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ダフネのオルゴール第15話

遠ざかっていくクロエの車椅子が見えなくなると、すぐに発電機の起動に取り掛かった。あといくつ、どのくらいの威力の爆弾が仕掛けらえているか分からない。もしダクトの近くで爆発が起きたら、2人が犯人と出くわしてしまったら。恐ろしい想像を打ち消しながら、分厚い操作手順を記したファイルをめくる。

エレベーターさえ動かせれば、3人ですぐに脱出できるだろう。ハッピーエンドだけを思い描きながら、硬い文章を目で追っていく。難解な専門用語に怯んでしまう。両頬を叩き、自分を奮い立たせた。重いファイルを抱えて立ち上がる。

「とにかく動かせればいいんだよ。落ち着いて」

独り言を発しながら、発電機の近くで座り込んだ。ファイルの文章の解読作業に戻る。無数に付いているボタンやパネルの形を確認しては、ファイルに目を戻した。工具が必要になるかもしれないと気づき、コントロールエリア内を見回していると、音声機能が故障しているはずのモニターから人の声が聞こえてきた。

すぐにモニターの前に滑り込むと、ロックされていると思っていた監視モニターの1つが動いていた。エントランス前の監視カメラの映像のようだ。広々としたスペースでは、後ろで腕を縛られている職員たちが膝をつく体勢で並べられていた。ゆったりとした歩調で歩き回っている男は、大きな銃を抱えている。

恐ろしい現実を目の当たりにして思わず後ずさる。エレベーターを再起動させれば、すぐこのフロアにテロリストが乗り込んでくる可能性もある。私たちは見つかっているのでは?もうテロリストたちが階段を上ってきているかもしれない。イーボリックさんやカンザキさんも捕らえられてしまったのだろうか。もしかして最初の爆発で……。

倉庫監視用のモニターには、うずくまっているリンシャちゃんが映っている。2つのモニターを呆然と見つめたまま、時間だけが過ぎていく。焦っているのに、心は妙に静かになっていた。

なんとか足を動かして、ふらふらと発電機の前に戻る。鈍くなった思考はオペラ色に染まっていく。心地いい穏やかさだ。もう諦めてしまおう。今までも諦めてきたのだから。両親や先生の言う通りに生きてきた。彼らは私に無理だから止めなさいと言うだろう。

モニターに映るリンシャちゃんを見つめた。きっと心細い気持ちで助けを待っている。クロエと私を呼んでいるかも。私は二人にまた再会したい。このままもう会えないのは嫌だ。

素早くファイルをめくり、発電機のボタンを慎重に押していく。私はどうしてもエリシャとクロエのそばにいたい。今大切なことは、それだけのはずだ。

何度もボタンを順番に押してみるが、起動しそうにない。モニター画面から聞こえるテロリストたちの怒声や職員たちの悲鳴が、私の手先を震わせる。また間違えた。きっともう少し。深呼吸してボタンを押していく。手応えの無さに落胆のため息を吐いた時だった。発電機から低い音が出ている。どんどん音が大きくなり、発電機が震え始めた。起動したのだ。

「やった!」

素早くパネルを操作してから、電気の供給レバーを上げた。これでもうエレベーターは動くはずだが、確認したほうがいいだろう。コントロールルームを飛び出して、左足を引きずりながら走る。爆発音や警報音、ついさっき聞こえた悲鳴と怒声。色々な音が耳の奥で繰り返し鳴っていた。

エレベーターの扉に片手をついて、普段は使わない手動操作用のボタンを連打する。動いている気配がない。

「動いて!動いてよ!」

叫んでみるが、私の声が響くばかりだった。扉を何度も叩いて蹴るが、動かない。扉に背を預けて座り込んだ。電力を送るケーブルに問題があるのだろう。もう私にはどうにもできない。やっと見えた光が遠ざかっていく。長い廊下の先が歪んで見えた。


「まったく、暗いな」

思わず愚痴が出た。いくら進んでも暗闇のトンネルは続く。手に持っていたペンライトを咥え直そうとするが、なかなか口が開かない。体の疲労は限界点に達している。やけに穏やかな眠気すら感じるようになり、恐怖を振り払うように頭を振った。

死ぬのは怖い。涙がにじみ出てくる。今クレスがそばにいてくれたら、すがってわんわん泣くだろう。私は普通の人間なのだ、と改めて実感する。震える口をこじ開けて、ペンを咥えて前進する。

もはや無意識で体を動かしていると、思い出が脳裏に浮かんでくる。クレスが流してくれた涙の優しい冷たさ。エリシャの笑顔と澄み切った小さな声。手に持っている花火を手渡そうとする私に、困ったように微笑む母と祖父。

まどろんでいく私の頭の中で、覚えておきたい思い出がリピートされる。今ここで死んだら、きっとクレスに怒られてしまう。重い後悔を背負わせてしまう。それは駄目だ。希望だけ残しておきたいのだ。

また頭を振って眠気を払う。私な死なない。エリシャとクレスにもう一度会う。約束したのだから。永遠に続いているような暗闇の先に、弱い光が差し込んできた。ペンライトを消して幻覚でないことを確かめる。ゴールテープが見えた。喜びと安心感で、一気に体力が回復する気がした。鉛のように重くなっている手足に、思い切り力を込める。




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