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風来坊の風のレシピ

斜め、縦横。交差した点同士を繋げるように、また線を足していく。

何となく描き始めた砂絵は、何か違う気がして、いつまでも完成しない。昔、南太平洋の島で見た砂絵を真似して、ウミガメを描いているつもりだが、一向に甲羅の模様が決まらない。

「不思議だね。砂浜に指で線を描いていくだけなのに、緻密で鮮やかだ」

一緒に砂絵を眺めながら、私の横でそう言った夫の言葉をそのまま、声に出してみた。子供の落書きのような私の砂絵は、本物に遠く及ばない。

強い風が吹いてきて、目を閉じる。少し目を開くと、砂絵があっけなく崩れていた。夫の命のようだった。病であっけなく燃え尽きた命。ママチャリで風を切るのが好きだった命。今日で三回忌。もう3年なのか、まだ3年なのか。

「あっ!風、ストップ!まだ風車かざぐるま出してないのに!ちょっと待って!」

焦ったような高い声が聞こえてきて、驚いて振り返る。後ろのほうに、釣り竿のような、長い棒を引き摺ってきている若い女性がいた。

今夜には台風が来る、人気のない海辺で何をしているのだろう。私もそう思われるか、と冷静になりながらも、心配になってきた。

私は人がいない海辺で散歩したかっただけだが、あの人は釣りをするつもりかもしれない。もう波が荒れだしているのに。止めなくては。

「あの!さすがに、釣りは止めたほうが……」

私が声を出した途端、女性が釣竿をぐわっと掲げた。釣り竿の先には、大輪のダリアのような、巨大で豪華な風車かざぐるまが付いていた。

また強風が吹きつけてきて、風車は軽快に回転し始める。



「釣り竿かと思いますよね。本当に、紛らわしいことしてすみません」

あはははと笑う女性は、恥ずかしそうに首元に手を当てている。喫茶店で、全く初対面の人とお茶をしている。人見知りの自分には、そうそうないシチュエーションだ。

女性は、強烈な海風を採取するために、あの風車かざぐるまの付いた棒を掲げていたらしい。棒の持ち手側の端からは透明なチューブが伸びていて、それは女性が背負うリュックに繋がっていた。

言動はエキセントリックで困惑したが、穏やかな雰囲気や話し方が夫と似ていて、話が弾んで。風を集め終えて疲れた様子の女性を、自然にお茶に誘っていた。これは、人生初のナンパ成功、ということになるのか。

「いえ、こっちが勝手に心配しただけなので。でも、風を集めて売るなんて、面白いですね。どんなお仕事なのか気になって、もっとお話したくなって」

ホットコーヒーに角砂糖をたっぷり入れていた女性は、にこりと笑った。

「つむじ風とか向かい風とか、そよ風を採取して、調合して販売してます。最初に代金を頂いて、指定されたタイミングと場所でオーダーされた風を吹かすのです」

女性がくるくるとスプーンでコーヒーを混ぜる様子を凝視してしまう。真面目に受け止めていい話なのだろうか。女性がコーヒーを飲み、一息ついた所で信じると決めた。

「……どんなお客さんが来るんですか?」

「色々ですねー。雛が巣から飛び立つ日に、追い風を吹かせて欲しいという鳥のご夫婦のお客様とか、遠くにいる友達にすぐ会いたいから、特定の方向に吹く風が欲しいという蝶々とかトンボとか、渡り鳥のお客様とか、多いですね。ヒトのお客様も、時々いらっしゃいます」

本気で受け取っていいのか、また迷ってきた。

「……蝶々とか鳥からは、どうやって代金を……」

「ああ、今まで見た美しい景色の記憶とか、風の感触とかをお代として頂いています。私の生きる糧なのです。注文を承りましたら、まず私の事務所でお客様とお話して風のレシピを作るのですが、それが楽しくて楽しくて。心の糧もいただいております」

女性の弾む声と表情に、嘘は無いように見える。夫と海沿いの公園をサイクリングした時の、爽やかで力強い風を思い出した。どんなレシピから、あの風は作られるのか。

「あの、注文したいのですが、連絡先とか教えてもらえますか?」





夫の使っていたママチャリに跨り、注文した風を待つ。まっすぐ、どこまでも続くサイクリングロードの果てを見つめる。

次々に私を追い抜いていくマウンテンバイク。補助輪を付けたままの小さい自転車。こちらを少し振り向いた男の子に、小さく手を振る。

ざざざざ、ざざざざ、と良い風が吹いてきた。南太平洋の島の風と砂絵を思い出しながら、ぐっと、ペダルを押し込む。



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