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「ルールを作らなくても大人なら分かる」について考えた。国会議員の会食によせて

緊急事態宣言をうけて、国会議員の会食に関してのルールを与野党が作ることになった。
夜8時以降、4人を超える会食を控えるとのこと。

上のTwitterリンクを押していただいても良いが、記事のツイートへのリプライを見ると、その多くが、「ルールなんて定めなくても今のコロナの状況をみれば自粛するのが当然。小学生の学級会じゃないんだから」と国会議員の良識を疑問視するものが多い。

一歩引いて考えてみる

こうした常識的に考えれば分かるとの指摘をする気持ちは分からないでもないが、わざわざ国会議員が自分たちの枷になる行為をする理由があるはずだ。
記事のツイートを見て以降ずっと頭の中で考えてきて、ある程度納得できる解が生まれたので、ここに記したいと思う。

ルールを作る理由1. マニュアル・規準を作り、事故を起こさない

国会議員の会食ではないが、仕事においてルールを作るときはマニュアルの意味合いを含むことがある。(マニュアルにルールの意味合いが含まれるが正確か?)

例えば、交差点を左折するときはミラーを確認しなくてはならないというルールは、ちょうど車体の左後ろが死角になりやすいためにできており、事故の起こりやすいシチュエーションを回避するためである。

このことは、問題が起こりやすい状況を防ぐためであり、会食の時間や人数制限の条件もそのためである。
別の見方をすれば、ルールを策定した人間はどこが急所かを分かっていることになる。

ルールを作る理由2. アナウンス・アピール効果

仕事上でシステムエラーが起きたとき、上司から今後の対策・再発防止策を示すように指示されることがある。
問題が再現しないように、あるいは問題が再発したときにどうするのかのルールを作るのだが、作成した対策案は上司のチェックを受けることになる。

そのとき確認されるのは、なぜ問題が起きたのかを正しく把握できているかと対策案が原因に呼応しているかである。
これが満たされていれば、仮に対策案が本当は何の役にも立たなかったとしても、チェックはパスされる。(問題が再発してみないと実効性が不明なため)

この対策案を提示することで問題の場所を知らせる行為は、ある意味で上司へのアピールの場である。

会食についていえば、会食は感染上問題の起こり得る箇所だと国会議員も思っていますというアピールということになると考えている。

ルールを作る理由3. 批判されるポイントを制限する

仕事で企画案を会議に持って行くときに、議論ポイントを資料に盛り込むことがある。
これは何をする会議なのかを参加者に分かりやすくする効果があるだけでなく、企画案に変なケチを付けさせないためでもある。

あらかじめ議論のテーマを提示して、想定外のツッコミを回避するのだ。見方をかえると、会議の議題に関してルールを作ったことになる。

仮に本質を捉えている指摘があったとしても、「今日は●●について議論するため、●●に関してのお知恵をお借りしたい」と逃げることができる。

5人を超える会食や夜8時以降の会食の制限。つまり、会食自体は制限されておらず、会食の種類・内容に関しての制限である。

一旦、国会議員の会食に関するルールが決定さえしてしまえば、会食自体の是非という軸以外に、ルールを守った会食だったか?という軸が生まれることになる。

会食はしていても5人未満であれば「ルールに則って事にあたっています」と批判をそらし、むしろ正しい行為なのだと主張することさえ可能になると考えている。

ルールを作る理由4. ルール作成者に有利なルールだから

この世の中はルールを作れる奴が一番強いという言葉がある。自分にとって有利なルールを作って、さらに勝ち続けることができるからである。

さて、4人を超える会食を制限するとのことだが、これはそもそも制限なのだろうか?と疑問に思い、首相動静を何日か見てみた。

どうも、4人を超えて会食していることがそもそも少なそうだった。会食はしているが、大抵3人までである。

考えてみれば、情報交換のための会食である。会議の場にたくさん人がいれば、全員の話をちゃんと聞くことはできないだろう。飲み会で話が聞き取れる人数のまとまりは、多くて6人ほどであって、8人にもなればずっと話に集中できない。

となると、5人を超える会食は新年会やパーティくらいではないか?ということになり、人数制限は大した枷ではないのではと推測した。

夜8時以降という時間の制約については、今日の段階では抜け道を思いつかない。
しかし、1つ簡単に思いつくのは、そもそも8時以降に飲食店が休業するのだから、実質意味のない制限である可能性はある。

誰も彼も頭がいい

国会議員の会食ルールに関して「子供じゃないんだからルールをいちいち決めないと分からないのか」という批判について考えてきた。

わざわざ時間をかけてルールを作るのだ。頭が幼稚なわけがない。側から見たら滑稽そうでも必ずそこには理由がある。
企みがあってそれが成功するとしても失敗するとしても、大人だからこそ学級会のようなルールを作るのである。

では逆に、国会議員の行いを幼稚と指摘する人のほうが幼稚だろうか?

答えは否である。
「会食ルールをつくるのは理由があるのでは?」という趣旨の私のツイートへのエンゲージメント(いいね)よりも「国会議員は子供みたいだ」のほうがエンゲージメントははるかに多い。

世の中は何を求めているかを把握して、それに呼応したツイートができるのは、頭が良くなければできない。
心の中にある不確かな感情を明快な言葉にできるのは、確たる才能だ。

そのツイートにいいねをつける人にも何らかの背景や意図がある。
誰も彼も何かを真面目に考えて、生きているのである。

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