肺炎の効用
※8/18 肺炎にまつわる話題は、まだまだセンシティブな話題であることを感じ入りましたので、カギありコンテンツに変更しました。
2023 3/22 マスクなし解禁につき、無料化しました!
そろそろ不謹慎と言われずに書けるかな?と思ったので、肺炎にまつわるわたしの気づきについて、書きたいと思います。
もし、タイトルを読んだ時点で既に不謹慎なヤツだな、と思われた方はスルーで何卒よろしくお願いいたします。
臨月を前に、肺炎になった
それは、コロナウイルスが旧型しかなかった7年前、次女妊娠中の夏のこと。
わたしは重症の肺炎にかかり、入院していました。
経過をサラッと書くと、7月下旬から体調が悪く、家で療養しているうちにどうにもいかなくなり、病院に連れて行ってもらったら、なんかの数値が異常すぎるっていうことで即入院。
夫は、妊婦が人工呼吸器をつけると胎児の命に支障があるが、それで死んだら諦めます的な書類にサインさせられたそうです(次女ごめん!生まれてきてくれてありがとう!!)。
肺炎は肺に炎症が起こる病気で、咳と痰が無限に出続けるのですが、あまりにもずっと出続けるので、入院する前の段階で既に疲労で肋骨が折れていました。
また変な力が入るためか、上半身の筋肉が筋肉痛で、肺の炎症で苦しいというよりは、上半身全部がただただ痛い。
一旦咳をすると止まらず、上半身に散弾銃を打ち込まれたような(打ち込まれたことはないので単なる比喩ですが)痛みの連鎖に襲われ、発作が終わった数分は屍に等しい真っ白な灰に(これも未体験なのでイメージ)。。。
そんな肺炎の苦しみを少しでも逃れる方法は、痰が気道を刺激して咳を誘発しないよう、寝ずに座っていることと、
可能な限り細く長くゆっくり、注意深く呼吸をすること、でした。
呼吸だけの世界の向こう側
というわけで、骨が折れて咳が爆弾になったときから、何日もひたすら集中して、ただ呼吸するマシーンと化し、
食事も上げ下げから全てしてもらい、夫の家族や子どもの面会だけが唯一のイベントという日々が続きました。
ひたすら呼吸に集中し、吸って吐いてを繰り返す。
すってーーーーー、はいてーーーーー、
すってーーーーーー、はいてーーーーーー、
ゆっくり、ゆっくり。ほそく、ながく。。。。
何日目でしょうか。
とても静かな何もない場所からふと、何かが湧き上がってくるのを感じました。
それは、
「ありがとう」
っていう5文字の言葉。
そしてその言葉の源となる感情がジワーーっと、全身を満たしたんです。
あとはリフレインのように繰り返し、繰り返し、この5文字だけが湧いてきて、壊れた機械みたいに本当に他の考えが何にもなくなってしまって、これが全てなんだ、という感覚だけがありました。
あ、死にかけたわけじゃないので、臨死体験的なアレじゃないですよ。でも、内面的な世界から一切の欠乏が消えたんです。
肺炎は強制瞑想修行だった
今思えば、呼吸にひたすら集中し続けるって、瞑想そのもの。
それまで、瞑想は本では知っていましたが、しようとしても寝てしまったり、考え事をいつの間にかしてしまったりと、あまり上手くいっていませんでした。
でも、肺炎だと痛くて眠れません。疲れているので何も考えられません。食事もほとんど取れません。
ただただ何十時間も、もしかしたら100時間以上ずーとそれだけやってる。
・・・修行じゃん!!
というわけで、肺炎によるスパルタ式瞑想合宿で、雑念で曇ったメガネをキレイにしてもらったわけですが、
この感覚のあと、病気が回復するまではほんと何をされても感謝しか感じない状態に。
そのおかげで、自分の病室の冷房が壊れていたことに、数日の間気づかなかったくらいです(見舞いに来てくれた家族が指摘してくれました 笑)。
怒りとの別れと再会
退院してからもしばらくは、子どもを求めても、何をしても反発や怒りが全く起こらず、病み上がりで10m歩くのもやっとなのに、夏祭りに子どもを連れて行ったりしました(今だったらいろんな意味で絶対にしませんね。。。)。
当時はもしかして、私もう一生怒らないクリーンな人間になったのかも?なんてちょっと喜んだのですが、
回復して数週間したら、体力の回復とともに普通に子どもに怒りを感じるように戻り、
怒りは感謝の有無には関係なく、元気の証であることが証明されました(笑)。
(それ以来、怒りも生きるのに必要なある種の生命力だと思っております)
なーんていうと、結局意味なかったのか?と思うかもしれませんが、ちょっとした奇跡もあって。
入院中回復し始めた頃、急に音信不通だった昔の仕事先から連絡が入り、完全在宅でしかも出産前に終わる入院費用とほぼ同額の仕事を受注したんです。
おかげで出産費用を取り戻すことができたのですが、こういうある種の奇跡みたいなことは、これ以降増えたなーと個人的には感じています。
病人はメンタルが命!
というわけで、瞑想すると、人間の根底に流れる命への感謝の意識に触れられることと、なんか上手いこと歯車が回るようになるのは本当だと思うので、
新型であれお馴染みの菌であれ、もし肺炎になったら、瞑想リトリートにでも行ったつもりで、前向きに向き合ってみるのもいいのではないでしょうか。
病気は必要以上に悪化させないのが一番ですが、もしそういう流れに入ってしまった時には、浄化の一つのチャンスとして受け止めることは、メンタルを健全に保ち、回復の助けにもなると思うので、マスクと一緒にポケットにそっと入れておいてもらえたらうれしいです。
ちなみに肺炎は流行を先取りして去年またかかってしまったのですが、どちらもやりたいこと全部やろうと抱えすぎ、動きすぎの結果キャパオーバーで体調崩したことがきっかけになってますので、
咳が出始めたら、自分のためにも自宅でゆっくりするのがいいと思います(咳からの骨折が本当に辛く、わたしももうかかりたくないので咳出たら寝ます)。
ちなみにタイトルは、この本のタイトルが元になっております。
だいぶ前に読んだので細かいところはうろ覚えですが、病気の時のメンタルを上げてくれて、面白いですよ!
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。