のガイドがアテンドする、インナージャーニーへのご案内です。

ガイド付きのフォトワークは、マインドフルネスをベースにしたコーチングのメソッドに基づき、内側の反応を観察しながら、共に撮影(対面の場合)、編集を行います。

オンラインでの共同撮影・編集した写真は、あなたの作品。

変容の旅のおみやげとして持ち帰り、探索の道を着実に進んでいるのだという、歩み続けるための自信と手がかりにしてください。

対面の場合、別目的でのガイドによる撮影はオプションになりますが、オンラインセッションは、時間枠でできることなら、フォトワークでも、その他のワーク、マインドフルな対話に使ってもプライスは同じです。

大事なのは、わたしたちの関係性が、あなたが望む価値を生み出せる状況にあるかどうか。

もしここまで、あなたがこの長ーい記事を最後まで読んでくれたなら、それはきっと「本気で変わりたい」という、内なる変容のエネルギーが満ちているしるし。

まずは、無料のコンサルティングセッションで、「いま」なのか、「ここ」なのかを一緒に探ってみませんか。



自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。