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昨日、髪を切った。 #2000字のドラマ

「失恋したから髪を切る」みたいなベタな事象が自分に起こるなんて、想像もしていなかった。

「バッサリいっちゃって良いんですね?」

美容師の念押しに、私は無言で頷く。
間もなくして、私の髪の毛は、美容室の床に黒々ととぐろを巻いた。

胸に渦巻く黒い気持ちもこんな風に切り落とせたら良いのに、と考えていたら、私の気も知らずに、

「お客様、すごく綺麗な髪だったから、ちょっと勿体ないですね」

と美容師が声をかけてくる。

そうでしょう、綺麗でしょう。
特にお手入れをしなくても艶々サラサラで、長年私のチャームポイントでした。
彼も凄く綺麗だっていつも褒めてくれました。
だから、切るんです。

「でも、頭の形綺麗だし、ショートも似合うと思いますよ! イメチェンって良いですよね」

「…たんです」

「え?」

「失恋したんです」

言うつもりじゃなかったけど、言ってしまったらもう止まらなかった。
別れの経緯、そして彼の悪口を、散髪が終わるまで、私はノンストップで喋り続けた。

「あら、イメチェン?」

「…の、つもりなんですけど。どうですかね?」

「良いじゃん良いじゃん、似合ってるよ」

オフィスにいるのも居た堪れず、屋上のベンチでお弁当を広げていたら、女の先輩に声をかけられた。

ベテランで面倒見も良いこの女の先輩に、私は大変懐いている。

「失恋?」

急に言い当てられて、心臓がドクンと跳ねた。
はは、やだなあ、としれっと流すつもりが、流し切れずにふにゃっと変な顔になったのが、自分でも分かる。

「図星かあ」

先輩は、そう言いながら笑うと、私の横に腰かける。

「あの、私実は…、つい最近まで、鈴木課長と付き合ってたんです」

「そりゃまたデンジャーなところを攻めるねえ」

「ねえ! 馬鹿ですよねえ、まさか奥さんが居るなんて知りませんでした

鈴木課長は、仕事ができて、イケメンで、物腰が紳士的で…つまり、若い女子に人気のある男の人だった。

指輪はしていなかったし、女性社員には

「バツイチだから、しばらく恋愛や結婚は良いかな。今は仕事に打ち込みたい」

で通していて、私もそれを信じ込んでいた。

そんな、男女の色恋に疲れて、そういうものからちょっと距離を置いている男の人が、私だけは特別扱いしてくれたから、すっかりハマってしまった。

自分だけは特別で、彼の傷を癒やしてあげられて…そんな風に本気で信じていた。愚かにも。

幕切れは、呆気なかった。

たまたま、彼とのデート中に、スマホ画面がチラッと見えてしまって、それが奥さんとのやり取りだった。っていう、それだけの話。

問い詰めたらあっさりとゲロって、カッとなった私は、「奥さんと別れて」とか「会社に訴えてやる」とか泣き喚いた。

ドラマや漫画でよくある泥沼を見ながら、私は絶対そんなありきたりな女にはならないけどね、とか思っていたけど、いざ現実に起こると、陳腐な台詞しか出てこない自分が、本当に馬鹿みたいだった。

そのまま別れ話にもつれ込んで、ひとまず頭を冷やそうとか丸め込まれて解散して…もう24歳の良い大人なのに、泣きじゃくりながらタクシーに飛び乗った。

1ヶ月、毎晩夜は泣き腫らしていたと思う。
彼の手酷い裏切りに何か復讐してやりたくて、でも何も思いつかなくて、悲しくて、自分が馬鹿みたいで、ただただ泣いた。

そんなボロボロな精神状態で鏡を見たら、髪の毛だけは相変わらず艶々していて、そういえば彼がよくこの髪を褒めてくれたな、と思った瞬間に、居ても立ってもいられず美容院に駆け込んだのだ。

「ほんと最低だね。でも告発とかは考えない方が良いよ、あんたが不利になるだけだから」

そういう先輩の横顔は、過去に私と似た辛酸を舐めてきたんだな、と察するに相応しい苦さに満ちていて、なんとなく気が楽になった。

「そうですね、せめて先輩に話せて良かったです。ってか、先輩は薄々勘づいてたんじゃないですか?」

「うーん、半々? なんとなく、課長のこと好きなのかな、ぐらいには思ってた」

昨日、美容院で散々毒を吐いて。

吐き切った後で、今更我に返って、
ああ、なんて恥ずかしい、穴があったら入りたい…とジタバタしている私に、美容師が言ったひとこと。

「その人のこと、本当に好きだったんですね」

裏切りが分かって以来、私の心は、彼への憎しみで黒く染まってしまって。
過去の思い出も、全部黒で塗り潰されたようで。

でも、改めて人に言われると、本当に私は彼のことが好きだったんだ、と思うことが出来た。

「これからどうするの?まさか会社辞めるとか言わないよね?」

「はは、まさか」

私達の日常は、物語では無いから劇的なことは起こらない。
明日急に世界が滅亡することも無ければ、課長が奥さんと別れて、私を選んでくれることもない。

『新着一件:昨日はご来店いただき、ありがとうございました。もし良ければ今度ご飯に…』

でも、そんな日常の中にも小さなドラマはある。
新たなドラマが始まる予感がした。

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