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ダフネのオルゴール第2話

目的の駅に降りた私は、同じホルスホスピスを目指す学生たちの団体に加わり、滑らかに舗装されている道を歩いた。数千もの地区に分かれている広大なムーンヴィレッジの中でも、ホルスホスピスのあるクラフラス地区は治安が良いことで有名だ。

他の学生たちの顔を見渡してみると、緊張で顔が強張っている人と旅行気分で楽しそうな人に分かれていた。私はもちろん前者。

ホルスホスピスに到着すると、大勢の職員さんたちに出迎えられた。そして、これから1年間の生活の拠点となる職員用エリアに連れていかれる。柔らかな質感のあるベージュ色の廊下は、大きな窓から入る穏やかな陽光できらきらと輝いていた。

割り当てられた7畳ほどの個室は、飾り気は一切無いものの、必要なものがコンパクトに揃っていて使いやすそうだ。さっそく重いボストンバッグを置いて、スケジュール表に書かれている研修に参加する準備をする。最初に行われる研修は、とにかく広い病院内を歩いて回り、非常通路やトイレなどの場所を覚えるものだ。急いだつもりだったが、集合場所に着いた時にはもう研修が始まる直前だった。

引率している若い男性職員が話す内容をメモしながら、必死に集団についていく。ホルスホスピスは、クラフラス地区内最大規模のホスピスとして数年前に建設された。実際の内部は宣伝通り、広く清潔で、ほとんどの調度品が丸みを帯びている。患者さんのいるフロアは想像よりも人の数が少なく、静かだった。

「次はプラントエリアです」

次に紹介されたエリアは、屋外かと思ってしまうほど、とてつもない開放感のある場所だった。多くの学生が感嘆の声を上げる。あらゆる種類の花が咲いていて、植物の濃厚な香りが漂っている。深い森にしかないような大木もあり、中には珍しい実が生っている木もあった。まるで植物園だ。

プラントエリアの内部はドーム状の透明な特殊素材で仕切られており、光の強さや温度、湿度が完璧にコントロールされているらしい。メモをとりながら、とろけるように快適、と書き加えておいた。

「この場所は患者さんや私たち職員の憩いの場であると同時に、新薬の開発という戦いの場でもあってね。ここでは薬効のある貴重な植物を育てているんだよ」

突然、中年男性の穏やかな声が響き渡った。学生たちが一斉に話し手のほうを向く。

「やぁ。驚かせてごめんね。僕は研究員のカンザキです。このホスピスでは、治療の可能性を広げる新薬の研究も行われてるんだ。治験を希望する長期入院の患者さんも多くてね。このホスピスで生まれた薬は、ムーンヴィレッジ中の病院で使われてる」

袖を豪快にまくり上げた皺の多いワイシャツと、淡い金色の髪が印象的なカンザキさんは、アイスブルーの瞳を輝かせている。聞き取りやすいテノールの声で、誇らしげに語り続けた。

「貴重な植物も多くてね、時々植物学者も訪ねてくるよ。ここでは手の空いてる研究員も植物の世話をする。ずっと研究室に閉じこもっていると気が滅入るけど、土や植物に触る仕事があると気分転換できるから。慢性的な職員不足も悪いもんじゃないね」

「カンザキさん、まだ紹介するところがあるので」

引率役の若い男性職員が、困った表情でカンザキさんの話を止めた。話し足りなそうなカンザキさんに見送られながら、プラントエリアを出ていく。職員不足、とメモに書き入れた。


部屋に設置されている大きな姿見で、念入りに身だしなみを整える。薄いオレンジ色の制服は、胸の当たりで切り返しが付いた機能的なデザインで着脱しやすい。着心地も良い。

約1ヶ月間のトレーニング期間を終え、とうとう今日、担当する患者の前に立つ。右手首を見た。この中に金属チップが入っているなんて信じられない。担当患者さんの病室やカフェテリアなどに入る時の鍵となるチップだ。手首に入っていれば絶対に失くさないので安心だ。学生ボランティアは形式上、下級職員として採用されるので移動できる場所は限られるが、一人前の職員になったような気分になって気が引き締まる。

緊張しながら栗色の短髪を整えていると、少し目に入りそうになっている前髪が気になった。前髪に手を当てながら、固い表情の自身の顔をしばらく睨みつける。ノックの音で我に返った。

「おはよう、クレスさん。ついに本格始動ね。もうそろそろ行くけど、準備はいい?」

お世話になっている介護士のイーボリックさんが、いつもの元気な様子で部屋に入ってきた。大丈夫ですと答え、私はイーボリックさんの速足に慌てて付いていく。

「実は、あなたが担当する患者さんはね、少し複雑な事情を抱えている様子なの」

一緒に長い廊下を歩きながら、イーボリックさんは少し困った表情で話しかけてきた。担当する患者さんの基本情報は事前に伝えられるはずだが、これは初耳だ。

私が担当する患者さんは循環器系の病の進行により、28歳という若さで後1年半ほどの命と宣告されているらしい。職員に対する態度には特に問題は無いということも、先輩職員たちから聞かされている。一気に不安になった。

「複雑な事情、というのは?」

「あまり個人的な事は話さない人だけど、昨日、担当看護師に珍しく過去の話をしてくれて。父親を殺したんだって、言ったらしいの」

私は担当予定の患者さんに関するネガティブな情報に初めて直面し、衝撃を受けた。殺した?父親を?

「ああ、でも犯罪歴がある人ではないし、いつも穏やかな様子だから、きっと思い込みか言葉の綾なんじゃないかって職員たちで噂しているの。ホスピスには自身の過去を過剰にネガティブに思い出して、悔いる人もよくいてね。これから話し相手になるあなたは、心に留めておいたほうがいいわ。でも何か問題があればすぐに私が対応するから、あまり深刻に受け止めないでね」

黙っている私が心配なのか、イーボリックさんは早口で私を安心させる言葉を発する。エレベーターが目指す階に着いた。私はこれから、父殺しを告白した患者さんと会うのだ。手汗が酷くなり、ごうごうと血が流れる音を感じた。

イーボリックさんがパネルを手慣れた様子で操作すると、静かにドアがスライドして開いた。病室はほどよい広さの個室で、上品なデザインの木製家具が備え付けられている。背もたれ部分を上げたリクライニングベッドには、女性が座っていた。

「よろしく」

穏やかそうな声と笑顔、差し出された白く細い手が、私の緊張を増させる。父親を殺したんだって――イーボリックさんのさっきの言葉が頭を離れない。私のせいでぎこちなくなってしまった握手と挨拶の後、イーボリックさんが今後のボランティア内容について明るく説明した。

私の担当患者さんとなるクロエさんは、小さい相槌を入れながら説明をよく聞いている。クロエさんは私と同じ東洋人系の顔立ちで、黒に近いブルネットの髪色をしていた。長めの前髪を斜めに分けたボブヘアには、少し癖がついている。

切れ長な目は大きく、美人という印象を受けた。容体は安定しているようで、健常者と思えるほど血色が良い。今は私のほうが重病人に見えるだろう。イーボリックさんが退室し、いよいよ私とクロエさんだけの時間が始まる。しかし、何度も練習していた第一声がうまく出ない。

「短い髪、いいなぁ」

少しハスキーな優しい声で話しかけられ、どきりとした。

「私もここに来てばっかりの頃はかなり短かったんだ。今はこんなに伸びちゃって」

悪戯っ子のような笑顔を浮かべるクロエさんを見て、全身の緊張がゆるんだ。

「今の髪型もお似合いですよ」

「そうかな?でもずっと短かったから、顔まわりの髪が鬱陶しくて。この前、少し髪を切ろうと思ってハサミとか剃刀が無いか職員の人に聞いたら、変な勘違いされちゃった」

笑うクロエさんにつられて、私も思わず笑ってしまう。

「ねぇ。2人で話す時はさ、敬語無しにしようよ。私のことは呼び捨てでいいから」

「でも、失礼になりませんか?」

「いいよ。私、そういうのあんまり気にしない。そういえば私たち、名前似てるよね。ねぇ、クロエって呼んでみて?」

「……クロエ」

私は年上の人を呼び捨てにすることに抵抗を感じながら、恐る恐る名前を呼んだ。思えば一人っ子の私は、姉といえるくらいの年齢の女性と、まともに話したことも無かった。

「クレス。これから本当によろしく」

チャーミングに微笑むクロエさんに胸が高鳴った。さっきまで私を不安の渦に引き込もうとしていた言葉は、記憶の奥底に沈めることにした。



●ダフネのオルゴール第3話

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