子どもには言えない、黒い歴史の使い方
気づけば子どもたちも随分と大きくなった。
授業参観に行くと、同じ学年の子たちが大人びて見えて驚く。
うちの子ら、幼すぎやしないだろうか?
そんな問いかけに心が揺れるとき、同じ年齢の頃の自分を思い出すことにしている。
ああ、次女くらいの頃、昼休み、学校の敷地の外で寝てたな…。
「死」という漢字が怖すぎて、職員室で教師に「こんな字教えるな」と抗議してたな…。
毎日違うキャラを演じてみるという実験をしてたな…。
「人にどう見られるか」という意識がまるで育っていない当時の自分の行動の数々を冷静に振り返ると、自分の子どもが大変な優等生に思えてくる。
毎日違うキャラやる実験とか、今でも覚えているけど、友達の立場だったら昨日ぶりっ子だった子が今日は「俺」とか言ってるの、シンプルに怖い。
長女くらいの頃は、授業中、国語や歴史などで気に入ったエピソードをみつけると、これまでのお気に入りエピソードと合体させて「最高にグッとくるキャラとストーリー」を生産することに夢中になっていた。
ジャージのズボンには、上に着た体操着の裾を入れるという大変ダサいルールを律儀に守るばかりか、他の人の着こなしにまで口を出し、「じゃあお前は一生上着をズボンから出すなよ!」と怒らせて孤立した。
バレンタインで、明らかに失敗した、衛生上問題があるチョコをそのまま本命に渡した。
同人誌販売イベントを主催している友人に誘われて出店、やおいの世界に完全に場違いのオリジナルを持ち込んで浮いた。
通販で魔術の本を買ったら、死人の蘇生方法が載ってて怖くなり、即封印して数年放置した。
通販でバストアップサプリを買ったが、さっぱり大きくならなかった。
通販で、なんでも願いが叶うピラミッドのネックレスが欲しくて、その広告を毎日見ていた。
…もうやめよう。
思い出すほど、甘酸っぱいを通り越して、ただ酸っぱい。
特に、中学生の黒い思い出は、ひっぱりだしたらキリがない。
子どもを目の前にすると「まだこんなことも…」「何回言ったら…」という反射的な情動が湧いてくるけど、そういうときは、夜こっそり自分はどうだったんだよ?と記憶はさっぱり色褪せていない黒歴史を引っ張り出して懺悔する。
でもさ、こういうなんの自慢にもならない思い出の方が、こんなふうに結構あとあと役に立つんだよね。
なんだかんだいって、黒歴史って一人で思い出す分には、もはや他人だから、くだらない映画を見返すみたいで、ちょっとおもしろい。
てか、あのマイバースディって雑誌かなんかの裏表紙裏に載ってたピラミッドのネックレス、買って持っている人がいたら、どんなんだったか、教えてほしいなあ〜。
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。