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nasudake 百名山に登って来たよ〜栃木編〜

日本百名山に「那須岳」という山が存在する。しかし正確にいうと「那須岳」という山はどこにも存在しない。少なくとも地図の上においては。

日本を代表する登山家である深田久弥は、著書『日本百名山』の中で「那須岳とは那須五岳の中枢を為す茶臼岳、朝日岳および三本槍岳のこと」と記している。百名山にはたまに、このようなまどろっこしい山が登場する。詳細は割愛するけれど、赤城山や立山などもそう思う。那須岳の地図を買ったものの「那須岳はどこか」について、夫と議論した私の時間を返して欲しい。ちなみに深田久弥氏は(ふかだ・きゅうや)と読むらしい。こちらもなかなか紛らわしい。

去る7月16日、2021年の関東地方の梅雨は唐突に終わりを告げた。照りつける日差しは景色を一気に白で埋め尽くし、日陰とのコントラストが著しい。真っ青にベタ塗りしたような空に、入道雲の塊が上へ上へと伸びていた。どこからか蝉の鳴く声が聞こえた。それはまるで夏の始まりの合図のような新鮮さを帯びていた。職場の帰り道、私のママチャリを漕ぐペースは軽やかだった。梅雨が明けた、梅雨が明けたのだ。

私たちは17日の朝から那須岳に登る計画を立てていた。正確には、朝日岳と茶臼岳を登り、茶臼岳の周りをぐるりと一周して帰る、という計画だった。三本槍岳は登山口から遠く、子連れでは厳しそうなので、朝日岳、茶臼岳という二つの峰に到達することで百名山に登ったということにさせて頂いた。また、予約はしたものの、梅雨が明けるかどうかコロナの感染状況がどうなるか等々先行不透明だったので、いつでもキャンセルできる手筈は整えていた。

居住地は東京都ではなく、夫は完全リモート、私は市内にある小さな事務所でたった4人で働いている(コロナ禍になってから対面での業務はほぼ消滅した)、今回の宿泊地もペンションでほとんど誰にも会わない、などいくつもプラスになりそうな理由を挙げては自分達を納得させつつ、一方で一抹の罪悪感も擡げつつ、那須へ向かった。

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今回のルートは、朝7時前に那須岳登山口から避難小屋を経由して、まず朝日岳を目指す。朝日岳をすぐに下山して避難小屋まで戻り、茶臼岳に向かう。茶臼岳を下山して今度は茶臼岳を回り込むようにして避難小屋まで向かい、那須岳登山口へ戻る。午後2時下山予定のルートであるが、子どももいるので、3時下山に想定して登山届けをオンラインで提出してある。

朝5時に起床し、身支度を済ませ、6時半に那須岳登山口へ。途中のロープウェー付近のパーキングで後ろを振り返ると雲海が見えた。雲海は、前日の気象条件(湿度、雨が降って地面に染み込む等)✖️当日の気象条件(晴れ、温度等)✖️早起き、が整って初めて見られる稀有な現象である。どれが0でも見られない。特に、早起きというところが今まで大きな課題だっただけに、家族四人は初めて見る雲の海に感動しきりだった。

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雲海を撮影している間に4、5台の車が通り過ぎていき、焦った私たちは慌てて登山口へ向かう。残りは10台前後と早朝ながらなかなかの混雑ぶりの駐車場だった。多くは単独行かカップルの方が多いように見受けられた。但し、年齢は見たところ50代以上が多い。渋谷よりも巣鴨に近い年齢層だと思われる。

歩行開始20分経過後、幼稚園児の娘は「帰りたい。お風呂入りたい。」と早くも挫けていた。幼稚園児というより、終業間際のOLのようでもある。後ろには引き続き雲海が見えていたので、気を紛らわせるように「娘ちゃん、雲海だよ!」と大袈裟に言ってみたが「ふぅん、それで?」という絶頂期のエリカ様並みの淡白な回答が返って来た。私はこれ以上雲海で娘のご機嫌を取ることは難しいと悟った。5歳の娘にとっては、先ほどから見慣れてしまった雲海より、凍らせてあるゼリーを食べることの方がずっと楽しみが大きい。いつもでは絶対に食べさせないような頻度で、娘の口にゼリーや飴やらを放り込みながら、必死で朝日岳の山頂を目指した。

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朝日岳は少し登山客で賑わっていたが、私たちの登った9時頃は、鎖場も空いていて非常に登りやすかった。写真で見るとなかなか険しい場所に見えるけれど、足場はしっかりしているので恐怖感は少ない。登山を始めてそろそろ丸4年になる二人の子どもも慎重に、ただし取り乱したりはせず丁寧に登ってくれたのでありがたい。初心者向けの鎖場だが、標高のせいか、怖くて動けなくなっている人も見かけた。

登っている最中、いつの間にかトンボが飛んでいるなと思っていたら、朝日岳の頂上には夥しい数のトンボが舞っていた。「もう、こんな所にトンボの卵たくさんおいたの誰だよ!」と娘は何故か怒っていた。割と怒りっぽい性格なのだ。トンボの卵を産むのはトンボしかいないんじゃないかな、と娘を優しく諭しながら、私も指に止まったトンボを見つめた。どうやらトンボは夏の間は高地に移動する習性らしい。秋になると平地に戻ってくるとのこと。どうしてそのような無意味な行動をするのか、今だにわかっていないそうだ。(帰宅後、理科教師の義父から聞いた。)

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朝日岳を後にし、避難小屋を経由して茶臼岳に向かった。朝日岳は既に登りが渋滞していたので、早く出発して本当に良かったと思った。茶臼岳の登山道はガラガラに空いていた。刺すような日差しが体力をじりじりと奪っていく。

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息も絶え絶え到着した茶臼岳の頂上は、まるで石の墓場のようにゴツゴツした岩が一面に広がっている。朝日岳のような鋭鋒の山ではないので、ちょうどいい石に腰掛けて、昼食を摂っている登山者があちこちに散らばっていた。私たちもお気に入りのカップラーメンやゼリーや思い思いの好きな物を食べて平常心を取り戻した。車の中に置いてきてしまったせいで、日焼け止めを塗り直しできなかったこと以外は、物事は概ね順調に進んでいた。

茶臼岳からロープウェイ山頂駅まで向かう。本当は分岐で牛の首方面に折れるはずだったが、トイレ休憩と残りの水分量(1リットル弱)に不安があったので、立ち寄ることにした。約15分滞在したのち、私は夫に申し出た。

「娘も息子も疲れてそうだし、このままロープウェイで降りて、登山口駐車場まで行こうか。」時刻は午後1時半を回り、行動開始から既に6時間以上が過ぎていた。娘も息子も、もっと大変な山行を経験しているが、熱中症のリスクは捨てきれない。万一のために登山保険に加入しているが、コロナ禍でもあり、救助を呼ぶような事態は絶対に避けたい。けれど私の思いとは裏腹に、夫は鼻歌交じりで、飲みかけのコカ・コーラを飲み干して言った。
「大丈夫だよ。後1時間くらいでしょ。行けるよ。折角だし、無間地獄を見に行こう。」


夫はここ数年で筋トレに開眼し筋肉質になってから、発言もややポジティブさを増してきていた。だからこの回答は予想できたが、私の心はやや挫けた。娘はすっかりランナーズハイならぬクライマーズハイの状態で、しかも山頂駅でアイスクリームを食べられたので機嫌は悪くなかったが、黙々と物事をこなす小学2年生の息子の目が、じっとりと恨めしそうに私を睨んでいるのがわかった。私はため息をつきながらも了解した。ちなみに茶臼岳は活火山で、噴火口から火山ガスが噴出しているらしい。それを見られるのが「無間地獄」という場所である。

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牛の首から無間地獄までの距離は長い。私は息子と娘の相手に疲れ、先頭をひたすら歩いていた。無間地獄に到着したのは2時45分頃。周りには誰も人がいなかった。真夏に、樹林帯の少ない直射日光が照りつけるこの山に、こんな時間まで登っているうつけ者はいないのだ。火山ガスに興奮しているのは夫だけで、私たちは皆、虚ろな目でひたすら歩いていた。砂漠を歩く三蔵法師もこんな気持ちだったのかしらと、私の脳も暑さと日差しでだいぶ錯綜してきていた。

やっと避難小屋に到着したときには既に3時15分を回っていた。私はあと30分も歩けば帰れると少し気持ちにゆとりが出てきた。息子は「お母さん、今何時?」と聞いてきたので、「ん?3時過ぎだよ。」と答えると、息子は泣き崩れた。

「お母さん、3時に下山って言ってたじゃん。もう僕、今頃、下山してるはずだったのに!嘘つき!」と怒り出した。ごめんごめん、お母さんの読みが甘かったね、長いから疲れたよねー。ほら、ロープウェーの山頂駅でアイス食べちゃったりしたし、トイレ行って休憩したじゃん?でも、煙もくもくしているのも見られたし、楽しかったよね。

何のフォローにもならない私の独り言は宙に浮いたまま、息子は顔をあげたかと思うとキッと私の顔を睨みつけ、「もう僕、あと1分で帰る!」と大爆走して行った。緩やかな下り坂なので転ばないか心配だったが、「おっすごいな!お父さんも一緒に行くぞ!」とまだまだ元気そうな夫と駆け出して行ったので放っておくことにした。

娘とえっちらおっちら、マイペースで下ること30分。4時10分前に登山口に無事に到着した。8時間近く放って置かれた車は、暑くてすぐには中に入れなかった。日陰で水を飲んだり、子どもの着替えを手伝ったりしながら、ゆっくりと太陽が傾いて行くのを感じていた。今日も無事に下山できたことに感謝しながら、山を見上げる。「無事に帰ってこれました、ありがとうございました。」

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