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銀河鉄道の夜 これまた考察

四、ケンタウル祭の夜

これまで「銀河のお祭」とか「星祭」と言われていた祭りの正式名称が「ケンタウル祭」という事が章題によって明らかになります。

ケンタウルというのは、ギリシャ神話に出てくる半人半馬のケンタウルスの事で、星座のケンタウルス座の意味も含んでいると思われます。

又、ここまでは章ごとに場面が転換してきましたが、この四章では、章の中で場面が目まぐるしく変わり、動きのある章となっています。

・届いていなかった牛乳を取りに出かけたジョバンニはまず坂を降りる。
・途中ザネリというイジメっ子にばったり会う。
・町に着いたところで、時計屋にある変わった品物に見入る。
・我に返り用事を思い出して、町はずれの牛乳屋へ向かう。
・牛乳屋では牛乳を貰えず、出直す事になる。
・6、7人のクラスメイトの集団に出会う。
・黒い丘へ走り出す。

坂→時計屋→牛乳屋→黒い丘という順番。

二度クラスメイトに会います。一度目はザネリに会い、お父さんの事でからかわれ、二度目はクラスメイトの集団からもお父さんの件で心無い言葉を浴びせられて、逃げるように丘へ走り出す。
牛乳屋でも、妙に冷たい対応を受ける。

ザネリに出くわしたシーン

「ザネリ、烏瓜ながしに行くの。」ジョバンニがそう云ってしまわないうちに、
「ジョバンニ、お父さんから、ラッコの上着がくるよ。」その子が投げつけるようにうしろから叫びました。

P196、一行目

牛乳屋でのシーン

「あの、今日、牛乳が僕んとこへ来なかったので、貰いにあがったんです。」ジョバンニが一生けん命勢よく云いました。

P198、12行目

クラスメイトの集団に出くわしたシーン

ジョバンニは思わずどきっとして戻ろうとしましたが、思い直して、一そう勢よくそっちへ歩いて行きました。

P199、7行目

ひとは日々の辛い境遇から、ともすれば弱気になり、内向きになり勝ちなところですが、いじめっ子のザネリと出くわすシーンでは、ジョバンニの方から声を掛けています。クラスメイトの集団に出くわすシーンでも自身を奮い立たせるようにして、皆の方へ行きます。
このように、現実に立ち向かおうとするジョバンニの姿が描かれています。それでも皆に冷たくされる姿は、雨ニモマケズのデクノボーのようです。
でも、ついに、周囲からバカにされ見下され続け、とうとう張りつめていたものがぷつんと切れてしまったように、全てを投げ出すように逃げてしまいます。

ジョバンニだって人間なので寂しい気持ちになったりはします。
でも弱音は決して言いません。辛い、悲しい、寂しいは言葉にしません。
そんなジョバンニでも。。。

そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈のように長く延びるのを見ました。
またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集まりか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。

P202、2行目

泣いています。


この章ではジョバンニの辛い、孤独な心情をトレースできますが、その他にも、読んでいて引っかかるところが出てきます。
・坂道にある青白く光る街燈
・自分を汽車に見立て、影ぼうしを相手に一人遊び
・時計屋にある、時を刻み、星の運行を表わす品々
・牛乳

ここでは牛乳に注目してみましょう。
牛乳と言えば、天の川の事を「ちちの流れたあと」というように書かれていました。
ちちと言えば、生まれて最初に採る栄養源ですね。ちちの語源はち(血)だと言われていますし、実際血液と母乳は成分がほとんど同じだとか。
生命の根源的な要素として捉えていいと思います。
その流れた跡のようだと言われているのが天の川です。
「天の川銀河は生命の源」というメタファーが、牛乳に込められていると思います。

五、天気輪の柱

天気輪の柱とは何か、については諸説あります。私が子供の頃読んだ本には百葉箱のようなものと書かれていましたが、これと確定されたものはないようです。興味関心のある方は検索すれば様々な説がネット上でも見つかりますのでどうぞ。
個人的には、法華経見宝塔品(ほけきょうけんほうとうほん)第十一に出現する宝塔のメタファーだと思っています。この塔が大地から出現する事により虚空へ衆生が招かれる事になりますので、銀河鉄道の夜に於ける銀河への導入と一致する為です。
詳しくは以前投稿した「宮沢賢治と法華経を読んで」をご参照下さい。

町から逃げるように走り出したジョバンニは、丘の上の天気輪の柱の前にたどり着き、草の上に体を投げ出すように横になります。
そこから町を眺め

町の灯は、闇の中をまるで海の底のお宮のけしきのようにともり、

P201、7行目

と書かれてますが、前章「ケンタウル祭の夜」でも町の様子を

空気は澄みきって、まるで水のように通りや店の中を流れましたし、

P197、後ろから4行目

ほんとうにそこらは人魚の都のように見えるのでした。

P197、後ろから2行目

丘の上の天気輪の柱からジョバンニが見ている情景を思い描いてみると。
眼下には水の底のような町があり、天空には天の川が北から南へ流れており、天気輪の柱の上には大熊星(北斗七星)がある。
草むらには蛍の光が瞬いて、草を透かして光っている。

言い換えると、北の高い空から川が、海の底のような町へ流れ、河原には青白く光を放つ虫が、ケンタウル祭で川に流す烏瓜のように見える。

いま繰り広げられている事象の全てが、ジョバンニの眼前に再現されている事になります。
つまり世界から一歩引いた、客観的視点を得た事になり、この時既に現世から乖離した場所にジョバンニはいて、この事は銀河へ誘われる予兆のように思えてきます。

六、銀河ステーション

いよいよ銀河へ
ここから現実離れしたファンタジーの世界へ誘われます。

天気輪の柱が三角標に形を変え、点滅しだすとどこからともなく「銀河ステーション」と声がして、とつぜん光に包まれたジョバンニは、気が付くと列車の中にいて、椅子に座っています。
目の前にはカムパネルラが座っていて

「みんなはねずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」と云いました。

P204、2行目

ジョバンニは、(そうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出掛けたのだ。)とおもいながら、

P204、4行目

不思議で意味深なやり取りですね。
文章をそのまま素直に読めば、天気輪の柱の前にいたジョバンニは余裕で乗れたけど、みんなは汽車に乗り遅れ、カムパネルラだけが間に合った。

そして何故かカムパネルラだけが地図を持っています。銀河ステーションで貰ったと言っていますが、ジョバンニは持っていません。
ジョバンニは偶々いた場所が良かったから乗っているだけで、正規の乗客ではないのでしょうか。

銀河ステーションで貰ったという地図は、黒曜石で出来ていて、丸形をしているようです。
その事から、星座早見盤のようなものと思われます。

 ※因みに町の時計屋で見入った品物の中心は星座早見でした。

カムパネルラが持っている地図によると、天の川に沿って鉄道が進んでいる事がわかります。
そしてこの時は白鳥座のすぐ北を進行中。

実際の星座早見を見るとわかりますが、白鳥座から天の川に沿って南下していくと、ケンタウルス座が横たわっています。
途中には こと座 蛇つかい座 さそり座 などがあります。

6時に活版所の仕事が終わり、家に帰って食事をし、お母さんと会話をし、牛乳を取りに家を出た時には暗くなっていましたので7時前くらいとして、町の時計屋で道草を食い、牛乳屋の後、丘へ行ったとすると、ざっと見積もって、銀河鉄道に乗ったのは、夜の8時頃でしょう。
星座早見盤で、白鳥座を北にして、さそり座を南にした時、夜の8時を指す日はいつになるかと言いますと6月中頃から7月の中頃でしょうか。
 ※星座早見盤はアプリでもスマホにインストールできます。

それから三角標というものが登場します。これはこの後も何度もでてきますが、それが何なのか?これについても諸説あり、最も有力と言いますか、ポピュラーな説は、測量の時に仮に設定する点。それを三角点と言ったりしますがその事だと言われています。
三角点は動かないように角材などを使って櫓を組み、それを三角標と俗に呼んでいた事もあるとの事。
実際に星と地球の距離を計測する時にも三角測量をして測るそうです。

この作中では、鉄道の道しるべか、距離を表わす標識か、駅などのポイントか、或いは星そのものかのように登場しますが、作意は不明です。

三角標の事は作中では
三角に見えたり四角に見えたり、稲妻のようであり、鎖のようである
と書かれていますが、三角測量は三次元測量です。三角を複数繋げて測量を繰り返す事で広い場所を測量していきますが、三角三つを閉じれば三次元的には三角錐です。三角錐は見る角度によっては三角に見えたり四角に見えたりしますね。
それが閉じないで、地面の上などを連続していけば、稲妻のようでもありますし鎖のようでもあります。

続く

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