並べられた天の岩戸は今に開く
長く掴んでいたせいで、端がくしゃくしゃになったノートの切れ端をベッドの上に放り、自分もベッドに腰かけた。絡まっている思考を放棄し、窓から見える夕日を眺める。
探偵になって十年、こんなにも難航する人探しの依頼は初めてだ。
今回の仕事は、とある夫婦の捜索依頼。依頼主は夫婦の両親。何の兆候もなく、突然二人揃って行方不明になってしまったらしい。警察に相談したが、三ヶ月経っても何の進展もなく、両親たちは探偵の私に一縷の望みを託したのだ。
古代史を研究する歴史学者の妻と、時間を研究する理論物理学者の夫。二人の友人や同僚、上司などに話を聞いてみたが、身代金目当てに誘拐するような組織や人間とは縁遠い、温厚で真面目な夫婦だということだけが判明した。
おそらく事件ではない。蒸発、失踪だ。しかし、行き先が全く分からない。怪しそうな場所はすべて当たってみたが、手掛かりなし。お手上げだ。
淡い希望を抱いて、夫婦が最後に滞在していたビジネスホテルの509号室に戻ってみたものの。
部屋の中を見渡す。夫婦は財布やスマホも何もかも、この部屋に置いたまま消えてしまった。夫婦は、それぞれ学会発表のために出張中だったらしい。同じ会場だったから、同じ最寄りのホテルに泊まったのだろう。
ついにベッドに大の字で寝ころび、ちょうど顔の横にあったノートの切れ端をまた手に取る。夫婦が唯一、この部屋に残したヒントのメモ書き。
”過去と現在、未来の時間は、並列している。今現在目の前に、そのままに並んでいる。私たちは先に行っています。私たちの過去と未来を並べ直しに”
何度読んでも、意味が分からない。物理学と歴史学。学者夫婦は、何か、とんでもないことを知ってしまったのだろうか。そんな気がして、メモを呼んでいるとゾクゾクする。
そういえば、古い情報、書いてから時間が経ったノートはコールドノートと呼ばれるのだった。まさに、凍えるような情報だ。
勢いよく起き上がり、もう一度部屋の中を隅々まで調べる。警察が何度も調べただろうが、諦められない。
掛けられている絵画の裏も、カーテンの内側も、丁寧に調べる。壁も調べる。端からコンコンと手で軽く叩きながら確認していると、跳ね返ってくる音が微妙に違う場所を見つけた。
明らかに、他の場所よりよく響いている。奥に空洞があるような音だ。音が鳴る二十cm四方の箇所だけ、微妙に壁紙が白い。
剥がれかけている壁紙を慎重に剥がす。完全に剥がし終えて、息を呑んだ。下の壁紙に「時間はここにも並ぶ」と記してある。あのメモと同じ筆跡だ。
私は急いで、ホテルのフロントに走った。壁を壊す許可を得るために。
数日後、様々な道具を準備して、私はまたホテルの怪しい壁と向き合っていた。夫婦の両親もホテルのオーナーも、固唾を飲んで私を見つめている。
「……じゃあ、始めますよ」
小型の電動鋸で壁を切る。意外に刃が軽く入っていく。二十cm四方の切れ目を入れると、ポコンっと、自然に穴が開いた。その穴から中を覗く。なぜか、小川が流れるような音がする。暗い。
「誰か、いますかー!?」
声を張り上げると、徐々に隠し部屋の中が明るくなって、信じられない光景が広がった。
どこまでも広がる芝生の大地の奥で、豪華絢爛な和装の人々が優雅に踊っている。踊る人々を囲む人々が、重厚感のある雅楽を奏でている。
隠し部屋は信じられないほど、広かった。もはや、部屋ではない。屋外だ。小さい窓から雄大な景色を覗いているようだ。
踊る人々の奥には、注連縄が締められている大きな岩があった。息を呑んで見つめていると、岩がゆっくりと横に動いた。ゴゴゴゴゴと響く音。岩の奥からは、光がどんどん漏れ出てくる。光の奥に、長い髪を垂らした女性のような人影があった。鹿の角のような、冠を被っている。
強い光に耐えられず目を閉じた時、直感した。天照大御神だ。太陽の女神。天の岩戸。古代の日本。神話の時間。
隠し部屋には、古代の時間が並んでいたのだ。きっと、あの夫婦が並べたのだ。
「大丈夫ですか?!救急車、呼びますか?!」
大きな声で目が覚めた。見知らぬ人の必死の形相に驚く。
「は~良かった。何時間経ってもフロントにいらっしゃらないので、様子を見にきたんです。気絶しているような感じだったので……大丈夫ですか?」
「……大丈夫……すみません……」
「ああ、まだ急に立ち上がらないほうが……」
ふらふらと立ち上がり、あの不思議な穴のあった壁を確認する。
叩いてみたが、奥に空洞があるような音はしなかった。強く左手で握っていたあのメモを広げて読み直す。
過去と現在と未来。私の今現在が、あの夫婦の過去と繋がったのか。あり得ない妄想に笑いが込み上げる。
満足そうな顔をした夫婦が、すぐそばにいるような気がした。
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