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零桜

 春の雨が憎い。本当に憎い。「まだ白い花弁の桜は強いので雨に流れませんが、桃色の桜は花弁が弱っているので雨に流れてしまいます」天気予報士の声が外耳道で静かに咀嚼される。私がかわりに濡れますから、あなたはもう少しそこにいてください。私は散り散りになってしまっても構いませんから、あなたはもっとそこにいてください。薄紅色の影を日本中に落として、醜悪な政治や差別、憎しみ、そして人間、目を背けたくなる厭なことに、全人類が陽気になれる蜃気楼をかけてください。そんな碌でもないものたちに目隠しをし、少し浮ついた世の中が日常になればいい。春の魔法にかけられて、朦朧とした意識の中で楽しみだけを知覚できるような、そんな世界にだらしなく身体を委ね続けれたらいいのに。戯言たちも虚しく雨は花弁に絡みつき、踏みしめる地面にはべちゃべちゃの桃色の花道。瞳からこぼれていく涙のように、風に梅の花弁がこぼれていくように、桜の花弁だってこぼれていると言いたくなる。「桜」に「散る」なんて動詞を照応させるのはあまりに悲しすぎるから。ただそこに咲くだけで、ぬかるむ地面も美しくなる。散る寸前の桃色の花弁が美しいなどこの世の理すぎるが、今日は咲いた直後の真っ白な桜が美しい。私の命日なのかも知れない。知らない。私たちは1秒先のことすら「知らない」、「知れない」のだから、未来のことは可能性でしか語れない。今日死ぬかも「知れない」し、死なないかも「知れない」。タイムマシンは魅力的だが、タイムマシンで未来を「知る」ことは浪漫に欠ける。来年の桜は見れないかも「知れない」が、眼前の桜が美しいことは知っている。これは浪漫ある知である。
どうかもう少し、薄紅色の余興に浸らせて。私の葬式にはざざ降りの桜が降り注ぎ、花弁と涙が私の身体にこぼれ続けますように。桜に抱きしめられて花葬されることを、人生最後の我儘としたい。

 白い花弁の桜は雨にも負けず、雫を受け止め凛と咲き続ける。車窓から見えた豪雨に共存する若い桜があまりに幻想的で、電車ごと桃源郷に迷い込んでしまったのかと錯覚する。暗い空と白い花弁、視界に色がない。こんな春を見るのは初めてかも知れない。死に触れて、春を感じる。桜の息吹に感化され、あなたの返り血を浴びたあの日を思い出す。ここまで、とても長かった。でも本当に一瞬だった。美しい、美しい、本当に美しく息が上がってしまう。美しくて怖い。この美しさを言語化できぬ己が怖い、怖い、怖い、怖い。桜の魔法にかけられて、桜の呪いにかけられる。魔法の終わりは桜の終わりで、呪いの終わりは私の終わりなのだ。言葉にならぬ美しさに侵されて、まだこぼれぬ桜に釘付けになり続けている。



 やはり今日は、私の命日かもしれない。

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