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カレーライス

わたしはカレーライスが好きだ。一人暮らしになった今でも家でほぼ毎日カレーを作って食べるし、仕事が休みの週末には彼氏と都内のカレー屋を巡り、ほとんどのカレーを食べてきた。

わたしは子どもの時からお母さんが作る家のカレーが大好きだった。放課後、お家に帰って行く途中我が家からカレーの匂いがしたときは天にまで昇るかのように気持ちを躍らせ家の玄関までスキップしながら帰って行っていた。お母さんがつくるカレーはどの料理よりもおいしくて、心が温まった。カレーの日はなんだか家族全員も少し陽気でカレーを中心とした食卓はわたしにとってものすごく居心地が良かった。それほどにまでわたしにとってカレーは人生になくてはならないものであり、カレーを人生の楽しみとして生きてきた。

しかし、最近カレーに入っているある物質がウイルスと反応し、カレーを食べると疫病にかかってしまう現象が起きた。世界中の人はその疫病によって大勢亡くなり、病院ではもうこれ以上患者を受けきれないという医療崩壊が起こった。なぜこの疫病が発生したのか未だに誰も分からず世界中の人々はただ恐れるばかりであった。

世界中の人々はカレーを食べることをやめ、スーパーからもカレーの姿はなくなってしまった。都内にあるわたしの大好きなカレー屋も続々と店を閉めていった。わたしがOLとして勤める銀行では、同期の女性行員たちが「カレーがなくても別に生きていけるもんね」と休憩室にあるテレビから流れるカレーによる疫病のニュースを見ながらヘラヘラと雑談をしている。周りからカレー好きと知られているわたしは同期から「カレー好きだと辛いけど感染したら元も子もないもんね」と言われ、わたしは軽く笑いながら相槌を打った。カレーが無くても差し支えない人間が大半を占める中、わたしの人生にとって一番の楽しみであるカレーが食べられないという現状はこれほどにまでない苦痛であった。

しかし、このような状況でもカレーを提供している店は少なからず都内にはあり、わたしはなぜか少しの罪悪感を抱えたままその店に日々通った。感染するのは体力のない高齢者ばかりでまだ27歳のわたしはおそらく大丈夫であろうと思っていた。もともとカレーが好きなわたしだったが、罪悪感を感じながら食べるカレーはなぜかいつもより美味しく感じた。

しばらくすると国の休業要請に従わず営業しているカレー屋は店名をメディアで公表されるようになった。わたしがこっそり通っていたカレー屋も例外なく店名を公表され、店主は休業しても補償がないのにこれからどうすればいいのかと悩みをこぼしていたが、店主はなくなく店を閉めることにしたのだった。次の日、女性行員たちは更衣室で公表されたカレー屋を「こんな事態なのに営業するなんて気が知れないよね」と嘲笑し、またいつものようにヘラヘラと雑談をしていた。

もうこの事態が収まるまでカレーは食べられないのかと少し絶望してしまったわたしは今日の仕事に全く力が入らなかった。仕事が終わり、スマホでなんとなくカレー屋の情報を調べると、公表されても営業をし続ける店が都内からかなり離れた山奥にあると知った。意気消沈していたわたしは仕事終わりにすぐさま車を走らせその店へと向かった。そこにつくと山奥とは思えないほど沢山の人々の姿があり、店の前に大量の行列を作って並んでいた。並んでいる人に話を聞くと国内ではここしかもうカレーを食べる場所がないということだった。3時間ほどの行列に並び続け、ようやくカレーを食べることが出来たわたしはこれほどにまでない幸せを感じた。周りのお客たちはヨダレを垂らしながらカレーに貪りつき唸りを上げていた。わたしはその異様な光景に今まで感じたことのないとても狂気的なものを感じた。しかし、目の前にあるカレーが美味しいことに間違いはなく、わたしも気づけばそれを獣のようにかきこんでいた。

ようやく念願のカレーを食べ満足しきったわたしは、明日の仕事に向け寝る支度をはじめテレビをなんとなくつけてみると、先ほどわたしが行っていた山奥のカレー屋がニュース中継されていた。さらには足を運んだお客の実名までもが公表されていた。わたしはようやく事の重大さを知り、カレー屋に行ったことを激しく後悔した。わたしはただカレーを食べたかっただけなのに。そして動揺と錯乱で朝まで眠れなかったわたしは、意識が朦朧とする中いつもの職場へと足を運んだのである。

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