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ダフネのオルゴール第3話

ホルスホスピスの学生ボランティアの主な仕事は、患者さんの話を聞くことだ。ホルスホスピスにはベテランの看護師や医師、介助を行う人工知能体や介護士がたくさんいる。もちろんプロのカウンセラーもいるが、治療や介護と直接関係の無い立場の人間が患者さんに寄り添うことで、精神面のケアがしやすくなるらしい。

学生ボランティアは、ほぼ一日中患者さんに付き添うことになる。そのため、患者さんと良い関係を築くことができなければ、ボランティアは中断されるだろう。

責任が重い分、確かな自信をつけるチャンスなのだから絶対にホスピスボランティアをやり抜かなくては。そんな気負いはクロエと数週間ほど過ごすと自然に消えていた。

クロエは基本的に静かであるものの、ある程度心を許した相手にはフランクに接するようだ。内気な性格の私にも、まるで歳の離れた姉のように話しかけてくれる。

イーボリックさんは、私たちが予想以上の速さで打ち解けたことに驚いていた。私もこれほど早く他人との距離が縮まったことが無く、不思議に感じる。

「おはようクロエ」「おはよ。今日は例のゼリーでした」

病室に行くと、朝食を終えたばかりのクロエが苦い顔をして報告してくれた。朝食に時々出る微妙な甘さのフルーツゼリーがどうしても苦手なようだ。私は笑いながらクロエの車椅子を用意する。車椅子もホスピスの内装と同じように、全体的に丸い形状をしている。車椅子にもランクがあるようで、木製の重厚感のある見た目の車椅子が最も高いらしい。クロエは標準的な軽量金属製の車椅子を愛用していた。

「今日も天気がいいね」「いつも晴れ。変な感じ。時々曇ったっていいのに」

各病室の天井には楕円形の天窓を模したスクリーンがあり、患者さんはベッドに横たわりながら、いつでも好きな時に空のライブ映像を見ることができる。クロエは毎朝空を見上げている。しかし曇り空や雨にならない人工的な空模様は、あまり好きでないらしい。

「曇りが好き?」「晴れが好きだけど、ここに来て曇りが好きになった。よいしょっと」

皮肉を言うクロエは、ベッドの補助機能を使いながら自力で車椅子に乗った。すでに病は深刻な状態らしいが、強い痛み止めの薬を使っているおかげで、日常生活に必要な動きはできるらしい。しかし、安全のためにホスピス内の移動では車椅子を使わなければならない。

「今日はプラントエリア?」「そうだね。今日こそはリンシャいるかな」

クロエの車椅子を押しながら、広いエレベーターに乗り込み、自動音声に3階と伝える。リンシャちゃんは、クロエが入所直後に仲良くなったという8歳の無口な女の子だ。リンシャちゃんも幼くして重い病を抱えている。家庭事情が複雑なようで、現在は養護施設の職員の夫婦が親代わりとなっているらしい

リンシャちゃんは入所後しばらくの間、どの職員とも一切会話をしなかったという。しかし、クロエとは初対面の時から話すことができたらしい。その場にいた職員たちは、全員目を丸くさせていたとクロエは楽しそうに語った。

私がちょうどホスピスに来た頃に少し体調を崩してしまったリンシャちゃんは、しばらく個室から出られないらしく、私はまだ会ったことがない。クロエはリンシャちゃんのことを、特別素直ないい子と語る。できるならリンシャちゃんとも深く関わってみたい。

あっという間にプラントエリアに着いた。手首のチップをパネルに認証させると、スライド式の扉が滑るように静かに開く。様々な草花の香りが私たちを歓迎してくれた。通路を進めば進むほど、植物の匂いが強くなっていった。

いつ来ても、印象派の絵画の中に入ったような気分になる。多種多様な花たちが、それぞれの色彩を主張していた。奥に行くほど樹木が増えていく。2人でお喋りしながら進んでいくと、大きなゲートに行く手を阻まれた。ゲートの内側では、かなり希少な植物が栽培されているらしい。引き返して、休憩所のある方向に進む。

生い茂る植物の色彩が乱舞する光景に圧倒されながら、緩やかなスロープを登っていく。めまぐるしく変わっていくプラントエリア内の風景の中に、白い箱のような休憩所が見えてきた。広々としたデッキスペースがある、クロエお気に入りの休憩所だ。

定位置となっているデッキチェアの横に車椅子を停め、車椅子から移ろうとするクロエの体を支える。クロエがデッキチェアで楽な姿勢になれたことを確認してから、そばにあった木製のスツールを引き寄せ、座った。周囲を見回すと、今日も多くの患者さんがくつろいでいた。

「今日はヒマワリの香りがする」

患者さんに配慮し、香りが強い花や花粉が多い樹木は職員専用の研究エリア内でしか栽培されていない。しかしクロエは、プラントエリアに漂っている控えめな花の香りも、しっかり嗅ぎ分けることができるのだ。私は目を閉じて、嗅覚に意識を集中させた。

「やっぱり私は分からないなぁ」「修行あるのみ」

クロエは楽しそうに笑った。しばらくの間、2人で心地好い沈黙を守る。クロエの顔をなんとなく見た。一見冷たそうな無表情が、穏やかな瞳の美しさを際立たせている。見すぎてはいけない気がして、すぐに目線を植物たちに戻した。


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