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ダフネのオルゴール第4話

ガサガサという大きな音で、沈黙が破られる。重なり合った大きな葉の隙間から、樹木にしがみ付いているカンザキさんの姿が見えた。まるで大きな猿だ。

「あ、お邪魔してすまんね」

私たちの視線に気づいたカンザキさんの第一声に、クロエが吹き出した。そのせいで、笑いをこらえる努力が無駄になる。カンザキさんは少し恥ずかしそうな様子で木を降りて近づいてきた。

「ごめんなさいカンザキさん」

私が謝ると、カンザキさんは裏声で猿の鳴き真似をして、さらに私たちを笑わせた。新薬研究を専門とするカンザキさんは、患者さんにも気さくに接するベテラン研究員だ。

よくプラントエリアで楽しそうに植物の世話をしており、患者さんと親しげに話している。プラントエリアによくいる私たちにも、カンザキさんは気の良い親戚のおじさんのように接してくれる。多くの患者さんや職員に慕われているが、厳格なイーボリックさんからはよく注意されているようだ。

「ちょっとホオノキの実の様子を見てて。真っ赤でトゲのある実が生るんだよ」

カンザキさんの指さした方向を見ると、確かに赤い実が見えた。

「美味しいんですか?」クロエは身を乗り出し、興味津々な様子でカンザキさんに尋ねる。

「んー食べたことないな。でも、毒は無いはずだよ。数週間後には熟れそうだから、その時3人で食べてみようか?」

楽しそうな提案に、2人で大きく頷く。

「そうだ。せっかく僕がいるんだから、あのゲートの中、入ってみるかい?今まで入ったことないでしょ」

私たちが答える前に、カンザキさんはどんどんゲートの方向へと歩いていく。クロエを見ると小さく頷いたので、急いでデッキチェアから車椅子にクロエを移し、カンザキさんに付いていった。

初めて入った頑丈なゲートの中では、種類ごとにきっちりと整理された状態で、草花が栽培されていた。憩いの場というよりも、研究施設という雰囲気が強い。真っ白な花壇の中には、生まれて初めて見る草花がたくさんあった。

迷いなく進むカンザキさんは、光沢のある淡いピンク色の花の前で止まった。そのオパールのような美しさに、目が釘付けになる。「綺麗」クロエと同時に言葉が出た。

「ダイヤモンドリリーだよ。高山植物の一種でね。こんなに優雅な見た目だけど、とっても厳しい環境下で育つ。僕は地球にいた頃に、山の頂上で見たことがあるんだ。正直登山自体はあまり好きになれなかったけど、この花を見つけた時の感動は強烈だった」

「また会う日を楽しみに」

クロエが突然つぶやいた。はっとした様子で、カンザキさんがクロエの顔を見つめる。

「よく知ってるね。ダイヤモンドリリーの花言葉」

「私もこの花が好きで。花とか花言葉とかに特別詳しいわけじゃないですけど、なぜかこの花言葉だけ覚えました」

「私の妻もそうだったなぁ」今まで見たことが無いほど優しい表情になったカンザキさんが、懐かしそうに呟いた。

「奥さんと見たんですか?ダイヤモンドリリー」

初めてカンザキさんの口から植物以外の話を聞き、好奇心が刺激されて、思わず聞いてしまった。クロエと同じく、カンザキさんもあまり自身のことを話そうとはしない。

「そうだよ。学生の頃だから、もう20年前か。当時はライバルに近い親友みたいな関係でね。残念ながら登山中はロマンチックな展開にはならなかったけど、この花は貴重な共通の思い出になったんだ。結局まともな旅行なんて、しなかったから」

沈黙が落ちる。カンザキさんの笑顔が薄くなる。嫌な予感がした。

「亡くなられたんですか」

カンザキさんの話を促すように、クロエがはっきりと聞いた。カンザキさんは頷いた。

「5年前に。免疫系の持病が悪化してね。僕は臆病な夫で、ただオロオロしているばかりだった。最期にただそばにいることさえ、できなくて。自暴自棄にもなったけど、なんとかまだ研究員をしてる」

クロエと私は、カンザキさんと同じように、しばらくダイヤモンドリリーを見つめて沈黙した。私は自身の軽率さを恥じながら、長い間、カンザキさんが耐えていたものを想像する。まだ愛するものを何一つ失っていない私の想像は、どのくらい現実と離れているのだろう。金属音が響いた。他の研究員がゲートを開けたようだ。

「ごめん。患者のあなたの前で話すことじゃなかった。でもなんとなく、あなたには嘘を吐きたくなくて。私は嘘が下手だし。ああ、またイーボリックさんに叱られてしまう」

「いいえ、大丈夫。信用してくれて嬉しいです」

カンザキさんの笑顔は、いつもの状態に戻っていた。

「今度は研究エリアに招待するよ。今は月桂樹をテーマにした研究をしててね。月桂樹の珍しい花が見られるよ。僕の机の周りに嫌になるくらい置いてあるから。それじゃそろそろ失礼するね。他の職員の人には言っておくから、好きなだけ見てって。ああ、草花には触らないでね」

カンザキさんは、私たちに明るく告げながら去っていく。私がカンザキさんの後ろ姿を見つめながら押し黙っていると、クロエが私の心情を見透かしたようにつぶやいた。

「聞いてよかったんだよ。むしろカンザキさんは、聞いてもらいたかったんじゃないかな。救いって、そんなものだし。クレスと私は、光栄にもカンザキさんにかなーり信用されたってこと」

また会う日を楽しみに。クロエの声で再生されるダイヤモンドリリーの花言葉が、頭から離れない。


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