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ロストフの14秒。憎いほどに短く、長い。

記憶が鮮明に蘇る感じがして。5時のアラームが鳴る前に飛び起きてこの文章を書いている。

サッカーとは時にファンタスティックで、エキゾチックで、なんというか残酷で。友達とみているサッカーとひとりでみるサッカーは同じ試合でも違った雰囲気だったり。

日本のサッカーを愛し、それはそれは熱中し、多分地元の友達も高校の友達も大学の友達も「あいつはサッカーに関してはイカレ」みたいな感じになってるんだろうけれど、このnoteを本当はリアルのインスタに投稿したいほど正直に生きてきた。そしてこのクサメな文章をバカにしてほしい。おいしい。

2018年6月。そのバカ正直さを証明するかのごとく、ぼくはロシアに降り立った。全くプランのなかったぼくの脳みそにモスクワ行きの航空券がちらついたのは、訪露1週間強前だった。なんなしに友達の家にあつまり、ビールをつまみにW杯を見る。なんて大学生なんだろうか。この感じだけ好きでいつづけた4年間だった。

大迫選手のヘディングゴールが決まると、部屋は熱狂。そこから先は覚えていない。ただヤバイヤバイとみんなが口にしていた。W杯はやばいのだ。

ひとりで乗り込んだ小田急の最終は、そんなことおかまいなしに走り続ける、無心で航空券を調べるぼくをのせて。4年間通い続けた風景を一切見ることなく、ひたすらに画面を検索する。無心とは盲目になることだ。窓の外ではお金の問題、就活、インターンが過ぎ去っていく。気がつかなかったのは電車が急行だったからだろうか。


モスクワに到着したのはその1週間後のことだった。意外と暑かった決戦の地は、なんとも言えない雰囲気で底知れぬワクワクを感じていた。

到着するやいなや、試合会場まで電車で向かう。乗車時間は24時間。ギャグでもつまらない。

いまにも爆発しそうな感情をぐっとこらえて日本サッカーの新たな道と自身の就活を胸に24時間を過ごした。半分くらいエントリーシートを書いていたことを記憶している。面接は帰国予定日の1日後。どうなる。

到着地ヴォルゴグラードは、その昔ソ連時代にナチスとの戦いがあったかなにかで、日本でいう広島的な街だった。街は静かで特になにもないが、その何もなさがかえってよかった。そして試合も街よろしく何もなかった。

日本では大バッシングだったらしい。友達から送られてくるメッセージをあえてみず、携帯をしまったぼくはピッチをただ見つめていた。日本から約30時間かけて訪れたこの地でみた景色は鮮明に記憶されている。

会場では、日本のその保守的な戦術に怒ったロシア人の大ブーイング。そして鳴り止まないロシアコール。日本とポーランドの試合中に起こったどのプレーの歓声よりも大きく、感情的だった。

その現実をあえて受け入れないようにピッチを見続ける日本スタンド。そうすることもできない。ぼくらの代表はここにしかいないのだから。

その先は、よく覚えていない。ただ、日本はグループリーグを突破した。帰国が迫る。


ベルギー戦が行われる地ロストフに降り立ったのは、そこから何日後だっただろうか。24時間の移動はもう慣れた。特出すべきは前回必死にかいたエントリーシートの会社の面接が電車のなかで終わったことくらいか。無機質なアラームをそっと閉じたことを覚えている。

クロークに荷物を預け、バスで会場に向かう。なんにもない。ロシアってなんにもないんですね。

新設されたらしいスタジアムはとても綺麗で、これから行われる一戦にふさわしく感じた。会場は日本人だらけで、変な感じがした。目があって話す内容は当然サッカーの話。この人たちもいろいろなものを捨ててロシアに来ている。そう考えると面接なんてどうでもいいと自分を正当化していた。

ビールを飲みグダグダしていると試合時間が迫って来た。気がつくと会場は、その激戦になるだろう試合を見に来た観衆でいっぱいになっていた。日本人サポーターはどこかそれに怯えながら、それでも自分らが主役だと言わんばかりに声を張り上げはじめた。

ビッグフラックの掲載のあと、今大会から採用された国旗が開かれるあの演出があった。ヴォルゴグラードでもみたはずなのにやけに感動したことを覚えている。これがベスト8をかけた戦いなのか。会場の盛り上がりは最高潮。ゆえに焦り。明らかに会場のノリが日本の雰囲気じゃない。そんな時に国歌の斉唱だった。

人生で一番大きな声で歌った国歌だった。卒業式であの声量出たら伝説になるかいじめられるかみたいな声が出た。君が代はいいなと思う。背景は知らないけど、日本人らしくていい。会場のノリはまだ日本じゃないけれど、日本人の団結は深まった気がした。さぁ、まだ見ぬ世界へ。


こうなってくると前半の記憶はほとんどない。唯一クルトワのファンブルが入ったかと思ったくらいだ。しかし、この会場の盛り上がりからして日本とベルギーの力は互角だと証明していた。日本に対する声援は、判感びいきでなかった。

その雰囲気が日本に寄ったのは原口選手のゴールが決まり、乾選手のミドルシュートが決まった直後までだった。誰も信じられない状況と、圧倒的な日本への興味。ロシア人は日本の歌を歌い、日本人はロシアコールをした。この雰囲気こそが8強だったのだろうか。まだ見ぬ世界というけれど、明確な違いはなんだったのだろう。ただ間違いなく言えるのは、この瞬間日本は8強に限りなく近かった。日本の渋谷でも、あなたのテレビでも、ここロストフでも。

そしてそのわずか数分後。まだ見ぬ世界を見ることはできなくなった。

あんなにずっと続いて欲しいと思っていたW杯が早く終わって欲しいと思ったのは、あの瞬間だけだ。

もう心身ともに疲弊していた日本の最後の攻撃。世界を知る男、本田圭介選手の蹴ったボールは2m超えのベルギー人にキャッチされた。そこから先はもうあまり覚えていない。ただヤバイヤバイとみんなが口にしていた。W杯はやばいのだ。

つくづくサッカーは、面白いな。いまならそう言える。


ロシアでみた2連戦。どちらも試合後呆然とピッチを見ていた。それ以外にやることがなかったというか、敗者の様式美というか、ぼくの日本のW杯が終わったことに微力ながらに反抗していたのかもしれない。

最後の14秒。小さな島国は、世界との差をそこまで縮めた。その14秒がほんのわずかな14秒なのか、人生を揺がすほどの14秒なのかはまだわからない。

ただ日本のサッカーに嫌悪感を抱き、Jリーグのレベルが低いという風潮のなかでこの14秒が埋まるだろうか。自国の代表を誇らしく思わず、自国の歌を歌うことのできない我らは世界でまだまだ戦えない。そもそも戦う必要もないのかもしれない。

それでも4年に1度、渋谷には若者が集まり、おちゃらけながらでも君が代を歌い、日本代表を応援するようになった。これはれっきとした日本のサッカー文化のひとつだろう。あいつらは騒ぎたいだけ、サポーターじゃないという声がある。いや、もっと柔軟に考えて欲しい。サポーターって何だ。保守的な立場から、自国の歌を歌い、応援しているひとを批判することがサポーターなのか。日本人なら全員日本代表のサポーターだ。


ロストフの14秒。それは憎いほどに短く、あざ笑うかのように長い時間ぼくらを後悔させる。その経験を糧に帰国し、この文章を書くことが日本サッカー発展のためにぼくのできる唯一かなと思う。時刻は7時。

相変わらず、ロストフからの航空券の支払いは終わらない。もしこのnoteに感動したスペシャルな方がいたらぜひサポートを。この支払いが終わった時にぼくの2018ロシアワールドカップは終わるだろう。そう考えるとサポートしなくていいです。いや、嘘です。

4年後、ぼくらはどんな景色を見ているだろうか。そんなことだれにもわからないが、ひとりでも多くのひとが日本代表を応援し、熱狂し、歌を高らかに歌う。そして日本を誇りに思える雰囲気があってほしいとおもう。渋谷でも、あなたのテレビでも、カタールでも。

そんなことを思いながら、今日も働くのだ。 










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