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【note】自死遺族になったということ

ここでは詳細は省くが、夫は仕事を苦にある日突然自死を選んだ。うつ病を患っていた訳でもなく、疲れて元気ない時もあるよね程度のそんな感じだった。

連絡が付かなくなり行方不明者登録をして数日。警察から連絡がきた時、やっぱりダメだったか…という気持ちと、そんなまさか…という慟哭とが綯い交ぜのよくわからない生きものに私はなった。

警察で身元を確認して遺体を引き取りバタバタと葬儀の準備が進む中、夫を救えなかった自分をただただ責める時間が続いていった。

その数ヶ月前、仕事の難しさと忙しさから疲れていた夫に、いろいろ提案をしたりした。しかし全て断られ、できることは何もなかった。いや、今考えたら私ができることはやったと思うし、他に何か出来ることも思い浮かばない。
でも自死は、遺された者が一生消えない後悔を背負うことになる。


夫が亡くなり、せめて子供には「普通」の毎日を、出来ることなら幸せと感じる毎日を願う気持ちが強くなった。私は人形のように笑顔を貼り付けて必死に明るいお母さんをやる。しかし、子供が学校へ行っている時間は最低限の家事をどうにかこなした後、何もできずに布団へ潜り込み夫の自死と向き合う時間が始まる。
夫は最期、どんな気持ちで実行したのか。どんな気持ちで準備をしたのか。警察から聞いた当日の足取りを思い返しては動悸が走った。生きることが死ぬより怖いことと思っていたなんて。だったらもっとわかりやすく出して欲しかった。なんで。

もう答え合わせなんてできないのに、同じことを何時間もグルグルと考える。そして自分を責める。

子供が帰宅すると、また明るいお母さんとして「普通」をやる。夕飯もいつも通りたくさん作り、学校での出来事を聞いたらしながら一緒に食べる。そうか、今日は1日何も口にしていなかったな、なんて思いながら。

夫のことで、子供には悲しい時は泣いていいんだからねと伝えていた。しかし、葬儀以降は涙も見せず勉強もすごく頑張って気丈に立派に過ごしている。なおさら私が病む訳にも、余計な不安を与える訳にもいかない。まだ小学生だということを忘れてはいけない。自分に言い聞かせる。


夫が亡くなってから、自分の死が身近なものであるという感覚になった。これまでには無かった感覚だ。
意外にも金銭面で感じるとは思わなかった。本来なら得られたはずの夫の生涯賃金も退職金もなくなり、支払われた保険金や遺族年金などの額面が明らかになったことにより、私が死ぬまでのお金の流れが見えてしまった。ここからは大きく増えない。
本来なら子供が大きくなったらパートへ出て、得た数万円を家計の足しにして家族で出かけたり今後のための貯金をする予定だった。
それが今後は世帯主となった自分の稼ぎがメインとなる。大体◯歳まで生きるとして、年間使えるお金はコレくらい。今後働くとしても、ずっと専業主婦をしていた私ができることはパートで数万を得ることだろう。夫のような収入は得られない。どうしても保険金を切り崩しての生活になる。嫌でも計画的に生きなければいけないし自分の人生の終わり意識させられる。そのうち自分にも必ず訪れる死。最期の見通しが立つということが、こんなにもワクワク感を失くし人生をつまらなくするとは知らなかった。伝わりにくいかも知れないが、ただ死ぬまでの期間を生きているという感覚になったのだ。今風にいうならば死ぬまでチルしてる状態。

これまでは何もしないで過ごす時間、特に意識せずテレビなどを観ていたが今はそれができなくなってしまった。リラックスする時間がないのではなく、罪悪感があるのだ。
夫のことで大きなものから小さなものまで膨大な数の手続きがあり、子供が寝静まってから調べ物をしながら書類を読み書きする。子供が学校へ行ってる日中は役所や銀行や郵便局などへ周り手続きをする。保険屋や行政書士などの専門家との打ち合わせもある。
そんな毎日が数ヶ月。実に10数年振りにワーカホリック状態になった。バタバタと過ごし、ふと用事の合間が30分でもあると急に不安になった。何もしていない時間が罪に思えて何かしなければと焦るのだ。生き急いでいるな、もう1人の自分が思う。

そして、その合間の時間にまた答え合わせのできない夫の気持ちとの向き合いや、人は死んだらどうなるのか、天国なんてあるのか、信仰するものによって大きな差がある死後のことなどを考える。
無宗教の夫と私。縋るものもなければ、何かに救いを求めて信心することもない。
魂ってなに?
死んだらお終いでしょ。
お墓って何?
遺された人の自己満足じゃないの?
天国から見守ってくれていると言われても、それは遺された人それぞれの気の持ちよう。
外野が勝手に押し付けんな。
などと思った。

事実としては、夫は生きていくのが嫌で楽になりたくて最愛であるはずの子供も手放し最悪な最期を選んだのだ。最たるもののオンパレードが自死だと思う。転職するでもなく、どこかへ逃げるでもなく、この世に未練もなく跡形なく消えてなくなりたかったのだ。

保存日時から推測して、夫が実行する直前にスマホに遺したであろうたった数行の短い遺書を何度も反芻しては飲み込む作業を今日もする。

ある人に「心が複雑骨折をしているね。」そう言われて妙にしっくりきた。私はケガをしているんだ。
全治は不明だ。


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