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映画『ミステリと言う勿れ』 感想

はじめに

原作はおろかドラマ版さえ見たことのない私ですが、ファン人気の高いエピソード(広島編)が劇場版になったと知り、興味本位で見た本作。

結論から申し上げますと、

見て、大正解。
本当に、大正解。
見なかったら後悔していたと思います。非常に素晴らしい映画でした。

今日は、そんな本作の感想を述べていきたいと思います。

人間と鬼の違いが分からない

言葉の通りです。
本作を見て、私はある衝撃を受けています。
人間と鬼の違いをうまく説明できない自分がいることに、衝撃を受けています。

思い出した、ある台湾ドラマ

人間と鬼の違いを説明できない。
この衝撃を受けたとき、私の脳裏に浮かんだのは、ある台湾ドラマの一場面です。

ドラマの題名は『悪との距離』。死刑囚の弁護人をする男性が主人公です。
このドラマの第5話「罪人」において、主人公は涙を流しながら、こう訴えます。

「善人と悪人の違いが何なのか 言えますか? 誰も言えない」

「善人」の部分に「人間」を、「悪人」の部分に「鬼」という言葉を入れると、

「人間と鬼の違いが何なのか 言えますか? 誰も言えない」

となります。
これが、本作(映画『ミステリと言う勿れ』)を見ている時に感じた衝撃は、まさにこれです。

女に欲情し、周囲の者たちを殺戮し、素性を偽り、復讐を恐れてさらなる罪を重ねる。本作で語られる鬼たちの行為は、鬼特有のものではなく、人間にも共通する蛮行です。

本作では「何を以て人間とするのか」を問われている気がしました。

「義」の意味

本作で私が最も皮肉かつ悲しいと思ったのは、鬼たちが蔵の名前に「義」の字を使えなかったという部分です。
(鬼たちは屋敷の敷地内に蔵を建てて漢文由来の名前を付けたのですが『義』の字だけは付けることができなかったと、主人公が指摘する場面があります。)

鬼たちは分かっていたんですよね。「義」とは何であるかを。自分たちが行ったことのおぞましさを思えば、とても「義」なんて付けられないと。

それなのに、鬼の子孫の一人である「あさちゃん(車坂朝晴)」は、鬼に似た容姿の子孫を殺害するという悪しき掟を実践し、そのことに使命感さえおぼえていました。

人間との混血が進み、初代の鬼たちに比べれば圧倒的に人間の血が濃くなったであろう「あさちゃん」が「義」の意味を理解できていないのです。

自分に似た容姿の子孫を殺し続けることで人間社会にとけこもうとした鬼たち。しかし皮肉にも彼らが最も人間に近かった、人間の心を理解できていたのは、人間との混血が進んだ子孫ではなく、紛れもない鬼である彼ら自身だったのだと私は思いました。

純粋な鬼であった自分たちのほうが人間らしかったなんて。
人間の家系を乗っ取った鬼たちからすれば、これ以上の絶望があるでしょうか。

疑心暗鬼とはこのことか

本作を見ていると「疑心暗鬼」という四字熟語が頭に浮かびました。

疑心暗鬼:
疑いの心があると、なんでもないことでも怖いと思ったり、疑わしく感じることのたとえ。疑いの深さからあらぬ妄想にとらわれるたとえ。
疑いの心をもっていると、いもしない暗闇くらやみの亡霊が目に浮かんでくる意から。▽「疑心」は疑う心。「暗鬼」は暗闇の中の亡霊の意。「疑心暗鬼を生ず」の略。「暗」は「闇」とも書く。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/疑心暗鬼/

本作の鬼たちは、自分たちが人間の一族を乗っ取ったこと、鬼であることが周囲にばれてしまうことを恐れ「鬼の外見的特徴を引き継いでいる」というただそれだけの理由で巻き毛(天然パーマ)の子孫を殺していきます。疑心暗鬼とはこのことか、と私は思いました。

本作の鬼たちの物語が「疑心暗鬼」の語源だと言われたら、私は信じてしまうと思います。それくらいこの熟語の意味と本作の鬼たちの行為が重なっています。

おわりに

本作は、ファンタジーホラーと人間ドラマがうまく溶け合っている素晴らしい作品だと思います。私のように原作やドラマ版を知らない人であっても十二分に楽しめました。

また、映画のタイトルの通り、ミステリーという言葉だけでは括れないものが本作にはあると私は感じました。

すごく心が揺さぶられる作品でした。本当に、見てよかったです!

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