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「なんにも知らない大人たち」の子どもたち

最近、朝のニュースをテレビで見始めた。

わたしが見出すと動けなくなってしまうと言う理由で、長女が1歳になる前にテレビを見るのをやめていたことと、

テレビを見ずに育っていることもあるのか、CMの演出やショッキングなニュースを見ると怖がって大騒ぎになるので、テレビはつけずに生活していた。

が、子どもたちも大きくなり、世間のことをあまりにも知らなすぎるのも問題だと思い、朝のニュースだけつけてみようと試みているのである。

それがまあ、ミサイルが飛んでくることよ。

緊急速報に恐ろしい文字が並ぶたびに、大丈夫だからと宥めていた自分を鑑みて、

「こんなことしてて、オオカミ少年みたいに本当にミサイルが飛んできたときに誰も信じなくなったら困っちゃうね〜」

なんて話してた矢先のJアラートに背筋がゾッとした。

幸い、領土内に着弾なんてことにはならなかったんだけど、目で見て確認することが不可能な脅威。

911、東日本大震災の原発事故を思い出せば、「本当に起きてしまった」未来は紙一重の場所にあるのだ。

「戦争を知らない子どもたち」という歌が流行ったのは1970年だという。俺たちは戦争で苦労したんだ、軍隊で鍛えてきてる、軟弱者のお前らとは違うとマウントしてくる大人たちへの反抗と反戦への想いが込められていたらしい。

今40代のわたしはその世代の子どもで、戦争もバブルも知らない、「失われた世代」である。

わたしたちの子どもは、そんな「何にも知らない大人たち」に教えられながら、テレビの向こうの事件を何度も目撃し、急に警報が鳴ったり、学校が休みになったりする生活を「日常」として過ごしている。



…全くオチも結論もないけれど、これが日常だなんて感覚、言葉で言い合わすことができなくて、ただただ圧倒されている。


自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。