サンセット・ルネサンス
表紙に大きく「世界の人類史図鑑」と記された大きな本は、もう朽ち果てる寸前の状態だ。潰れてしまわないように、四隅には金具が取り付けられている。その本を両手で抱えながら、黒い砂浜を歩く。
直径五cmくらいの光沢のある黒い石を見つけた。しゃがんで本を慎重に置き、石を手に取る。本を「黒曜石」のページまで捲り、載っている写真と見比べる。
同じもののような、そうでないような。黒い石をよく観察する。波の音が遠くなっていった。
我に返れば、もう海の向こうには太陽が降りてきていた。立ち尽くし、赤い海を眺める。そろそろ帰らなくては、村の皆が心配する。でも何となく、帰り難い。まるで、夕日の朱色に引き留められているような。
これが、ノスタルジックな気分というものか。
私は子供の頃から好きな科学や歴史にばかりのめり込んでいて、文学や芸術には疎い。でも、この夕日が美しいこと、沸き立つ感情がノスタルジーということだけは理解できた。
最近は人類史に心を奪われている。特に、現代史が好きだ。
今の私たちに直接繋がる、人類の歴史。それには、私の好きな科学が深く関係しているから。そして、目の前の夕景のような切なさを、強く感じるから。
生物模倣、バイオミメティクス。生物が獲得したあらゆる特殊機能を、人間が活用できるようにする科学技術。
どこにでもくっつく野生ゴボウの実からは、マジックテープ。水をはじく蓮の葉からは、撥水塗料。
二十一世紀、この技術が登場した初期の頃は、便利な道具を生み出す技術に過ぎなかった。しかし、二十二世紀頃から人体に直接、他の生物の機能を付け足すという革新的な技術に変わった。
最初は、鳥だったらしい。
身一つで空を飛ぶ能力を、人体に追加する技術が開発された。簡単な手術を受けるだけで、鳥のように自在に飛べるようになる。身体の見た目は変わらない。腕をただ翼のように広げるだけで、自由自在に飛べるようになる。
すぐに世界中の大富豪や優秀な研究者たちが飛びつき、バイオミメティクスは驚異的なスピードで進化した。五十年足らずで、世界の八十%の人が当たり前のように空を飛ぶようになったのだ。
サラサラサラ……ザザザザザザァブザブザブ……サラサラサラ……
穏やかな波打ち際の音が、一番好きだ。風が鳴る音も焚火の音も好きだけれど。
夕焼け空の遠くに、小さい鳥の影が見えた。鳥は、どの音が好きなのだろうか。やっぱり風を切る音?今私が飛べたなら、あの鳥に尋ねてみるだろう。
極寒の気温に耐えられる皮膚。滑らかな壁を登れる掌。自分の数倍の高さまでジャンプできる足腰。ありとあらゆる生物の能力を獲得していった人類は、自分たちが進化に成功した完璧な生物だと思い込んだ。
そして、失敗してしまった。
急激に詰め込まれた多様な超人的能力に、人間の身体は耐えられなくなり、身体全体が脆くなるという大問題が生じた。世界の平均寿命は急激に短くなり、能力を手放したい人が急増。
その混乱が引き金となり、戦争も起きた。
各地の高度文明が次々に幕を閉じ、先進的なバイオミメティクス技術も灰となった。生き残った人々の身体は、夢から覚めるように、たちまちに退化した。元の人間の身体に、戻ったのだ。
それから、夜は焚火で暖を取り、土を耕して食べ物を作る原始的な生活が始まった。
私は四世代目。
歴史や言語などの情報は、四世代前から連綿と受け継がれている。戦争中に世界中の地下壕に隠されてきた、あらゆる分野の書物や植物の種子、医療品や保存食などのおかげで、私たちは人間であることを忘れずにいられた。
ゴールもスタートも無い大平原で、勝手に定めた進化のゴール手前にいると勘違いしてしまった生物。目が覚めて戸惑い、おろおろと荒野を彷徨っている。
人類史に夢中になっている時、私はヒトがそんな存在に思える。愚かで切ない。そんな生物に。
ピーヒョロッロロッロ
鋭い鳴き声のする方をよく見れば、トンビが一羽、旋回していた。巣に帰るのだろう。私も、帰ろう。砂浜に置いたままの本を持ち上げ、しっかり抱える。
「ねぇ、空を飛ぶって、どんな感じ?」
トンビを仰ぎながら、小さく呟いた。
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