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あなたの嫌いな人は誰かの好きな人

自分は割と昔から好き嫌いが激しいタイプの人間だ。

ハッキリしてていいじゃないかと言われる反面、このタイプは好きと嫌いに二極化して感情をとても使うので疲れる。だから、好きでも嫌いでもないというジャンルを多く持っている人を羨ましいと思うし、実際生きやすいだろうなと思う。

で、自分みたいな性格は例えば、一度嫌いになったらほぼずっと嫌いなわけで、もしその自分が嫌いな人を好きだと言う人がいたら、「なぜあの人を好きと言えるんだろう意味が分からねえ。」となるわけです。

つまり、嫌いな人を好きと言う人の存在に戸惑ったりするし、反応に困るわけです。あんなこと言ったり、行動する奴がいい奴なわけねえみたいな、ね。もし好きと言ってる人が自分の好きな人だったら余計にそう思っちゃうわけです。

でも、最近はその傾向もちょっとマイルドにはなってきていて、人間なんだから多面的であって当たり前だよな、と知識としてではなく、感覚として分かってきました。

作家の平野啓一郎さんの分人主義にもあるように、人間はその人その人にあった自分を出しているわけだからまあ好きと言う人もいるよね、みたいに思えるようになってきた。

分人主義
「分人」とは、対人関係ごとに生じる様々な自分のことだ。一人の人間は、複数の分人のネットワークでできており、「本当の自分」という中心はない。私は、近代的な「個人」という考え方の限界を乗り越えるために、「分人」の概念を発想した。                      

しかしだからといって、その人を悪く思わない方がいいかと言われればそうではないというのが大切なところだと思っている。

人を嫌う自分自身に嫌気がさしたり、ダメなんじゃないかと思うかもしれないけど結局は嫌な思いをして実際嫌いになってるんだから「その人を嫌いと思う自分」は消さなくていいよな、とは思っている。

分かりやすく言うなら、「あの人を好きな人もいるんだろうけど、俺は嫌いだな」という感じ。嫌いと思うのは一緒なんだけど、こういうマインドを持ってるかどうかの違いで割と生きやすさが違うと思う。

これは逆も同じで、自分が好きだと思う人を嫌いと言う人が出てきても「あの人を嫌いな人もいるけど、俺は好きだな」と思うことが大事だなと思っていて、自分の感覚は大切にした方がいいし、そっちの方が素敵だというお話でした。

おわり

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