前置き
(承前)
さらに勢いで。と言っても、今回はタイトルに偽りありでして、講演ではなく小説。
日本人なら誰でも知っている(?)「吾輩は猫である」。
これを読んだことのない日本人はまずいない……というイメージすらある「猫」ですが。
これから引用する箇所はあんまり話題にのぼらないような。
皆さん、読んでるようで、実際にはあんまり読んでなかったりするのでは?と、ちょっと疑問が湧くところです。
引用箇所は小説のラストに近いあたり。「いつもの面々」が、あーでもない、こーでもないと、浮世離れした哲学的(?)議論を交わしているのですが。その中で迷亭氏が語る、冗談とも本気ともつかない「未来記」の一部分。
これまでの記事以上に引用の分量が多いですが、太字にした部分だけを拾えば、一応の話の流れは追えるのではないかと思います。
とは言え、大文豪の代表作ですから、できればトータルで味わっていただければと(笑)。
「吾輩は猫である」より「将来、結婚が不可能になる」議論(附:芸術も不可能になる)
引用箇所の初出となる「ホトトギス」誌の「国立国会図書館デジタルコレクション」リンクも貼っておきます(要、国会図書館アカウント)。
「ホトトギス 第九巻第十一号」(1906年8月)
あと、文中で引き合いに出されている小説家。
今回引用した箇所。核家族化とか、結婚の困難化とか、現代芸術の辿った隘路とか、なかなか鋭く予言しているのではないかと思います。
(核家族化についてはすでに始まっていたのでしょうから「予言」というほどではないかもしれませんが。)
その原動力としては「個性の発展」が挙げられているわけですが。そこまで含めて当たっているかは、人によって判断が分かれるかも?
ただ、控えめに見積もっても「当たらずといえども遠からず」ぐらいのところには達しているのでは。
今日、こうした問題(から生じる、少子化問題など)について。
女性に高学歴を与えず、無知蒙昧たらしめれば良い的な「解決策」を口走る人がいたりはしますが。
まぁ無理なことだと思います。
というより、そういう話なら別に女性に限らず、「男女とも、学校はなるべく中学校ぐらいでさっさと終わらせ、早めに結婚して、たくさん子供を生み育てるようにせよ」とでも言えば良い理屈のはず。
もちろん、時代錯誤この上ないですけどね。
漱石が100年以上前に見て取っていたように、「文明が進むと、個性が発展し、結婚が不可能になっていく。」
そういう力学が働くことを大前提に、こうした問題への対処は考えられねばならないのだと思います。
* * * * *
現代芸術については……。
自分にそこそこ分かる芸術音楽のジャンルで言いますと。
ストラヴィンスキーが1910年(上記引用文の4年後)に書いた「火の鳥」は、「個性的」な作品ではあるけれど、今日でもそれなりに愛好されていると言えるでしょう。
しかし、さらに「個性の発達した」現代の音楽作品となると……。
例えばシュトックハウゼンの「ヘリコプター弦楽四重奏曲」なんかは、現代音楽作品としては相当に名前が知られている部類かと思いますが。
この作品を日々愛聴しているという人は、いるとしても、ごく少数だろうなぁ、と(苦笑)。
じゃ、そんなこんなで「芸術も滅びる」宿命なのかというと、「どうも直覚的にそう思われないんです」と、私も思ったりはするのですが。