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ぼくが撮りたいもの

最近自分のホームページを開設したりして、改めて自分はこれから何をしていきたいんだろうと思ってあれこれと悩んでいた。

もちろん、ドキュメンタリーに関わって行きたいし、ドキュメンタリー映画をずっと撮り続けて行きたい。
しかし、問題は果たして「何」を撮るか、ということだ。ある作家は「震災」をテーマに撮り、ある作家は「政治」について撮り続けていたりする。

そう周りを見渡した時、自分は何をテーマに撮りたいんだろうと思っていた。
もちろん、無理にテーマを決める必要はないし、テーマ主義はそもそも好きではない。

でも、作家は何かしらの考えというもの、何かに対する興味があって作品を作ると思う。そうした一貫性みたいなものはあった方が良いんじゃないかと思っていた。


ぼくは「人間」が好きだ。人間の不確かさ、曖昧さ、不思議さに興味が強くある。でも、「人間」というのは余りにも大きなテーマ過ぎる。自分は「人間」のどこに興味があるんだろうとここ数日、時間があると考えていたりしていた。

そして今、自分は「何かをする」人間には究極、興味がないんだろうという思いに至った。歌を歌う人、絵を描く人、スポーツをする人、政治活動をする人、農業をする人、人はそれぞれに日々活動をしている訳だけど、その行いに一番の興味はないんだろうと思った。

ぼくが一番興味があるのはその人が何かをする際に生じるもの、分かりやすく言うと「機微」に興味があるんだと思う。
「機微」に活動のジャンルは関係ない。その人が「何かをする」時に、どういう風にやり、どのように葛藤したり、時には嘘をついたり、やさしさを見せたり、不確かな存在となったりするのか、そこに一番面白さを感じているのだと思う。

おそらく、その「機微」というものこそなかなか眼には見えなくて、伝わりづらくて、時代の流れに疎くて、儚くて脆い。記録しなければあっさりとなかったことにされてしまう。だからこそ、記録して残しておきたいのだと思う。

そして、それを最も表現できるのが映像であり、ドキュメンタリーだから自分はドキュメンタリーを作りたいのだと思う。

それを世界と共有することが結果的に今急速に失われつつある、寛容性だったり、おもいやりの心を持つことの大切さに気づかせてくれるのではないかという願いを込めて撮り続けたいと思っている。

おわり

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