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#読書記録 「NASAより宇宙に近い町工場」

著者の植松努さんのTEDは聞いたことがある。この方が一貫して伝えているのは「どうせむり」という言葉をこの世から無くすんだということ。北海道の小さな町で、ロケットを飛ばせている、宇宙開発をできているんだから、「どうせむり」なんてことはないんですよって。僕たちでさえできているのに、どうしてもっとお金がある企業がやらないのか、それはみんな宇宙開発なんてどうせ無理と思ってるからですよと。

このどうせ無理という言葉が作り出されるのは、教育現場に原因があるのだと著者は言う。枠組みを作って、そこに子供たちを押し込んで、なにか子供たちがやろう!とすれば、いやいやそんなことはどうせ無理だよと言ってくる、そういう大人たちが今の日本には溢れてると。

「ロケットを作りたい」

『東大に行かなきゃできないよ。君の成績じゃせいぜいこの学校に行くことしかできないよ』

著者が進路相談を学校の先生としたときの一コマ。

こういったやりとり、身に覚える人はたくさんいるんじゃないかな。かく言う私も、高校の進路決めのときはどうせ無理のオンパレードだったし、そうなれば自分でも、あ、どうせ無理か・・・なんて言葉が出てくるようになる。

わたしは高校が普通科ではなく、学問に重きを置いている学科ではなかった。普通科の人たちが学ぶ量の数学や社会史、英語を学ぶことはなかった。だから、行ける大学も限られる。大抵の卒業後の進路は、そのまま就職をするか専門学校に通うか、AO入試で大学に入るか、しかなかった。勉強量が圧倒的に違うから、センター試験をうけることもできない。

わたしは昔から活字を読んだり、雑誌を切り抜いて自分でコラージュを作るのが好きだった。今の自分なら「現実を見ろ」と過去のわたしに言いたくなるような夢を平然と話していた。

「雑誌の編集者になりたい!」→「それは難しい。編集者になるなら、レベルの高い大学を出ないとね」

と担任に言われたのを覚えてる。母もそれに賛同していた。極め付けは、やっぱりお兄ちゃんみたいにいい大学に行ってないとね。だ。

英語の成績は良いってより、普通だったけど、日本以外の国に憧れがあったし、英語という言語自体は好きだったから留学をしたかった。ヨーロッパで、半年や1年ほど学べたらいいなあと。

「留学がしたいんです。」→「うちの娘は、○○大学の英文科(到底わたしの学科から行くことは難しい大学)にいるけど、それでも留学をする英語力がウンタラカンタラ。だから難しいと思うよ」

と、全く関わりのない先生と進路相談をされたときに言われたのを、この本を読んで思い出した。遠回しに、普通科でもないお前の頭なら留学なんて無理だと言われた。一回も授業を受けたことのない、わたしのことを何も知らないあかの他人に。

「(あれもこれもだめなら)関西にある短大に行きたい」→「短大に行くのにわざわざ県外に出る必要はないだろう。こっちで通えるところにするべき」

ええい!なら県外に出よう!と、父に伝えたらこの返答である。ここでわたしと著者の行動で違うのは、著者は相手にどうせ無理と言われても別の道を探したこと。わたしは相手からの言葉を全て飲み込んでその通りに進路を決めた。わたしの成績でも行けるような、所謂Fラン大学にAO入試で入学し、その大学で唯一のヨーロッパ語学研修に行くことを楽しみにしていた。のだが、わたしが入った年からそのプログラムは無くなった。自分で、留学プログラムも探したりもしたけど、だんだん自信というかやる気が消滅していくんですよね。自分の中で、いやどうせ行ったって・・・って言葉が出てくる。自分の夢を邪魔するのは、他人でもあるしそして自分自身でもある。

ここまでくると、まず中学の進路選択から後悔するんですよ。元々は普通科に行くつもりで、成績が足りなかったけど頑張ろうとしていた。ただオープンスクールに行ってみると、まあつまらない。英語ってこんなにつまらないのか、、、と。配られた資料をみると、もう一つの学科のほうが素敵に見えた。ビジネスマナーも学べて、PCの検定も色々受けられるんだ、おもしそうだなと。おもしろそうだと思ってはいったのに、それが後悔のタネになってしまった。あのときそのまま普通科に行ってれば・・・、あそこで進路を変えなかったら・・・。そう思ってしまうんですよね。今でもめちゃくちゃ後悔してる。このときの選択に。高校3年間、本当に楽しかったし毎日が青春だったけども、長い目で見たときの学歴という壁が本当に厚い。

バイト先で一緒になる、わたしより頭のいい高校を出て頭のいい大学に通っているひとたち。わたしよりいい大学に通っていたとしても、わたしより仕事ができるわけじゃない。なんでそんなミスを??と思ってしまうミスをするし、お客さんには、どうしてそんな言い方を???と思ってしまう言動をする。それでも、彼らはわたしよりいいところに就職できるんだよな・・・わたしより学歴があるから、選択肢は広いんだよな。と思ってしまっていた。もちろん、高校受験大学受験とわたしとは比べ物にならないくらい勉強をしてきたことはわかってるし、わたしは勉強をするっていう努力から逃げてきただけなのだけど。ただ、仕事をする上で学歴って全然関係ないじゃんって思ってしまった。

分岐点で、わたしも著者と同じように、別ルートを探したりすればよかったのに、わたしは他人を羨ましんで終わっていった。”成功”するひとたちは、こういう岐路に立たされたとき自らを奮い立たせ行動する人なんだろうけど、生憎わたしはそっちには入れなかった。「どうせ無理」がいつでも頭の中を駆け回っている。

就職シーンでも同じだった。もうこの時には、かつての編集者になりたい!と大声で言うようなわたしはいなくなっていた。なんなら、この文章をかくまでそう思っていた自分のことを忘れ去っていた。こういった仕事は興味があるけれど、高校まで遡れば普通科でもないよくわからない学科を出ているし、大学でなにかを成し遂げたことはないし、大学で勉学に励んだわけでもなく、アルバイトに精を出し、そのお金でアイドルの追っかけをするのに全国アジア飛び回っていた。そんなわたしが一体なにをできるんだ・・・?と、せっかくの新卒採用という大きな選択肢の中で自ら選択肢を狭めていた。結局、アルバイトが接客業だったし接客業なら自分でもできるんじゃないかと、今の職に決めた。


自分でこれを書いて、読んでいても「なんであのときそこでやめたの!」とか「なんであきらめたの」と思ってしまう。でもこうなった理由は簡単で、自分に自信が本当にないんだよね。いつだって、すぐに自分を裏切って、ラクなほうに行こうとした。わざわざ茨の道に進まなくてもいいやって。

23年間、なにをしてきたかというと、後悔という畑を耕し続けていたんじゃないの。否定されたくない傷つきたくない何もしたくない何も考えたくない・・・そうやって今を迎えた。でも、こうやっていろんな本を読み始めると、ちょっと待てよ。と立ち止まることができた。自分と向き合うことが、少しだけできるようになってきた。

今ここで、また、同じように、そのままベルトコンベアのごとく流されるならきっと、同じことを繰り返す。それだけはわかる。振り返ってみると、やってもいないのに、行動さえ起こしていないのに、一丁前に後悔はしている自分。そんな自分とまた、近いうちに出会すことになる。

だから、自分よ。後悔しないなんてことは無理かもしれないけど、一歩でもいいから別の道に足を踏み入れてみよう。そうすると、自然と足が動くだすかも。一歩、また一歩と、今まで自分自身によって乗せられていたベルトコンベアと真逆の道を、それが茨の道だろうが、進み始めることができるかもしれない。だから、進んでみよう。歩いてみよう。




『「できる」と思ったらできます。「できない」と思ったらできません。それが宇宙開発です。』

『未来というものは、可能性をあきらめて、今できる範囲を選ぶということでは絶対にありません。今できる範囲から選ぶことは、今のままでいることだからです。』

『好きという心がなければ、よりよくすることはできません。』

『夢というものは一回諦め方を覚えたら、あとは簡単です。どんな夢も同じ理由であきらめることが可能になります。』

『成功するまであれば、どんなに苦しいこともつらいことも、全部笑い話になります。途中でやめてしまうと、ずっと後悔することになります。』

『「やったことがないことをする」「あきらめない」「工夫をする」この心が何よりも大切です。こういう人たちのキーワードは「だったら、こうしてみたら」です。どんなことがあっても、「だったら、こうしてみたら」と思える人たちが0から1を生み出す人たちになります。』

『「だめかもしれない」と「できるかもしれない」は、確率は同じです。』

『実は生まれたときからあきらめ方を知っている人間は、この世に一人もいません。誰かがあきらめかたを教えてるだけなんです。』

『もし今の自分がちょっといやだなあと思うところがあって、変わりたいなあと思っているのであれば、人と出会えばいいんです。そして本を読めばいいんです。人と出会ったり、本を読んだりしたら、昨日の自分と違うからです。新しい知識が入った分、人生は変わるんです。』

『あきらめると、どんなに素敵な幸運も、後悔の対象にしかなりません。』

『自分を信じて、自分を裏切らないということが、一番大事なことかもしれません。』



昨日に引き続き、今の自分に刺さる本を読めてよかった。最後まで、わたしがわたしを裏切らないように、信じ続けよう。

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