見出し画像

ダフネのオルゴール第14話

ダクトまでの地図を描いたメモを握りしめながら、様々なものが散乱している廊下を進む。普段ならば車椅子でもスムーズに通れる廊下だが、障害物を回避しなくてはいけない分、時間がかかってしまう。ひじ掛けの先端に付いている操作ボタンを押す指先が滑った。息が切れてきている。ダクトを通る体力を温存しなくては。焦る気持ちを抑えながら、操作ボタンから手を離して呼吸を整える。

雑然としたフロア内を見渡すと、人工知能体が何体か放置されていた。マネキンのようだ。人間の避難を優先するために、電源を切られて捨て置かれてしまったのだろう。どれか1体でも起動していてくれたら助かるのだが、見たところ無理そうだ。人工知能体は上級職員しか起動できない。ため息をついた時、遠くに見覚えのある赤毛のお団子頭が見えた。

「アリサ!」

転ばないように注意しつつ、車椅子を素早く動かす。近づいてみると、やはりアリサだった。見開いた瞳が光っている。手を取ってみるが、無反応で手先は冷たい。今の私には何もできない。下唇を噛みながら車椅子を方向転換した。早くダクトへ。そして助けを呼ばなくては。

しばらく進んでからメモと周囲の様子を見比べる。ダクトの近くに着いたはずだ。廊下の壁を念入りに調べていると、車椅子が小さな物体に乗り上げた。確認してみると、何かの留め具らしき金属だった。壁と同じベージュ色に塗装されている。

はっとして近くの壁に触れた。不自然に盛り上がっている個所がある。パネルのようなものが張り付いているらしい。少し手に力を入れると簡単に外れた。現れた丸いダクトの穴の直径を確かめる。私なら余裕で入りそうだ。

「よし……ここからが本番」

両ひざを強く叩き、気合を入れる。車椅子の後ろ側に固定されている酸素ボンベに手を伸ばした。自分の鼻に繋がっているチューブとの接続部分を片手で探り、慎重に捻って酸素の供給を止める。チューブを固定するために顔や首に貼っていた医療用テープを次々と剥がした。外したチューブは手早くまとめてボンベの上に置く。

重い酸素ボンベを抱えながらダクト内を移動することは不可能だろう。酸素吸引無しでの移動は、今の私には無謀極まりないものだろうが諦めるしかない。

車椅子をしっかりロックし、足に力を入れてゆっくり立ち上がる。酷い立ち眩みに耐えながら、なんとかダクトの中に身体を滑りこませた。

中は予想通り、真っ暗で何も見えない。コントロールエリアで見つけたペンライトをポケットから取り出し、口に咥える。ダクト内は最近点検されたためか綺麗な状態だった。しかし、底なしの暗闇が果てしなく続いている。子どもの頃に見た真夜中の黒い川を思い出し、ペンを落としそうになった。口に力を入れ直す。

今頃クレスは発電機を懸命に動かそうとしているだろう。リンシャは独りで恐怖と不安に耐えている。遠い記憶の幻が消えていく。もう戻れないし戻らない。決意して腕とつま先に力を入れた。体全体を前に滑らせる。ほんの少し進んだだけで、身体の内側から警報が鳴り響く。急激に息苦しくなった。上限量まで注入した鎮痛薬の副作用だろう。立ち止まるしかない。思い通りにならない自分の身体を苦々しく思う。

鎮痛薬の効果が切れれば、私は完全に動けなくなってしまうだろう。おそらく私のタイムリミットは残り2時間ほど。このダクトを往復することを考えると、ゆっくり休める余裕は無い。

暗いダクトの中は蒸し暑い。代謝機能が落ちているはずの私でも、気付けば大量の汗をかいていた。水分を吸ったパジャマが、私の手足の動きを邪魔している。延々と続く深い暗闇も、私の精神力を奪っていた。ダクトは時折分岐しているものの、それほど複雑ではないはず。リンシャがいる倉庫までの道順は頭に入れたはずだが、途中で何回も意識が遠のいた私の記憶は怪しくなってきた。

「思い通りにはいかないか」

自嘲し、またペンライトを咥え直して匍匐前進ほふくぜんしんを再開する。苦しい人生だった。でも決して不幸ではない。最後の最後にやってきた満ち足りた時間が、私の汚れとヒビを覆い隠してくれた。最期まで独りで静かに過ごすつもりだった。リンシャとクレスに出会うまでは。

私たちは似ていないが、似ている。一目で共鳴の予感がした。私たちの曖昧なのに安心できる関係性をカテゴライズするのはもったいない気がする。特にクレスは私を変えた。何か善いものを残したい欲が生まれた。

重くて惨めなままだった記憶を正直にさらせば、賢いクレスは何か価値あるものを見つけてくれるだろう。リンシャには治療法が見つかる可能性を残したい。私独りもがいてもほぼ無意味だろうが治験の頻度を増やした。できる限りのことをしておきたかった。

また息が上がっている。震える手でペンライトを口から外した。痺れかけている足と手の先が、酸素不足だと叫んでいる。あの2人は私に家族の夢を見させてくれている。できるだけ長く、その夢を見続けたい。でも私の夢が覚めた後も、あの2人は現実を生きていく。夢を見させてもらった私は、2人を無事に現実に帰さなくてはならない。



●ダフネのオルゴール第15話

●ダフネのオルゴール第13話

●ダフネのオルゴール第1話



この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

お気に入りいただけましたら、よろしくお願いいたします。作品で還元できるように精進いたします。