見出し画像

今もし、ゴッホ が生きていたら

ゴッホ アライブという、新しい形の展覧会に先日行ったときに思ったことをつらつらと。


展覧会は平日に関わらず、人はいっぱい。
年齢性別もバラバラ。
おばさまが若干多い感じ。

たまたま、私の愛してやまない安藤建築の美術館での開催で、美術館を出るまで興奮しっぱなしだった。

内容は、ゴッホ の絵画を360°パノラマで、プロジェクションマッピングのような形。生涯の流れに合わせて映し、映された絵の中の水面や星などが動く。
その映像でに合わせて音楽も流れ、気づかなかったが、匂いもあったっぽい。

エンターテイメント性のある展示だった。
これならあまりゴッホを知らない人も楽しめるかもしれない。

入ってすぐのところに立体化されたゴッホの世界で
記念写真が撮れる
この360°パネルにゴッホの絵が
人生の流れに沿って映しだされる

これは、私もいつか挑戦してしたい見せ方だと思った。


でも、気になったのは
もしゴッホが今生きていたとして
望んでいた形ではないだろうな、ということ。

星降る夜 という作品

 
描いた絵が売れて、それで生計が立てていたなら
喧嘩して耳を切ったり
ピストルで自殺を図ったりすることはなかったんじゃないかな。


当時売れた絵は、一枚だけだったらしい。
癇癪持ちで、親にも扱いにくいと思われて
弟の1人、テオだけが味方だった。

描いても描いても売れない絵。
テオに世話になってる自分。

今はこんなに華やかに展示されているのに
死んでから評価されても、遅いんじゃないかな。


私は命を削りながら描かれたようなゴッホの絵は割と好きだ。
だけど、後期の空に渦巻きが渦巻いている絵は、見てるこちらが病んでしまいそうになるから苦手。
渦巻く前の夜空の絵はステキなのに、精神状態でこんなにも変わってしまう。

療養院に入ってる頃に描かれたものが多いらしいんだけど
ひまわりやアーモンドの木が描かれたものを見ると、何か安心した。

自画像もその時々で変化していた。

「僕はある種の穏やかさを感じている
危機の最中にも救いはある
もし何事も成そうとしなければ、人生に意味はない」
「僕の中には大きな炎が燃え盛っているが、
誰も立ち止まってそれにあたろうとはしない
行き過ぎる人が僅かな煙に気づくだけだ」
「人を愛すること以上に
真に芸術的なことなどないと思う」
「僕は悩める生き物だから、自分を超える大きな存在、
それこそが僕の命である想像力なしでは何もできない」


寂しかったんだろうな。
絵を描くことしかできなかったんだろうな。
評価してもらえたら、少しは寂しさを紛らわせたんじゃないかな。

そんなことばっかり考えてた。

ゴッホのプロフィール




私が絵を描くきっかけは、鬱病になったことだったから
何だか複雑に、いろんな感情が巡った。


誰かが言ってたことを思い出した。

「推しは推せる時に推せ」

今はいろんな形で好きな人と繋がるツールがあるのだ。
昔では、実物を持って、会って話すしか方法がなかったのに
移動できる範囲や、会える人も限られていたのに。

明日、自分の好きな人がいなくなるかもしれない。
だから、ほんとそれな。
推せる時に推しておく。後悔ないように。

時代が違えば、ゴッホも推してもらえたかもしれない。
このゴッホの展覧会で発生した売り上げとか
本人には渡せないわけで、せめて
何割か、辛い思いをしている人を癒せることに使ってくれたらと、勝手に思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?