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イン・ザ・ハイツについて

映画版「イン・ザ・ハイツ」を観て思ったことを書き残しておこうと思います。自分にとって凄く大事なことだったので。
先に言っておくのですが、わたしは劇評が好きじゃないのでこれは劇評ではないです。あくまでわたしの頭の中のメモで、「イン・ザ・ハイツ」という作品を批評しようなどという気持ちは0です。そもそもとんでもない敬意をこの作品にはもっているので。

映画を観てわたしが一番感じたことは、

わたしは「ミュージカル」が好きなのではなく、そもそも無謀な表現を舞台上に詰め込んで、人間の力で上演時間が成立している舞台で観る音楽と芝居が融合したものが好きなんだ、ということにこの映画版「イン・ザ・ハイツ」を観て気がつかされたのですが。それがどういうことかを自分の頭を整理しながら書きます。長いです。読んでもらえるなら最後まで読んでほしい、長えって人はここで辞めて大丈夫。(途中まで読んで作品になんか言ってたーってやつを言われたくないって意味ね。)


ミュージカル版の「イン・ザ・ハイツ」を観た時にわたしが一番震えたのは

−台詞劇じゃなくて、ミュージカルである意味がめちゃくちゃある作品だったこと−

です。よくミュージカル苦手な人って「急に歌い踊るのがちょっと」って言うじゃないですか。気持ちはとてもわかりますし、わたしは音楽がある作品が好きですが、わたしにもこの感覚がないわけではないです。
特に日本ではこの「急に歌い踊るのがちょっと」の感覚がミュージカル苦手勢の1番の理由として取り扱われることが多いので、近年ミュージカル作品をおすすめする時の文言として「台詞みたいに歌うから多分この作品は苦手じゃないはず!急に歌う感じしない!」というのを良く耳にします。言ってることはわかりますが、あえて言うとこれは手抜きの告知方法です。「台詞みたいに〜」というのは台詞の延長に歌詞があり、歌になる意味がきちんとあるからこそ成立することです。(これは自分が音楽劇を作るようになって気がつきました。台詞だけでは説明できない感情を音が、演奏者が、楽器が大きく助けてくれて世界を広げてくれます。)
わたしは映画版「イン・ザ・ハイツ」を死ぬほど楽しみにしていたので、特集記事などでどうこの作品が取り扱われるのかを気がつく限り目を通していたのですが、日本での告知には「ラップだから台詞みたいに歌う!だからミュージカル嫌いでもこれは観て!」みたいなことが一番書かれていて。
いやいやいや、「ミュージカルだもん、急に歌うし、急に踊るよ??」ってのがわたしのめちゃくちゃ素直なコメントです。(笑)
なんでこんなことをわざわざ言うかというと、この「イン・ザ・ハイツ」と言う作品は「とんでもなくミュージカル」だからです。
多分、今作の劇作・作詞・作曲者のリン=マニュエル・ミランダは「急に歌わない」なんてこと1ミリも考えて作っていないんですよ、多分ね。なんなら彼の作風は暑苦しいほどの熱量で歌うんですよ。でもそれは彼の描くミュージカル作品の中で揺れ動く登場人物たちの心に

−歌わないと1秒先が生きられない。−

という熱量がしっかり描かれていて、全ての歌をそこで歌う意味が存在している。舞台版の「イン・ザ・ハイツ」を観た時にわたしはそこに感動したんです。

ミュージカルを作っていて、観ていて、わたしが一番考えるのは、そのシーンを台詞でなく歌にする意味、です。
わたし自身、自分の脚本をミュージカルにする場合、「表面上は大きなことは起こっていないのに、その役人物の中でだけ物凄い何かが動いた瞬間」を歌にしていくのが自分の本に音楽を混ぜるやり方だなと2021年現在は思っているのですが、この考え方ではグランドミュージカルを作る劇作家には到底なれません。
そこでわたしが衝撃を受けたのがリン=マニュエル・ミランダの作るミュージカルです。彼は俳優もやっている劇作家、しかも作詞も作曲も自分でやる何でも屋さん。だからこそ、すべてのことに無理がないミュージカルが作れているんですよねきっと。
みんなが「急に歌った!」って思う部分を彼の作品はその先、「急に歌った!」をさらに加速させる物語を用意することで走り抜けていくんですよ。

映画版「イン・ザ・ハイツ」は、ミュージカル版に比べて楽曲が約3分の2に削られています。つまりストーリー自体かなりカットされた構成になっているんです。
これは舞台が映画になる時の永遠の課題ですが、舞台で3時間半あったものをどんなに長くても2時間半にまとめなくてはいけない。長い映画もありますが、作品をより広くするために映画にするわけですから、「映画尺」にすることが求められますよね。でもそうするとシーンをカットしたり、入れ替えたりして原作から大きく工事しなくてはいけない。(※ここから若干のネタバレを含みます)
舞台版でとても活躍するニーナのお母さんが映画版ではすでに他界していることになっているため、ニーナの家族の話がニーナと父だけのシンプルな話になっているし、アブエラが亡くなるタイミングも違ければ、アブエラと主人公ウスナビの信頼関係が一番わかるナンバー「Hundred of Stories」もまるまるカット(これ一番衝撃だった!)、ラストのウスナビが街に残ることを選ぶ後押しになる落書きする少年の描く絵も全く異なります。他にもカット箇所はたくさんあります。

この「イン・ザ・ハイツ」は主人公であるウスナビを中心としたワシントンハイツに住む人々の群像劇です。映画になるってなると、群像劇はどうしても強い主役が必要になります。つまり映画版はウスナビの主人公度合いが上がっているため、周りの役の説明や設定がどうしてもカットされているので、「これ、映画版だけ観て全員の感情と物語全部理解できた人いる??」っていうのがわたしの正直な感想でした。

そもそもリン=マニュエル・ミランダの大ファンであるわたしはこのミュージカルの楽曲が大好きです。なので、映画版もその楽曲の素晴らしさだけでも十分楽しんだのですが、どうしてもミュージカル版に受けた衝撃が強いだけにそれを超える満足感は映画版にはなくて、先行配信されていた映画版のサントラを聴いてウキウキしている時間が一番楽しかったのです。

物語を映画尺にする時、作家は
「ストーリーカット」or「登場人物のカット」を迫られます。今回の映画版ではカットされている登場人物はニーナの母のみです。そのことからわかるようにリン=マニュエル・ミランダはこの物語が1つの街で生きる人々の群像劇であるということを強く残したかったのだなとわたしは思いました。
本当にミュージカル版は素晴らしく良くできた群像劇なんですね、そこにすべての登場人物の感情が日々揺れ動き、曲が入ってくる、というとんでもなく素晴らしい構成で、これがどうしても映画になると薄くなるなと。「ミュージカル映画だぜ!!」という演出が多すぎて全部の曲のミュージックビデオを観ているようで、ストーリーより演出の手数の多さ目が行っちゃう感じでした。
だから多分この映画が評価されるのって楽曲の素晴らしさと演出の素晴らしさなんですよね。それだけでももちろん素晴らしい映画だけど、でも「ストーリーと登場人物の必死さが素晴らしい作品なのにー!」と根本は思ったわけです、オタクだから。
でも、ここでわたしは劇作家リン=マニュエル・ミランダを改めて尊敬したんですね。それはなにかって、そもそも自分の作品のカット箇所決めるのなんて全作家が嫌なんですよ、だって必要だから書いてんだから(笑)
舞台版が彼にとっての正解であることはもう当たり前なんです、3時間半やる必要があるからやってんだから。
この映画、様々なミュージカル作品へのオマージュ演出が入っているんですが、そこからもわかるようにリン=マニュエル・ミランダのミュージカル愛ってとんでもないんですよ。なので舞台にはない激アツ演出が映画には散りばめられていて、そこから感じるのは「ミュージカルの可能性を探り続ける力強さ」です。

「イン・ザ・ハイツ」や、「ハミルトン」。彼が生み出したミュージカルはブロードウェイでも大ヒットしているし、ミュージカル界での彼の地位はもう確立されているので、正直無理に映画にする必要なんてないような人物と作品なんですよ。舞台の映画化にあたり、「舞台の演出は残しつつ、新しい表現を探る」ということを最後まで彼が突き詰めた感じがわたしはして。このことから

「ぜーんぜん俺はこの映画版「イン・ザ・ハイツ」を生涯の自分の代表映画作品にするつもりないよー!でも、チャレンジできるなら自分の作品の可能性を探りたいし、さらにはそれも持ち帰ってまた新しい新作ミュージカル作る方が自分の操れるカード増えるじゃん?」

みたいなことを感じたんですよ。こんなこと多分リン=マニュエル・ミランダ一言も言ってないんですけど、わたしはこの作品から彼の作家としてのこんな思いを感じて、超かっこいいなって思ったんですよ。あと、国によってはそもそもこの作品は日本よりずっと元々有名作だからミュージカル版を見ている人数も桁が違う。だから「まあ劇場に来ない人には映画で届けたらいい、物語はカットしても、楽曲と俳優と演出の力で全然いける。」という判断だと思うんですよ。
ミュージカル版の初演は主人公ウスナビはリン=マニュエル・ミランダ本人が演じたんですが、今回の映画版でウスナビを演じているのはリン=マニュエル・ミランダの作品でお馴染みの俳優で、リン=マニュエル・ミランダ本人はピラグアというかき氷を売る男の役で登場するんですが、映画の要所要所大事なナンバーになるとみんなに紛れて歌っているんですね。もう彼が映った時の画面の情報の筆圧が凄いんですよ。わたしは原作者ちょい役で登場を「うわー出るならがっつりにしなよ、ちょっとならいらないよ」って思いがちな人間で(自分も出るといき自分が必要かいらないかとめっちゃ慎重に考える)今回のリン=マニュエル・ミランダの出る意味がすごいかったんですよね。彼が現場にいることが多分とってもこの作品と俳優にとって大事だったと思うし。あと俳優としての力もとんでもない。

散々書き殴ってきましたが、こんなようなことをわたしは映画を観ながら考えていて、最初に書いた

わたしは「ミュージカル」が好きなのではなく、そもそも無謀な表現を舞台上に詰め込んで、人間の力で上演時間が成立している舞台で観る音楽と芝居が融合したものが好きなんだ

ってことにたどり着いたんですよ。
歌わないと1秒先がない登場人物を、毎日3時間半の上演時間の中で俳優、楽隊、スタッフ全員が同じ物語の着地に向かって、舞台上で歌と台詞と繋いでいくことが好きなんですわたしは。
台本は決まっているし、稽古していることをルーティーンでやっているんですが、良い生物はルーティーンにはなりません。この作品の持つ力はそこがすごい。俳優も楽隊もその日、その場所を生きている音を出さないと成立させられないようにできているんですよね、なんか抽象的ですけど。やる人全員がちゃんと試される戯曲になっている。

わたしがこの作品の日本版を劇場で観たのは今年の4月24日でした。この日は緊急時代宣言が再び出て、明日の舞台公演がないかもしれない、今日が千秋楽になってしまうかもしれない、という日でした。
大抵、そういう日ってみんなの熱が入りすぎてうまくいかなくなったりします。
でもわたしが4月24日に観た日本版「イン・ザ・ハイツ」は演出では動かせない何かが全てのシーンに素晴らしく作用していたように感じました。
物語の中を生きる人物と今を生きる俳優、楽隊の想いが物語の着地と同じところへ向かっていたんです。「そんなのただのミラクルじゃん?」って思われるかもしれませんが、わたしはこの日観たものを多分一生忘れないと思います。
素晴らしい戯曲には、普遍性が必ずあり、様々な今を生きる人の想いが重なりさらなる力を作品に宿すとわたしは思っています。知らぬ国の知らぬ人物を演じているのに、そこには国籍も言葉も関係なくなり、人間としての普遍的な想いが見えます。演劇ってこういうことが起こるからわたしは大好きなんです多分。
演奏も「え、もうその曲弾き終えたらその楽器爆発してなくなっちゃうんじゃない?」みたいなものを感じたんですよね。それが歌と重なっていて。ああ表現難しい。まあいいわたしの感じたことだ。全員が生きるために台詞を喋り、演奏しているように感じたんです。「今」しかそこにはない。
舞台ってそもそも3時間とかの中に、いろんな人と感情があって、いろんなシチュエーションになって、そんなもう映像に勝てるわけないじゃんってことやってんですよ。でも、わたしはそこに夢中になって今日まで演劇を続けてきたし、これからもそこに夢中になりたいんです。
限られた空間で、人間の力だけで、舞台って成り立っているんですよ。カット割もNGでもう一回も、CGも編集も使えないんです。
その中で可能性を探り、全員で毎日同じラストの台詞を目指す。
「集団行動」が苦手なわたしがこんな集団行動に夢中になるのはそれが成功した時の興奮がとんでもないからです。あと成功が超難しいからです。
わたしは「イン・ザ・ハイツ」の映画を観ただけでこんなに文字を書いちゃうくらい演劇オタクなんだと気がついたし、生涯夢中になり続けるのはやっぱり演劇なんですよね。

わたしは「ミュージカル」が好きなのではなく、そもそも無謀な表現を舞台上に詰め込んで、人間の力で上演時間が成立している舞台で観る音楽と芝居が融合したものが好きなんだ、っていう表現をしたのは、わたしは決して全てのミュージカルが好きなわけじゃないからです。でも同時に音楽が入って大成功している作品はストレープレイではたどり着けないところまでお客さんを連れていくことができると思っています。

映画版「イン・ザ・ハイツ」の最後はおまけ映像で終わります。
リン=マニュエル・ミランダ演じる個人でやっているかき氷屋さんが、機械故障で何もできなくなっているチェーン店のアイス屋さんより多くかき氷を売って「儲かるぜ〜」みたいなシーンで終わるんです。これほんとわたしが感じたことだから彼の中では純粋な観客へのプレゼントシーンなのかもなんですが、

「生き残るのは本物だぜ〜〜〜!!!」

を感じたんですわたしは。そこまで観終えて、かっこよさに震えましたし、

「ああこの映画はミュージカルに人生を捧げたリン=マニュエル・ミランダのミュージカル人生の通過点作であり、これまでの彼へのご褒美作だったんだな」

と思いました。

いやああかっこいいし、確実にミュージカル界の未来をまた1つ大きく変えるのはリン=マニュエル・ミランダなんだなと感じましたし、全ての規模が大きくなり、街も実際のワシントンハイツで撮影していて、パワーアップしているように思えるのに、自分は舞台版の方が全然好きだと感じたことが自分が今後も舞台を好きでい続けることができる何かになる気がしました。

あ、これ映画が面白かった人を否定しているわけじゃないです!それはそれで全然最高!
あくまでわたし、根本の感想ね。

わたしはやっぱり演劇狂いなんだなって思った話。
ワシントンハイツじゃない空間を「ここはワシントンハイツです!」ってしてるのが好きなのですよ、それを成立させるために演じ、演奏していることに興奮するから舞台が好きなんです。

ああ停電のシーンミュージカル版でもっかい観たい。
あと、2幕構成のミュージカルを1幕の映画にまとめるの難しいよね。
わたしミュージカルって1幕のラストナンバーと演出を観に行っている気がする。どう1幕を終えて休憩に持っていくのかが観たい。
「イン・ザ・ハイツ」は1幕の終わり最高で、休憩中わくわくが止まらなかった。
リン=マニュエル・ミランダの新作は、生きている限り、どこの国での上演でも追いかけたいです。

そして、この作品の日本上演本当に難しかったと思うのですが、2021年の日本版「イン・ザ・ハイツ」改めて素晴らしかったです。

今を生きてて思うけれど、芝居も演奏も生で、そこに毎日違うお客様がくるって、劇場ってすごいよね。
日本ももっとロングランができるようになりますように。

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