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安全で何かできる場所

※闘病の話なのでちょっとしんどい話です

 病気で大変な時に、随分、ゲームばかりしている時期がありました。
 体にもよくない。でも、やめられない。
 全身が痛くて、脳みそも興奮状態。それなのにゲームをやっている。自分でも情けなくなりました。
 痛みや苦痛をほかに逸らすという意味もあるのですが、何もできない状態で耐えるというのは、なかなか難しいのです。

 できることをやっていると、少しまぎれる。
 ただ、楽しくはないのです。そこが、悲しい所です。楽しかったら、いくらでもやっていいと思うのだけど、楽しくないのに、やめられない。



 そのゲームで、ルールを理解できて繰り返していけば、クリアできたり、何かが手に入ったりする。
 ゲームの中では、死んだりもするのですが、生き返ったり、やり直したりできるので、安全なんですよね。適度にスリルがあるが健全なストーリーがある。
 ルールを壊すような不条理な事は起きない。
 突発的に感染症や戦争が起きたりはしません。ある種、正常で自分の役割があり、何かができる世界なんです。
 ただ、ゲームが上手になること以外は、何も具体的に得られる事はない。あきらかに依存的になっているので、課金だけはしないようにしました。時間ばかりか、金銭まで失ったら、本当に生きていけません。

 災害地域での子どものゲーム依存が深刻だという話を聞きましたが、ゲームの中の世界の方が、正常で遣り甲斐を感じられる世界なのかもしれません。

 リハビリが進んで、できることが増えてきて、そのほかにも、自分でも必死に、自分でできそうな趣味やできることを探していったら、強迫的にゲームをやる時間は減っていきました。

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