ルサンチマンからの解放。
自分を愛するとか自分を受容するとかってことをしていく中で、結構手間取ったもののひとつが生きづらさからくる自己卑下をこじらせたルサンチマンと向き合うということでした。
ルサンチマンというのは、
主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことをいう。(Wikipediaより)
このような感じのいわば嫉妬のようなテイストのもので、まあまあ醜い感じがする上に この感情に支配されているのを認めるのってなかなかに敗北感を味わうことになるのですよね。
嫉妬ってそれ単体でも結構 心がヒリつくじゃないですか。その上でさらに負けを認める惨めさを食らわされる、みたいな。
その刺激物を受容するのって、やっぱり痛みや生理的な拒否反応とか認めたくなさ、気持ち悪さが出てくるものだと思うんです。
わたしなんかは自分が善良な人間だと勘違いして生きてきましたので、嫉妬心やルサンチマンが湧いてきたとしてもその都度冷静を装い、それがまるで自分の感情ではないかのように、そこから逃げるように見て見ぬ振りをしたものです。
そう。誰にも見られていないときでさえいつも感情を一定に保たなければかっこ悪いと思っていましたし、誰も見ていない場所ですら「しっかりしなきゃ」とか「穏やかでいなきゃ」と自分で自分を厳しく監視していたんですね。
でもよく考えるとそっちのほうが不自然だし、気持ち悪いし汚いですよね。
そりゃ怒りも嫉妬も虚しさもやってられねえ感も、行き場を失って溜まっていくわけです。
人のこと気にしないで自由に要領よく生きている(ように見える)人を見るとモヤモヤしたり悔しくなったり、自分の位置まで落ちればいいのに… と思ったりするわけです。
自分で自分を縛っていない人を、本当は羨ましく思うのに羨ましいと認められずに羨ましくないふり。
羨ましいと思っちゃったら自分がその嫌いな相手より劣っているのを認めることになる(ような気がする)から、相手を見下し始める人もいますよね。
自分は正しい。なのに生き辛い。あの人はこんな痛みも知らずに、なのに上手くやっている。眩しい… 悔しい… 許せない…
そうやって【 ルサンチマンおばけ 】が出来上がるんですね。
いつの間にか自分が嫉妬心に苛まれていることにも気づけなくなって、欲しいものを欲しいと願える素直さがあったことさえも忘れてしまう。
そして外の世界が自分に何かを与えてくれることでしか自分は幸せになれないんだ…と心のメガネが誤作動を起こし、そのような認識で世界を見るようになる。でも世界は変わらない。他人も変わらない。いつまでたっても変わらない。
これでは圧倒的しんどさを纏ったまま生きていくことになりますよね。
その欲求不満は自分か他人の自尊心を傷付けることに向かいます。
パワハラとかいじめとか誹謗中傷なんかもう、欲求不満の成れの果て。
そう、ルサンチマンてめちゃくちゃ重いんですよ。
ルサンチマンに支配されている間って自分が本当はもっともっと軽くて自由であるっていうことも忘れてしまうし、「命って素晴らしいよね」とか「生きてるってすごいことだよ」とか、そんなシンプルなことすら見えなくさせる。
抑圧された嫉妬心には、自分の持っている力を見失わせるほどのインパクトがあるんだよね。
ただ嫉妬とか復讐心てエネルギーがどでかいぶん、頑張って受容して上手く転換できたら、人生に転機を起こすくらいには強力な追い風を吹かせてくれることになります。
そりゃそれだけ重いものなんだから、手放したときの解放感もひとしおで。
陰と陽ってやっぱり表裏一体で、自分の素晴らしさとかを忘れさせるだけのパワーのあるものなんだから、裏を見ればそれだけ財宝がザクザクなわけですよ。
こればっかりはもう、黙ってたらいつか他人がやってくれるとか一切ないので、白目剥きながら自分で向き合わなきゃいけない部分でありますな。
今まで嫉妬心を溜め込みながら、それを感じないように自分を叱咤激励しながら、重い荷物を背負いながらも人のために笑顔で生きてきたこと、ちょっとはいたわってあげられたらいいよねっていう。
逆に自分を許したり愛したりいたわるってことを放棄した怠慢の結果、人は重くて淀んだルサンチマンおばけを心のなかで成長させることになるのだよね。
いつも正しくて清らかで安定していなくていいってことを自分に許してあげて、自分の不安定さみたいなものを自分でちゃんと愛してあげられたらさ、わざわざ人の不完全さや自分と違うところを否定して気持ちよくなったりとかじゃなくて、愛のあるコミュニケーションで世界と関わっていけるとおもうから。
ルサンチマンの奴隷になるなよ♡
今日もお付き合いありがとうございました!
何か参考になりましたら幸いです(﹡ˆˆ﹡)
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