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ヒットマンみたいな猫に出会って、ライトな猫好きから猫好きガチ勢に変貌した話

猫が好きだ。

ふわふわした毛並みも、芸術とさえ思えるフォルムも、撫でると気持ち良さげに細められる目も、気分によって撫でることを許してくれないのに側から離れると怒るようなマイペースなところも、「液体なのか?」と研究者が本気で研究したほど体が変幻自在なところも。

とにかく全てが好きだ。

しかし、私は5年前まで猫動画を見たり、猫モチーフのものをついつい集めてしまうくらいには好きだけど、猫に触ったり、飼ったりしたいとは思わないライトな猫好きだった。
(そもそも私は過去祖父の飼っていた犬に追いかけられて以降、動物全般見ることは好きだが「近づきたい」「触りたい」と思うことがない)

そんな私を、毎週地域猫活動ボランティアに通い、猫の写真を撮りまくり、猫が幸せに生きられる家を作って猫と共に生きることを将来の夢としている、猫好きガチ勢に変貌させてくれた猫とのエピソードを語りたいと思う。

ヒットマン顔の猫との出会い

ヒットマン顔の猫との出会いは5年前の秋だった。
その頃、私は体調を崩し、仕事を休み、自分の部屋から出られない日の方が多いくらいだった。
ある日、「さすがにこのまま部屋に引きこもるのはまずい」と思い散歩に行くことにした。目的地を決める気力も決断力もこの頃は皆無だったのでなんとなく歩いていたところ、たどり着いたのがある公園だった。

体力が尽きた私は公園のベンチでぼーっとしていた。
すると茂みがガサガサ、と動いた。
その公園には猫が多いことは知っていたので、「多分猫だろうな〜。可愛いだろうな〜。」と視線を向けたところ、

一仕事終えたヒットマンみたいな顔をした猫が出てきた。
「可愛い猫ちゃんが見れるかな♪」と思ったら予想外の出会い。
とりあえず、反射的に写真を撮っていた。(あまりの衝撃に記録を残さねば!と思ったのだろうか。)

写真を撮ったはいいものの、どうしたらいいかわからなかった私はとりあえずその場で固まっていた。
ヒットマンみたいな顔をしているとはいえ、猫は猫。怖がらせたらまずいと思ったからだ。
そんな私の思いなど気にも留めず猫は悠々と私の側を通り抜け、何処かへと消えていった。

猫に会うために引きこもり脱出

帰宅した後、私の脳内からあの猫のことが離れなかった。
正直自分が今まで動画や写真で見ていた猫たちは皆愛らしい顔をしていた。
あんなヒットマンのような目はしていなかった。
撮った写真を見返しては笑った。だってあまりにも貫禄があり、オーラがあったのだから。
また逢いたいと思った。

そこから毎日、その猫に逢いたいがために公園に通った。
猫は公園でぐっすり寝ている日もあれば、じっと道ゆく人を眺めている日もあった。どこかに出掛けているのか、いない日もあった。
私は猫に逢うと、写真を撮ったり、様子をぼーっと眺めたりしていた。
猫は私のことを気にも留めていないようだった。

猫から広がる私の世界

いつものように、猫のところに向かい、写真を撮っていると、一人の上品な紳士に声をかけられた。
「みーちゃんをモデルにしてくれているんだね。」
そう言って微笑んでくれた。

猫、改め、みーちゃんは紳士が来ると途端に尻尾をピンと上げ、寄ってきた。紳士は慣れた手つきでみーちゃんを撫で、ご飯を与え始めた。

みーちゃんが食事をするのを眺めながら、話をした。
そこで知ったのは、
・みーちゃんは15年ほど前にふらっと現れたこと
・現れた時はすでに大人の猫だったこと(外に住む猫の平均寿命は3年ほどらしいので、すごく長生き)
・「みーちゃん」と呼ばれ、皆に親しまれている地域猫なこと
・ボランティアさんが毎日ご飯を上げ、水場の水をかえ、猫たちがトイレにしている場所を掃除していること
・女の子なこと
だった。

私はその時初めて「地域猫」の存在を知り、「地域猫」の存在について考え始めることになるのだが、これも別の機会に書くとして、一番衝撃だったのは、「いや、君女の子なの!?」ということだった(失礼)。

三毛猫のオスはとても珍しいということは知っていたので、多分メスだろうとは思っていたけれど、あまりにもヒットマン顔なので「みーちゃんという名前の女の子」という情報があまりに衝撃的だった。

その日をきっかけに、みーちゃんのいる場所で紳士とたまに話をするようになった。紳士の紹介でボランティアの方とも知り合いになった。みーちゃんの写真を撮っているのが物珍しいのか、公園に来た小学生に声をかけられるようになった。

気がついた時には、精神を病んで引きこもっていたはずの私に、下は7歳から上は90歳まで、幅広すぎる知り合いができた。

初めてみーちゃんに触れた日

みーちゃんと出会って半年後。
私は、みーちゃんの隣に座ることを許されるまでになっていた。
みーちゃんは私がくると、走り寄ってきて、隣にどっかりと座り、毛繕いをしたり、爆睡したり、写真のモデルになったりしてくれた。

でも、私はまだみーちゃんに触れていなかった。ご飯も与えていなかった。
長年、時間とお金をかけ面倒を見てきたボランティアさんと違い、私はただ最近ふらっと現れてみーちゃんを可愛がっているだけ。
その頃には少しだけボランティアさんの掃除の手伝いなどはさせてもらっていたが、体調によっては行けない日もあったし、自分の都合で行ける日にだけご飯をあげ、触るのはあまりにも無責任な気がした。
あと単純にまだ動物に触れることが怖かった。

そんな私の背中を押してくれたのは、ボランティアさんだった。
「私たちは餌をあげて、掃除をしているからこの子たちは怖がらずに近づいてくる。でも本来は警戒心が強いから、他の人のそばにはこんなに近づかない。何なら私たちにもご飯以外では近づいてこない。そんな子がここまでそばにいるんだから仲良くしたいんじゃない?」と。

この言葉には本当にびっくりした。
初めて逢った日、彼女は私の横を普通に通り過ぎていったし、その後も目の前で爆睡したり、お腹を出して毛繕いしたり、ごろごろしていたから。
ヒットマン顔なだけで、野生をどこかに忘れてきた呑気な子なんだろうと思っていた。
しかし、どうやら普段は警戒心が強く、気性も荒く、猫にも人にもあまり近寄らず、ボランティアさんと紳士と他数名にしか懐いていないらしい。
私はなぜかその数名に選ばれていたのだ。

嬉しかった。本当に嬉しかった。
当たり前のような顔をして、隣でいつものようにくつろいでいるみーちゃんをそっと撫でてみた。
みーちゃんが「やっとあんた触ったのね」と言いたげな顔をしているように見えた。

その日からみーちゃんとの距離はさらに縮まった。
動物を触ることに慣れておらず、撫でるのが下手な私にみーちゃんは撫でてほしいところを擦り付けて、どこを撫でると気持ちがいいのか教えてくれた。上手に撫でることができた時、満足そうな顔をするみーちゃんがすごく可愛かった。

みーちゃんに触れた数日後。いつものように隣に座った私の膝にみーちゃんが乗ってきた。そして、さも当然というかのように私の膝で爆睡し始めた。あまりに突然のことで硬直した。とにかくみーちゃんを落とさないようにただひたすら動かないことだけを考えた。
みーちゃんは1時間ほど爆睡した後、満足そうに膝からおり、伸びをしてどこかへ消えていった。
めちゃくちゃ足が痺れて動けない私だけが取り残された。

猫好きガチ勢に華麗なる変身

みーちゃんが膝に乗ってくれた日から、私の猫愛はさらに加速していった。
地域猫について学ぶようになり、写真を撮りまくり、ボランティア活動にできる限り参加をした。

みーちゃん以外の猫にも幸せになってもらいたいと思うようになり、さくら猫や保護猫カフェの存在も知った。

保護猫活動に力を入れている団体の商品を買うようになったり、できる範囲で募金をしたりするようになった。

体調も少しずつ良くなり、復職は叶わなかったものの、別の会社で働くことも決まった。

猫に貢ぐため、そしていつか生活基盤を整えて、猫をお迎えできる経済力と精神力を手に入れるため。
精神を病んだ引きこもりが、猫のために働く猫好きガチ勢へと華麗なる変身を遂げた。

みーちゃんとの別れ

働き始めたことで、毎日みーちゃんのところに通うことはできなくなった。
でも、週末は変わらずみーちゃんのところに通い、膝を提供し続けた。
真冬に3時間膝を提供し続けた時は、足が痺れすぎて泣きそうになったけれど、本当に、本当に、幸せな時間だった。

ただ、みーちゃんとの日々を重ねるごとに、確実にみーちゃんが弱っていることも実感していた。
この頃には、みーちゃんと出会って2年半が経とうとしていた。
みーちゃんは確実に18歳以上。猫としては十分に高齢だ。
ボランティアさんからも「この冬は越せるかな」「この夏は越せるかな」という言葉が出ていた。

そして別れのときは来てしまった。
私が最後にみーちゃんに逢ったのは、みーちゃんが姿を消す3週間前だった。仕事が忙しくなることがわかっていて、しばらく来れないことをみーちゃんを膝に乗せながら話した。
みーちゃんは確実に人の言葉を理解していたし、もしかしたら最後になることすらわかっていたのかもしれない。
今思い返すと、その日は膝から降りることを嫌がり、いつも以上に長い時間を一緒に過ごした。

仕事が落ち着き、久しぶりに公園に行った日。
ボランティアさんから、みーちゃんが姿を消したことを聞いた。
姿を消す3日前からほとんどご飯を食べなかったこと、
姿を消す前日、珍しくご飯を食べた後もボランティアさんに寄り添い、帰る時にはお見送りまでしてくれたことを聞いた。

きちんと挨拶をして、姿を消し最期の姿は見せない。
彼女の最期の気高い姿に、涙が止まらなかった。

膝の上でご機嫌なみーちゃん。ヒットマンの様子はかけらもない。可愛い。

みーちゃんがくれたもの

みーちゃんは私にたくさんのものをくれた。
たくさんの癒しを
外に出る勇気と楽しさを
新しい出会いを
元気を
生きる目標を

彼女に出会っていなかったら、私はあんなに早く外の世界に目を向けることはできなかったと思う。

みーちゃん。本当にありがとう。
あなたと過ごした日々は私の宝物です。
今でも辛い時、苦しい時、あなたの写真や動画を見てたくさん元気をもらっています。
みーちゃんがいなくなってからも、ボランティアは続けていて、たくさんの猫と出会っているし、全ての猫が可愛いと思っているけれど。
それでも、みーちゃん。貴方が私の人生で出会う中で、最高に可愛い、一番の推し猫です。
大好きだよ!!!!!

私のPCの壁紙。世界一可愛い。


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