江戸〜京都間って3日で踏破できるの?【歩いて目指せ日本橋9日目】

この記事は、江戸時代の旅人みたいな放浪の旅に出たいと思い立った人生どん詰まりの京都在住OLが、京都三条大橋から東京日本橋までを徒歩で旅しようと試みた18日間の記録です。


【ルール】

①東海道上に設けられた53の宿場町を通り、京都三条大橋から東京日本橋を徒歩で旅する。
②通行止めなど余程の理由がない限り、「東海道」以外の道を歩くことは禁止。道を間違えた場合は、間違えた地点まで戻って歩き直す。
③移動手段は基本徒歩。徒歩で渡れない三重〜愛知間の移動のみ電車OK。
④各宿場町では、歌川広重の浮世絵集「東海道五十三次」と同じ構図で写真を撮る。


【前回の記事】

三河国・吉田宿(愛知県豊橋市)

おはようございます


おはようございます。今回は愛知県豊橋市にある吉田宿からスタートです。いよいよ愛知を抜けて、静岡県は浜松市にある浜松宿まで向かいます。距離にして40キロ超えと、未知の領域なので震えています。

東惣門のレプリカ


ピレーネ


旅の序盤のお供は豊橋市のソウルスイーツ・ボンとらやのピレーネです。ふわふわのスポンジでたっぷりのクリームを包み込んだお菓子で、とんがった見た目がピレネー山脈に似ていることから、「ピレーネ」と呼ばれているそうですが、愛知県内の色んなお店が類似品を出している関係で地域によって呼び方が異なり、アントルメ、パリジャン、ポワロンと少なくとも10以上のバリエーションが存在するようです。某あんこを詰めて金型で焼くお菓子のばりの大論争ですが(私は回転焼き派閥です)、全部フランス語由来の横文字でオシャレなのが悔しいですね。
しっかり腹ごしらえして、まずは二川宿を目指します。

三河国・二川宿

二川の本陣跡資料館

二川宿に着きました。三河にある二川ってなんだかややこしいですね。
二川は本陣跡資料館が面白いと聞いたので、休憩も兼ねて訪問することにしました。江戸時代の東海道の旅人や宿場町の様子を、服装、持ち物、ガイドブックなどなど様々な面から楽しく勉強できます。

ジオラマっていいですよね


中でも目を引いたのが、京都〜江戸間の移動にかかった時間の比較です。書き起こしすると以下の通りです。

徒歩:約2週間
町飛脚:6日間
継飛脚:3日
1889年東海道線:17時間半
1930年特急:7時間45分
1958年ビジネス特急「こだま」:6時間15分
1964年新幹線「ひかり」3時間半
新幹線「のぞみ」2時間15分
飛行機(羽田~伊丹)1時間


苦しみながら歩いている身としては、新幹線と飛行機の速さにしか初めは目が行かなかったのですが、よく見たら継飛脚なる人たちは「3日」で京都~江戸間を移動したとあるではありませんか。どういうこと??
継飛脚は、幕府の超重要文書を京都の朝廷に届ける幕府専用の飛脚で、「継」の漢字が表す通り、複数人がリレー形式で文書を運ぶことで、最短3日という徒歩にしては脅威的なスピードで京都〜江戸間を移動していたそうです。
複数人が昼夜問わず全速力で走れば、3日で踏破も可能なのかと考えましたが、もちろん平坦な道ばかりではなく、道中には坂、峠、川、海路などもあるわけで、本当に最短3日が可能だったのかはにわかに信じ難いです・・・。それとも、霊長類最速のパタスモンキー(最近知った)並の爆速ランナーが、江戸時代の日本にはいたのでしょうか?東海道を踏破した今でも疑問でなりません。

時速55キロ 霊長類最速の猿



さて、資料館の話に戻りますが、資料館は二川宿の本陣(VIP用ホテル)跡地にあり、当時の本陣と旅籠(庶民用ビジホ)の宿舎の様子も復元されています。

こちらはビジホ・旅籠の様子です。到着した客の足を女中さんが洗っています。


こちらは三重県の関宿の様子。女性はいませんが、ちゃんと足を洗っています。
旅籠の中はこんな感じ


一般の人々の宿泊施設には、旅籠(はたご)木賃宿(きちんやど)の2種類があります。前者は食事と前回の記事でも書いた「飯盛女」付きで、後者は素泊まり式です。

VIP用の本陣

一方こちらはVIP用の本陣です。本陣の特徴はなんといってもこの玄関です。普通の旅人のように体一つでくるわけではなく、お付きの人や荷物も多いうえに高貴な方々をお出迎えするので、「フロントで足洗って適当にお上がりください」とはいかないのです。


商家も復元している二川

この資料館の他にも、二川宿は江戸時代当時にあった商家の建物を復元していたりと、タイムスリップしたような気分になれる仕掛けが多く、とても見応えがありました。
ただし、問題は、この旅のミッションの一つ「歌川広重の浮世絵と同じ構図で宿場町の写真を撮る」です。

二川宿の浮世絵


こちらが二川宿の浮世絵です。左端には名物の柏餅屋、真ん中には盲目の遊行芸人たちが描かれています。しかし、柏餅も大道芸人さんも令和の二川にはありません。
どうしようかと悩んだ挙句撮ったのが次の写真です。

なめてやがる


みんな大好きブラックサンダーは、ここ豊橋で製造されています。紛れもない豊橋銘菓なので、これを柏餅屋の代わりに見立てて、遠くに見える山を何となく絵の中の山に見立てて撮りました。せめて食べる前に撮れよ。
ブラックサンダーでエネルギーもチャージして、静岡との県境に向かってひたすら歩きます。

愛知と静岡はキャベツの生産量のツートップと聞き、キャベツ畑の写真を撮ったつもりがブロッコリー畑でした。そんなことある?


SHIZUOKA!!!


画質がガビガビですが、ついに静岡県・湖西市の標識が見えました。やった〜!!!3日半ありがとう愛知!!!

遠江国・白須賀宿(静岡県湖西市)


さて、ついに静岡1つめの宿場町に着きました。白須賀宿です。やたら坂を上った先にありました。

曲尺手(かねんて)

先が見通せないように作られた急カーブな道です。iPhoneで「かねんて」と打ったら普通に変換できてビビりました。
曲尺手は、岡崎の際にも振れたように、道を曲げることで敵の進軍スピードを落とすという防衛目的の他に、大名行列に配慮して作られたものでもあったようです。
江戸の頃、大名行列がすれ違う際は、身分が低い方が輿を降りて頭を下げる必要がありました。しかし、主に頭を下げさせる場面はないに越したことはないので、家臣たちは他の大名行列とかち合わないよう気をつける必要がありました。そこで、1人が曲尺手の先に他の大名行列がいないかを確認しに行き、もしいれば、「休憩しましょう!」などと言って主人を脇道などに避難させていたみたいです。

明治天皇も来た
西からの旅人にとっては初の太平洋
白須賀宿は坂の上にあるので、遠州灘の見晴らしもいいです。


また、白須賀は、西からの旅人にとって、初めて太平洋を拝める場所でした。明治天皇が、人生で初めて太平洋を観たのもここだそうです。確かに私も西側から歩いていますが、伊勢湾以外で海を見る機会がなく、思わず「太平洋だ・・!」と感動しました。生まれて初めて太平洋を見る人も多かったと思うので、

休憩がてら太平洋を眺めていたら、地元のおばあちゃんに話しかけられ、おばあちゃんの半生を大河ドラマのごとく聞かされました。バリバリ仕事も育児もこなしてきたメンタル最強のスーパーウーマンでした。私もかくありたいです。

今度はキャベツであることを確認して写真を撮りました。後で浜松で食ってやるからな。

遠江国・新居宿(静岡県湖西市)

先が長いのでどんどんいきます。潮見坂という坂を下り、のどかな旧道をひたすら歩き続けて2時間程度、新居宿(あらいしゅく)に着きました。一度「あらい」と読み始めると、「しんきょ」とは読めなくなる呪いにかかります。

2時間歩いてさすがに疲れたので、卯月園のうず巻をおやつに休憩しました。味は素朴ですが、生地がモッチモチで食べごたえがありました。なんか今日食べてばかりですね。


うず巻の後ろに見えるのは、全国で唯一現存している江戸時代の関所です。

関所

関所は箱根が有名ですが、あれは復元で、実際の建屋が残っているのはこの新居の関所だけです。
現在の建屋自体は幕末に建てられ、明治以降も現役で使える位年季が浅かったので、関所制度がなくなってからも、学校や役場等の別の用途で使われていたようです。
西からの旅だとわかりにくいですが、新居の先には浜名湖があり、東からの旅人は浜名湖を越えてようやく一息かと思いきや、ここで厳しいチェックを受けなければなりませんでした。特に女性は国元を無断で出ることは御法度で、関所では離れの建物で着物や髪の中までチェックを受けたそうです。

新居の関所での身体チェック


幸い令和の旅人は自由に都道府県間を行き来できるので、関所に手を振り新居宿を後にしました。ここから浜名湖を超えます。

浜名湖は元々内陸にありましたが、室町時代の大地震で湖と海を隔てていた陸地が裂け、海と繋がったようです。この切れた部分を「今切」と呼び、この上を通る海路を「今切の渡し」といいます。東海道の旅の先輩・弥次喜多さんもこの「今切の通し」で舞坂から新居に移動していました。あいにく令和の旅人用の船はないので、浜名湖にかかる橋を渡って徒歩で浜名湖を越えます。思えば弥次喜多さんは道中馬も使ってしているので、徒歩縛りの現代人の方が足への負担は大きそうです。

浜松市に入りました。頭には浜松餃子しかありません。
弁天島
弁天島は前述の地震で舞坂から切り離されて出来た島で、今はリゾートや潮干狩りの名所となっています。遠くからでも目立つ鳥居は「弁天島観光シンボルタワー」といいます。ネーミングセンスが思った以上に昭和でした。

遠江国・舞坂宿(静岡県浜松市)

舞坂の船着場です。ほぼ全部内陸を歩いてきたので、磯の香りがするのが新鮮です。

新居を出てから約6キロ、浜名湖の東側に着きました。舞坂宿です。

脇本陣

閉館前にギリギリ間に合ったので、舞坂の名物「脇本陣」を見学しました。あいにく中の写真はありません泣 
本陣がVIP用ホテルというのは何度か触れましたが、脇本陣は万一本陣に泊まれない場合に使う宿泊施設です。東海道の中で脇本陣が現存しているのはここ舞坂だけです。

舞阪宿の東側の出入り口にある松並木が立派でした。夏であれば日差しをしのぐのに良さそうですが、生憎極寒の12月です。


大分暗くなり、最寄りの駅から帰る事も頑張りましたが、どうしても浜松餃子で一日を締めたい(あと新幹線一本で帰りたい)ので、あと10キロ、浜松まで歩きます。3時間くらいあれば着く早朝から歩き続けた末の残り10キロは中々応えますが、浜松餃子の為頑張ります。。。。

浜松までの道はほとんどまーーーーーっすぐで、加えて真っ暗なので全く写真を撮りませんでした。唯一「二つ御堂」だけ撮りました。

二つ御堂
平安時代の奥州の覇者藤原秀衡とその妾を祀るお堂

遠江国・浜松宿(静岡県浜松市)

夢にまで見た

浜松宿に着きました。もう真っ暗です。足がガッタガタです。
浜松宿自体は次回の旅で触れるとして、本日は浜松餃子で優勝していきます。

勝鬨をあげようぞ


浜松餃子はキャベツを使った餃子です。日中キャベツ畑を眺めながら「後で食ってやるからな」とガン飛ばしてきたので、ようやくありつけて幸せでした。

なんとか浜松まで歩くことが出来たので、帰りは新幹線一本で京都まで帰ることができました👏歩数計を見たら7万歩を超えていました。どおりで足が痛いわけです・・・。継飛脚が3日で移動できていたなんて絶対嘘だ・・・。

さて、次回はいよいよ静岡にどっぷり浸かって旅していきます。毎度更新遅くてすみません!!

寧々

【おまけ】歌川広重の浮世絵と同じ構図で各宿場町の写真を撮るチャレンジ

二川
説明しないとただのお菓子食べた報告になる
白須賀
太平洋きれいでした
新居
後ろの山が何か分からない
舞坂
こんな高い山なかった気がするのですが・・・


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