見出し画像

雪頭ヶ岳 〜空と雲と、時々、富士山〜

6月の梅雨入り前、そして緊急事態宣言解除後のタイミングである某日曜日、私は満を持して、山を登りに車を走らせた。正確には寝ぼけ眼の夫を6時に叩き起こして運転させたので、車を走らせたのは私ではなく夫だった。向かったのは富士山が見える山梨県は富士河口湖町。

西湖を跨いで富士山と対峙するその山は、雪頭ヶ岳と言う。標高は1,720メートル。それほど高くはないが、登り高低差は823メートルもあり、はっきり言って初心者には優しくない。スカイツリーよりも高いと言えばわかりやすいかもしれない。

実は富士山にはまだ登ったことがない。でも、富士山を見るのは好きだ。静岡県富士市出身の義母の前では絶対言えないが、私は特に山梨県側から富士山を眺めるのが好きなのだ。宝永山がちょうど隠れることもあり、左右対称の見事な台形を描くあの富士山が好きなのだ。勇ましくて、堂々としていて、何処と無く男性的なあのフォルムに惹かれるのだ。

画像1

5月も半ばを過ぎた頃から、なんとなく私は弱っていた。風邪でも花粉症でもないのに、鼻水が止まらなかったり、よく分からない蕁麻疹が出てきたりしていた。夫も私も仕事は順調で、義父母も含め家族も全員概ね元気だった。人間関係でもトラブルらしきものは見当たらなかった。だから、そんなことを言うのは、もっとしんどい思いをしている人たちに対して、申し訳ないような気がしていた。でも、確かに私は弱っていた。見通しのつかない日々と、制限される窮屈さがなんとなくの弱りにトッピングされて、さらに私を滅入らせた。

とにかく富士山を見たかった。そして、黙々と山を登り、頭の中を歩くことだけでいっぱいにしたかった。私がそう思い始めた日に、まず小学二年生の息子が学校から帰ってバナナを頬張りながら「お母さん、僕、山登り行きたい。」と言い出した。翌朝、幼稚園へ送る自転車の後ろの座席で「ママ、私も山連れてって。」と娘が言った。その晩、夜ご飯だよと夫の部屋のドアを開けると、暗い部屋で椅子にずり落ちそうになりながら座っている夫がいた。パソコンの液晶画面だけが不気味に光っていた。どろんとした目でそれを見つめながら、こちらを見ずに「そろそろ、山いこうか。」と彼は呟いた。言い終わると、パタンという音とともにMacBookが閉じられた。どうやら、弱っていたのは私だけではなかったらしい。

渋滞に巻き込まれたり、ご飯調達やトイレのためにコンビニに寄ったりして、登山口の駐車場に到着したのは10時半を過ぎていた。山に登ること自体が久しぶりだったため、起床から出発するまでの手際も良くなかった。登山行動を開始するには(しかも子連れ)不安が残る時間帯だった。

西湖にはキャンプ場と憩いの里という飲食店や土産物店がいくつか立ち並び、そこの親切そうな店主に登山口を確認した。勧められて、生で食べられるとうもろこしの試食をさせてもらう。本当を言うと気が進まなかったのだけれど、人の良さそうな眼鏡の奥の眼差しは、私に「食べろ」と言っていた。その圧に耐えきれず頂いたかけらを口に含むと、果実のような甘みが口に広がる。「ここは4時までなら開いているので、下山したらまた立ち寄ってください。」と彼は笑顔で言った。今日のミッション。4時までに下山してとうもろこしを買うこと。

画像2

画像3

画像4

画像5

山中に入ると、まずは植林されたらしい道が続き、そこからブナなどの原生林や樹林帯がひたすら続く。手持ちのスマートフォンにダウンロードしていた地図を見て、何度も何度も現在地を確認してしまう。「携帯を見るのをやめなさい。」と頂上まであと3分の1に差し掛かった頃、夫が痺れを切らしたように私をたしなめた。頻繁にスマホを見るなんて、下界と変わらない愚行だ。それでも見てしまうのは、全くと言っていいほど人とすれ違わないことによる道迷いの不安からだった。ケチらず、紙の地図を買うべきだったと後悔した。

原生林を少し抜けたあたり、眼下に西湖が見えてくるようになると、少し富士山が見えてきた…と思ったら、示し合わせたように靄がかかり始めた。時刻は1時を少し回ったところだった。

画像6

岩壁をよじ登り、2時間以上歩き通してようやく頂上に到着した1時半頃、富士山にはすっかり靄がかかり、殆ど何も見えなくなっていた。

ちなみに本当はこうなるはずだった。
(入門山 トレッキングサポートBOOK2021より引用)

画像7

雨に降られないことと、4時下山に間に合うために、食事もそこそこにして私たちはあっさりと下山することにした。残念ながら、頂上から富士山は見えなかったけれど、歩くことで頭の中をいっぱいにはできていたから、全員、それなりに満足だった。あとは無事に下山して、とうもろこしを買うだけだ。

急な坂と久しぶりの登山で、下山中に二人の子供達は何度も何度も転んだ。その度に少しべそをかいたり、汚れた手のひらを払ったりしながら、何度も何度も立ち上がって歩き続けた。怪我をしない・させないことだけを最優先に、大人がそれぞれの子どもの先に立って道を確保した。どんな見苦しい格好でも、泥まみれになっても、私たち4人はなりふり構わず先へ進んだ。

夫と長男が駐車場に到着したのは4時15分前。人の良い店主とそのお母様らしき初老の女性が、私たちの帰りを今か今かと待ってくれていた。

「心配したんだよ、子どもが11時前に雪頭に入って行ったって聞いたもんだから。良かったよ、無事で。」まず初老の女性が口を開いた。私たちを確認した後、息子らしい店主に「安心したから先帰るわね」と伝えて去って行った。ゆっくりしていってね、と私たちに笑顔を向けながら。

ご心配をおかけしてすみません、と頭を下げつつ、店頭の棚を見ると、朝に山積みになっていたとうもろこしが1本も残っていなかった。ごめんね、今日に限ってあれから結構人がきてね、全部売れちゃったんだよ、と店主は申し訳なさそうに笑った。仕方なく残っていた焼きとうもろこしを1本買い、夫と2人で分け合って食べることにした。子供にはソフトクリームを買った。

店主が私たちに気遣ってくれたのか、残っているおまんじゅうや焼きとうもろこしをいくつも持たせてくれた。私たちが固辞しても、持って帰っても捨てちゃうだけだから、また来てくださいと言われると、受け取らないわけにはいかなかった。きつい山だったからすぐに行く気にはならないけれど、また必ず来ようと思った。

画像8

駐車場から空を仰ぐと、私たちをせせら笑うかのごとく、富士山がぽっかりと顔を出していた。なんだよこんちくしょうと呟くと、でも来て良かったじゃないと、横で空を仰いでいた夫が言った。夫はこういうところがおおらかで、人柄の良い人だ。また来いってことかね、と私も富士山を見上げて言った。

今回、靄がかかって見れなかった原因は、おそらく午後に山頂についたからだと思うのだけれど、もう少し詳しく知りたかったので、「山の観天望気」(ヤマケイ新書出版・猪熊隆之、海保芽生著)という本を買って調べてみた。

夏になると、平地では日差しが照りつけているのに、山の上には雲がかかることが多くなります。(中略)
山では「山谷風」という風が吹くからです。この風は、晴れた日に発生するもので、夜間から朝にかけては「山風」という風が山から里へと吹き下ろし、日中は「谷風」と呼ばれる風が里から山へと吹き上がります。(中略)
谷風による上昇気流で雲ができることがあります。特に、夏は晴れていても水蒸気が多いので、谷風が吹くとすぐにわた雲が発生し、山では霧に覆われることが多くなります。
(「山の観天望気」(ヤマケイ新書出版・猪熊隆之、海保芽生著)P26より引用・抜粋)

そういえば、3年前に燕岳へ行った時も、夕方に山荘に到着した時霧や靄のある雲がたくさんできていた。

画像9

今年はコロナ禍の中で、思うように登山ができないかもしれないけれど、もし行ける時はやはり早出を心掛けようと思ったのでした。

#最近の学び  

この記事が参加している募集

#最近の学び

182,202件

#旅のフォトアルバム

39,448件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?