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ストーン・チェアの鼻歌

実家から自分のアパートに帰ろうと、新幹線に乗った。

夏休み真っ盛りという感じの小学生たちが、同じ車両にたくさん乗っていた。席に座って一息つくと、様々な声がはっきり聞こえる。

トランプゲームで盛り上がる幼い声。子供たちに静かにするようにと注意する親御さんたちの声。断片的に聞こえてくる、楽しそうな会話。

それなりに騒がしいが、我慢できないというほどでもない。隣のおじさんを横目で見ると、ぐっすり眠っていた。起こさないように、そーっと折り畳みテーブルを倒す。

ついさっき、売店で慌てて買ってきた駅弁をポリ袋から出す。昼食のことをすっかり忘れていて、出発時間ギリギリで売店に駆け込んだから、手頃な価格の弁当から適当に選んでしまった。

初めてじっくり見る弁当のパッケージには、”ワクワク!夏休み遠足弁当”と書いてある。

しまった。遠足で食べた弁当を思い出してしまう。

懐かしいけれど、良い思い出じゃない。父の転勤に合わせて引っ越しを繰り返していたから、小学生の頃は一年、同じ学校に在籍していたことがない。

物心ついた頃から重度の人見知り。大勢の人と、すぐに打ち解けられるような性格ではない。そんなものだから、遠足があっても、いつも独りぼっちで弁当を食べていた。

夏休みを謳歌する人々の多重奏を聞いているからか、ついさっきまで実家にいたからか、何だか妙に感傷的になってしまう。

暗い気分を払うように、割り箸の袋を素早く開ける。思い切り割り箸を割ろうとして、隣で安らかに眠るおじさんを意識し、慎重に割った。

小学生の絵日記のようなデザインがされている蓋を取ると、子供のお弁当の定番メニューが敷き詰められていた。唐揚げや卵焼き、アスパラガスをベーコンで巻いたやつ、三角おにぎりが2つ。デザートには小さいゼリー。

お子様向けの弁当だったのかもしれない。まぁ、美味しそうだからいいか。

ペットボトルのお茶も脇にセットして、お手拭きでしっかり指先を拭って、おにぎりを1つ、手に取った。一口かじる。美味しい。咀嚼していると、遠足の時の不思議な思い出が蘇った。


小学2年生の時、大きな公園でハイキングするという夏の遠足だったと思う。その時、やっぱり友達がいなかった私は、先生からも隠れるように、クラスの集団とは離れた位置でお弁当を食べていた。

独りで食べていることが先生にバレると、「先生と一緒に食べよう」と言われてしまう。皆、友達と食べているのに、私だけ先生と並んで弁当を食べれば、悪目立ちしてしまう。そう思って、私は集団からどんどん離れていった。

小川のそばにレジャーシートを敷いて、静かにお弁当を食べていると、「ん~」と、うろ覚えの歌詞の歌を歌うような声が聞こえてきた。

同級生が来てしまったのかと思って身構えたけれど、声は大人の女性の声のようだった。最後に残った卵焼きを飲み込んでも、歌は途切れなかった。透き通る声は、ゆったりと流れるように、音程を上下させていて。聴いていて、心地好かった。

どんな人が歌っているのだろう。

気になった私は立ち上がり、その声の主を探した。小川の縁に出てみると、近くに大きな石のオブジェが置いてあった。

近づいてよく見れば、それは大きなイスだった。耳を澄ませてみると、明らかに、そのイスから歌声が聞こえてくる。

イスには所々に苔がついていて、長い間、同じ場所に佇んでいたようだった。空にふわりと浮くような美しい歌声が、私に口を開く勇気を与えた。

「あの、なんていう、歌なんですか?」

ピタッと、歌声が止んだ。

ああ、邪魔してしまった。ちょっと勇気を出したことを後悔して、その場を去ろうとした時、声が返ってきた。

「寂しい、の歌。どうしようもなく寂しい時は、歌うの」

石のイスは、お姉さんの声でしっかり答えてくれた。寂しいという言葉に、私は胸が苦しくなった。

「歌えば、寂しくない?」

「歌っていると、寂しくないわ。私は途方もない間、ここに独りぼっち。でも、時々鳥や蝶々が止まってくれるし、いつでも苔が寄り添ってくれるし。本当は寂しくないはずなの。でも、時々、寂しい。皆と私が、きっちり隔たってしまう時があるの」

「……そうだね」

「お嬢さんも、寂しいのね。私の歌が聞こえるということは、そういうことだから。お嬢さんも、歌ってみて。あなたの歌声も、きっと寂しい誰かに届くから」

「……うん。そうする」

少し沈黙してから、石のイスはまた歌い始めた。私も小さく、声を重ねる。時間を忘れて、歌い続けた。ぼうっとしていると、大きな声で名前を呼ばれていることに気付いた。先生や同級生たちが、私を探していてくれたらしい。


「ごちそーさま」

食べ終わった駅弁に最後の挨拶をして、お茶を飲む。

あの石のイスは、今どうなっているのだろうか。あの遠足以降、あの公園には行っていない。今も、時々歌っているのだろうか。

新幹線で、身体はとんでもない速度で運ばれていて。夏の賑やかな話し声の中で、私は寂しい。

「……ん~」

隣のおじさんを起こさないように、小さく小さく、石のイスの鼻歌を歌った。



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