おかだのおもったまま。

おかだが思ったことをそのまま書いていくブログです。あってるあってないは知りません。

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最近の記事

雲の上と下で

ある日、世界は雲の上と下で分かれるようになりました。雲の上と下に分かれたのは突然のことで、なぜ上と下に分かれたのか誰も知る人はいません。どういう基準で上に行き、下に残されたのか誰も分かりませんでした。ただ一つ違ったのは雲の上にはたくさんの資源やモノが無限にあり、下はモノが限られた有限の世界でした。上の人たちはモノが無限にあるのでお金や食べ物、自然資源を湯水のごとく使い生活をしました。いっぽう、下の人間たちはモノが限られているので細々と大切に使いながら生活をしました。 しかし

    • カレーライス

      わたしはカレーライスが好きだ。一人暮らしになった今でも家でほぼ毎日カレーを作って食べるし、仕事が休みの週末には彼氏と都内のカレー屋を巡り、ほとんどのカレーを食べてきた。 わたしは子どもの時からお母さんが作る家のカレーが大好きだった。放課後、お家に帰って行く途中我が家からカレーの匂いがしたときは天にまで昇るかのように気持ちを躍らせ家の玄関までスキップしながら帰って行っていた。お母さんがつくるカレーはどの料理よりもおいしくて、心が温まった。カレーの日はなんだか家族全員も少し陽気

      • 渦は生活のあらゆるところに存在する。水が流れ込む排水口、スープをかき混ぜた器の中、頭のつむじにも渦がある。何か1つが中心となって螺旋状に作られているもの。 そして自分も今、渦の中にいる。情報の渦。不安の渦。思考の渦。目に見えない渦もこの世界には確かにあり、様々な人たちがそれぞれの渦の中心にいる。 今日近所のスーパーに行くと、店員の人たちがビニールカーテンで遮られたレジに入り、手にはゴム手袋をつけてレジ作業をしていた。ごく普通のいつも顔を合わせるおばちゃん。もしかすると同級

        • ただそこに在る

          家の近所を散歩すると桜が咲いている。鳥のさえずりも聞こえる。天気は雲一つない晴れで空は淡く青く、遠くの山は鮮明に見える。空気は澄んでいてとてもおいしい。平和な気持ちになる。今の日本の現状は嘘なんじゃないか、そう勘違いさせられるほどに自然はただそこにどっしりと在る。自然からするとそんな大した問題じゃないのだろうか。いや、人間に分からないだけで自然も何かしらの変化に悩まされているのだろうか。そんな答えのない想像をしたりする。 僕は人間だから世界中の人間が今の事態にパニックになっ

          焦り

          焦ることが自分は大嫌いだ。食事してるのにもうすぐ家を出ないといけない焦り。明日早いからもう寝ないといけないという焦り。締め切りの仕事があるのになにもまだやれてない焦り。この世にまだなにもなせれていない自分への焦り。この世は焦りだらけだ。焦りは体に悪い。焦らさないでくれ、せめて飯の時くらいは。 人はなぜ焦るのだろうか?人に嫌われたくないから?もっとなにかを手に入れたいから?つまりは「今の自分」に自分自身が満足できてないからだろう。これに尽きる。焦りたくなければ「今の自分」に満

          出会いと別れ

          人は出会う。 人は別れる。 出会いと別れはセットだ。不可分なもの。分けることのできないものだ。そして、出会いと別れは突如としてやってくる。予想が出来ない。「また今度。」と言って当たり前のように再び会えると思っていた人が、それ以降もう会えなかったりして、あの時が別れだったということがある。もう会えないと思って別れたはずが、何十年後かに再び会ったりすることもある、不思議なもの。 どれだけSNSが普及しようが、どれだけAIが世界を覆おうが、これから何百年経とうが、おそらく変わら

          ぼくが撮りたいもの

          最近自分のホームページを開設したりして、改めて自分はこれから何をしていきたいんだろうと思ってあれこれと悩んでいた。 もちろん、ドキュメンタリーに関わって行きたいし、ドキュメンタリー映画をずっと撮り続けて行きたい。 しかし、問題は果たして「何」を撮るか、ということだ。ある作家は「震災」をテーマに撮り、ある作家は「政治」について撮り続けていたりする。 そう周りを見渡した時、自分は何をテーマに撮りたいんだろうと思っていた。 もちろん、無理にテーマを決める必要はないし、テーマ主義

          ぼくが撮りたいもの

          精神論は無敵

          「やればできる!」と松岡修造みたいな事を言うのがいわゆる精神論ってやつだ。 「やればできる!」というのは確かにそう言われればそうだな、と思うような気もするが、あまりにも正論すぎて何も言い返せない言葉でもある。それ故に自分は精神論があまり好きではない。 タイトルにもある「精神論は無敵」というのは、精神論には誰にも反論できない悪魔の言葉があるからで、それは「あなたが出来ないのはまだ頑張ってないからだ」という無敵のセリフがこの精神論の根底にはあるからだ。それを言っちゃ終わりじゃ

          あなたの嫌いな人は誰かの好きな人

          自分は割と昔から好き嫌いが激しいタイプの人間だ。 ハッキリしてていいじゃないかと言われる反面、このタイプは好きと嫌いに二極化して感情をとても使うので疲れる。だから、好きでも嫌いでもないというジャンルを多く持っている人を羨ましいと思うし、実際生きやすいだろうなと思う。 で、自分みたいな性格は例えば、一度嫌いになったらほぼずっと嫌いなわけで、もしその自分が嫌いな人を好きだと言う人がいたら、「なぜあの人を好きと言えるんだろう意味が分からねえ。」となるわけです。 つまり、嫌いな

          あなたの嫌いな人は誰かの好きな人

          合理主義に違和感を感じる理由。

          合理主義って、損得勘定とか、いかに効率が良いかっていうのを最優先にして行動することを指す言葉と言えば良いかな。例えば、ホリエモンとか落合陽一とか、あの辺りの人たちのイメージを自分なりにはしている。 そして、あの方達が言ってることって割と合っていて自分も本とか読んだりすると頷くことも多いんだけど、なんか昔から全面的に肯定出来なくて。 この違和感はなんなんだろうなと度々思い出しては考えていたんですが、たぶんその理由は彼らにはなくて自分がただ「合理主義者ではなかった」ということ

          合理主義に違和感を感じる理由。