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コロナウィルスがもたらしたもの。安倍政権に足りなかったもの。

「アベノマスク」や「現金30万円給付」への反応は、私にとって少々意外なものだった。

店頭で全く目にしないマスクを全世帯に一律配布したり、本当に困っている人(正確には”収入が急減する約1000万世帯”だが)に30万円という前例の無い現金給付を行ったりする施策は、税金の使い道として的外れではない。

けれど、それではだめなのだ。現代は、かつてないほど「心を求める時代」である。「モノやカネをどのように国民に振り向けていくか、またその財源はどこから持ち出されるのか」という理屈や意思決定のプロセスに、前向きに意固地になって取り組める変わり者はそう多くない。明日を見通せない孤独な室内では、なおのこと。

「なぜ布マスクなのか。なぜ2枚なのか。なぜ現金給付は全国民一律ではないのか。なぜ学校を閉鎖し、キャバレーや飲食店は閉鎖しないのか。政府はこの非常事態に、よもや金を配る気が無いのではないか。緊急事態宣言を発令するのはいつなのか。政府は経済と支持率の心配だけをしているのではないか。」

国民にとって関心の高い情報を速やかに配信できなければ、負の心は「SNS」という増幅装置の中で瞬時に爆発してしまう。それは、原子炉における制御棒みたいなものだ。何も政治に限った話ではない。企業でも同じことだ。株式市場のボラティリティや投資家からの圧力はかつてないほど高い。

国民に協力を仰ぐ土壌を整備しなければならなかった。今般の対応には、徹頭徹尾そのことが足りていなかった。やるべくは、お茶を飲んでリラックスしている姿で若者に語りかけることではなく、取りうる対応を迅速にとり、被害を最小化しようと努め、手元の情報(特に悪い情報)を解釈なく、冷静に正確に伝えようとする姿勢である。何人かの若い、女性の政治家が、有事の意思決定の速さ、手数の多さで、管轄都道府県以外の国民をも魅了した。日本でも、世界でも。

コロナウィルスは、未曽有のウィルス禍とともに、たくさんの示唆をもたらした。政治家とは選挙で選ばれた国民の代表であるが、私の意見を代表してくれる存在であるかはわからない。日本には有事の際にバラまける金がない。(困ったことに借金はべらぼうにある。)通勤しなくたって経済の大半は回すことができる。当たり前だったすべてのサービス、インフラ、消費財は、誰かがそれを提供してくれて成り立っている。

コロナウィルスは「自分の頭で考えなければならない危機感」を私たちに植え付けた。もう一歩進めて、自ら正しい情報にアクセスし、咀嚼し、判断を作り上げることの重要さも、人によっては得られたことだろう。そのことが、日本が世界で再び輝ける「劇薬」として美しい花を咲かせることを祈りつつ、今日も今日とて、リモートPCの、それはそれは馬鹿にならないデータ通信料を、せっせと支払うことにする。

何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)