分人主義という考えに救われる
平野啓一郎の「私とは何か「個人」から「分人」へ」を読み終えた。
前から気になってはいたものの「分人?よくわからんな」と思って読まずにいたのだけど、ネットサーフィンをしているときに誰かがおすすめしてたので、とりあえずは立ち読みをしようと思ったが結局お買い上げしていた。
そもそも、最近自分のなかで「ひとの多面性」みたいなところに興味があった。例えばわたしは暇な時はひたすらytでvloggerを見ているんだけど、同じvloggerという括りでも、所謂「丁寧な暮らし」をしている人たちや、そんな人たちとは真逆の「雑だけど、リアリティある暮らし」をしている人など様々で。
自分自身、丁寧な暮らしに憧れるしガーデニングをしたいとも思っているけども、だらだら1日中漫画を読んだりアニメを見ていたい自分もいる。栄養バランスを考えた食事をしたいと思う自分もいれば、食べれればなんでもいいって思う自分もいる。
そうすると、ふわっとあの言葉が出てくる。
「本当の自分はどれなんだろう」
自分は本当はどれをしたいと思っているんだろう、何を望んでいるんだろうと、うーんと唸りながら考える。
考えて、考えて、その結果わたしの中で出た答えは
「全部、どの考えも自分なんじゃね?」
サイコロのように自分にはたくさんの面があって、一つの面だけが自分なんじゃなく、6つの面全てが自分なんじゃないかと。
1の面の自分(丁寧な暮らしがしたい自分)も、6の面の自分(ぐーたらして過ごしたい自分)も、そのどれかが自分なんじゃなく、1〜6までの面が揃って自分なんじゃないのかって、思うようになった。
この考えが、この本でいわれている「分人主義」と重っているんじゃないか思い読み進めたが、なるほど自分がうまく言語化できなかったことが書かれてあった。
たった一つの「本当の自分」など存在しない
対人関係ごとに見せる複数の顔がすべて「本当の自分」
と本文に書かれてあって、自分の考えと一緒だ!と嬉しくなった。
そしてこの「本当の自分」が分人であり、「本当の自分」をわけられないものと考えるのではなく、分人を区別し、自分という人間を複数の分人の同時進行のプロジェクトのように考えたらどうか、ともあった。
わたしの中でも「どれもが本当の自分だ」と結論づけたけど、それをさらに確固たるものにしてくれた。そしてこの分人主義という考えは、他者とのコミュニケーションで悩んでいるひとや「本当の自分」がなにかわからない人にとっては、心が軽くなるんじゃないかと思う。
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