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約束された場所で
このnoteは有料です。身もふたもない暗い事実をフィルターを掛けずに書いており、読み手を制限するために有料としていますので、ご理解をお願いいたします。
前回と前々回のnoteは「他者との関係性の重要性」を書いたわけですが、それについて考えていくうちにだんだんと陰鬱な気持ちになってきました。
加えて、田端信太郎氏の以下のtweetを目にしました。
選挙に出るってのは、他人様の悩みや問題を積極的に自分のものとして引き受けて、一肌脱いで差し上げましょう!ってくらい余裕がある人がやることだと私は思う。
— 田端 塾長/ テントサウナ付きキャンピングカー 貸します (@tabbata) May 22, 2022
自分の訴訟やら子育て資金やらで供託金も自分で出せないような人間は選挙に出ても、有権者のためにも、本人のためにもならないのでは? https://t.co/onqCCvjTWH
他者との関係性が薄い人は金銭的に裕福に離れない。裕福になれなければ、たとえば政治家になってもまともな活動はできない。
格差は、人生を決定づけてしまうのか?
それを否定する材料は、私の人生にはほとんどありませんでした。
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お金がなくても幸せ、は否定できません。
しかし、ないよりあったほうが良いのがお金です。これは間違いない。
大学進学している子を持つ親として痛切に感じることがあります。
それは、子供が何かをやりたいと熱望したときに、金銭的理由でそれを拒むことは死ぬほどつらいということです。
未来ある子供がトライしたいと言っているのに、経済的理由でそれをやらせてあげられない。これは本当につらい。
子供の願いは叶えてあげたい。どの親もそう考えています。
しかし、金銭的理由でやらせてあげられない。
これほどみじめなことはないわけです。
子供の可能性を伸ばす。これは理想です。
でもお金はない。これが現実です。
そうならないように人生を生きなければならない。誰しもそう考えます。
ですが、そこには如何ともしがたい壁があり、その壁は個体としての努力ではどうしようもない場合が多い。
本人の努力では超えられない壁。
格差とは、そんな壁に分断されて発生している「世界の棲み分け」なのだなと。
そんな絶望的な気分になるのです。
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