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未体験の〈子供の内面世界〉

書評:中川李枝子(作)、大村百合子(絵) 『いやいやえん』(福音館書店)

「児童文学の名作」だという評判を耳にして、「そういえばどこかで聞いたことのあるタイトルだ」と思い、読んでみることにした。孫や子に本書を買い与えてもいいような年齢の私が、大人として読んでみたのである。

作者も知らなかったが、巻末の作者紹介を見てみると、絵本『ぐりとぐら』シリーズの著者である。そっちも読んだことはないが、タイトルは知っているし、表紙絵も思い出せる。しかし、ネズミらしい「ぐりとぐら」を描いたその表紙画の絵柄が好きではなかったので、そっちについては試しに読んでみる気にもならなかったのだが、そういえば本書の絵は同じ画家によるもののようだと、本書を読んでる最中に気がついた。

主人公しげるの通う保育園では、園児が決まり事を守らないと、先生から「反省室行き」を命ぜられるという描写があり「今ではこんなことはできないだろうな。だいぶ昔の作品なんだろう」などと思いながら読んでいると、トイレを『ごふじょう(御不浄)』と書いており、想像していたよりもずっと古い作品であることに気がついた。それなら、今ではできないことが書いてあっても不思議ではない。

読了して、初版が「1962年」だと知って驚いた。そうとう古い作品だとは思ったが、まさか私の生まれた年の作品だとは思わなかった。また、そんな古い作品が、いまだに話題になるとは大したロングセラーの名作である。
無論、本作が著者のデビュー作であり、そのあとにも『ぐりとぐら』シリーズなどの名作をいくつも書いているから、本作もいまだに生き残っているのだろう。それにしてもすごい。

こうした知識を得、かつテレビアニメの洗礼を受けた「テレビアニメ第一世代」である私の目から見ると、本書の表紙挿絵画家である大村百合子の画風が、いかにも古風なのも納得できる。
「いかにも児童文学の挿絵らしい画風」だと私にも思えたのだが、私のこうしたイメージは、きっと相当古いものであろうから、そのイメージに合致するというのは、相当に古い画風である証拠だとも言えよう。
先日読んだ絵本、あだちともの『とうふちゃん』(2013年)は、いま思えば、あきらかにアニメ絵の洗礼を受けた作者によるものだと気づいた。

さて、問題の内容である。

本作は「第一反抗期」の子供の「内面世界」を描いた作品だと言えるだろう。むやみにルールに反したがる主人公の少年しげるは、いかにもこの世代の少年らしいし、現実的世界と幻想世界(子供の内面的幻想世界)との往還、あるいはその不連続性は、いかにも大人が分析的に描き出した、幼い子供の内面世界であろうと思う。

だが、私自身は、あまり「子供」というものに興味がない(私は総じて、過去には興味がない、良くも悪くも「この先」指向である)せいか、自分の子供時代の意識のあり方というものが、あまりよく思い出せない。したがって、本書著者が、現実の子供たちの内面性を、どの程度正しく描いているのかもよくわからない。
まあいずれにしろ、ここに描き出された世界が、子供たちの心をとらえるものであったのは確かなようで、まさしくそれこそが児童文学の目的なのであれば、子供たちの内面世界を正しく捉えているか否かといった問題は、さほど重要なことではないのかもしれない。

私は、かなり小さな頃から「マンガ」と「アニメ」に親しんでいたので、「絵本」にも「児童文学」にも、とんと縁がなかった。いまでも「絵本」とか「児童文学」と聞くと、なにやら「上品で、お金持ちの子弟が読むもの」というような印象がある。

私が活字本を読みはじめたのは遅く、最初に、最後まで読んだ(読了できた)小説本は、高校生の頃に読んだ、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』のノベライズで、これはアニメが好きで、筋も知っていたから読めただけである。しかし、その数ヶ月後には、課題として読まされた、夏目漱石の『こころ』で、小説の面白さに目覚めることになる。
それまでの私は「活字の本では、冒険もアクションも目に見えるように描けないのだから、文字ばっかりでは面白いわけがない」とそう思っていたのだが、漱石の『こころ』を読んで、活字の本は、マンガやアニメよりも詳細に「心(内面)」が描けることを知り、心底「すごい」と驚嘆したのである。

そんなわけで、私は「絵本」や「児童文学」をスルーしたまま、大人になってしまった。
社会人になってからミステリ(推理小説)に凝って、ミステリマニアのサークルにも入ったのだが、そこのメンバーの多くは、子供時代に、江戸川乱歩の『怪人二十面相』に始まる「少年探偵(団)シリーズ」や、モーリス・ルブランの子供向けミステリである「名探偵ルパンシリーズ」を読んでいた。
私は、大人になってから、「教養」として、乱歩の「少年探偵シリーズ」を最初の方だけは何冊か読んだものの、いまだにルブランについては、大人向けもふくめて1冊も読めていない。その暇がないのである。

また、これも大人になってからだが、現代児童文学の短編傑作選などを何冊か読んで、児童文学の名作もひとわたり読みたいと思い、講談社文庫がかなりの冊数を刊行し、当時すでに大半が絶版になっていた児童文学シリーズ(AA)の作品を、古本でかなり買い集めたが、結局、それを読んでいる暇はなかった。

要は、読めなかったジャンルの本には心残りがあり、今でも読みたいという気はあるのだが、残念ながら残された時間と、いま読みたいジャンルとの兼ね合いを勘案すると、そうしたジャンルの本を、今からまとめて読むというのは、おのずと断念せざるを得ないのだ。だが、折りにふれ、機会があれば、そういうジャンルの古典作品を読みたいとも思い、今回もそのような読書だったのである。

さて、本作の感想だが、大人となってしまった今の視点からすると「なるほど、子供にはこういうのが面白いのかもしれないし、あまり教育臭が強くない教育的内容も、いかにも昔の児童文学らしい」などという、醒めた感想になってしまう。子供の頃に読んでおれば、きっと物語の不思議な世界に入り込めただろうに、とは思うものの、それは今や叶わぬ夢でしかないのは、きわめて残念なことだ。

Amazonのレビューを見てみると、本書を子や孫に贈ったというレビュアーが少なくない。子供の頃に読んで、忘れられない作品なので、子や孫に贈ったということのことのようだし、読みかえして、懐かしさとともに感動が甦った人も少なくないようだ。

しかし、子供の頃に読んでいなかった私には、そうした感動を味わうことができない。
そのかわりに、外のジャンルで人一倍楽しんできたという自負はあっても、やはり、大好きな「読書」の世界において、自分が体験できなかった喜びを感じることのできた人たちには、羨望を感じずにはいられない。

我ながら何とも欲張りな話ではある。

初出:2020年9月14日「Amazonレビュー」

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