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植物に聞いてみた ~ イチョウ ~

難病になり人生がボロボロになっていた「私」。あるきっかけで、なぜか植物と話せるようになる。彼は、個性豊かな植物に、その生き様を教えられて、それをヒントにしながら絶望していた彼は少しずつ、変わっていく。


語り: 私はチョウセンアサガオに聞いた神社に来た。そこには、大きなイチョウの木があった。まだ、3月では、葉もなく、剪定され、枝は丸坊主の状態だった。辺りには、私以外、誰もいなかった。

好都合だ。私は、イチョウに話しかけた。

 

私: こんにちは。イチョウさん。植物に取材する番組をやっております、ねこつうといいます。よろしくお願いいたします。

 

イチョウ: ほう。何の用じゃ。

 

私: 今日は、いろいろとお聞きしたいことがありまして。

 

イチョウ: 何を聞きたいというのじゃ。

 

 

私: チョウセンアサガオさんにお話を伺った時に、随分、振り込め詐欺にお詳しいご様子だったので、それが不思議でした。それと、友人からも、こんな質問がありまして。

 

イチョウ: ほう。どんな事じゃろうか。

 

私: 友人は、熊本城のイチョウの事について、質問してきたのです。

 

イチョウ: 熊本城……

 

私: はい。加藤清正公が自ら植えたと伝わるイチョウが、なぜ、雄の木なのか、と、友人が言うのです。

私は知らなかったのですが、イチョウは雄の木と雌の木があるんだそうですね。

「籠城戦になった時の備えとして植えられたという伝説があるのですが、そうならば、実が取れる雌の木を植えるはずだ。なぜ、それなのに、雄の木なんだろうか」と言うのです。

 

イチョウ: はて。わからんのう。加藤清正や熊本城のイチョウとは、わしは面識が無いのでな。

 

私: 雄の木、雌の木って、どうやって見分けるのか、その辺も、わからないんです。葉の形で見分けられるとか書いてある文献もあるけど、全然、見分けがつかなくて。

 

イチョウ: 30年くらい経って、実がなるのが、雌の木じゃ。それなら、確実だ。

 

私: それは人間の時間感覚では、ちょっと厳しいです……

 

イチョウ: それ以外に、簡単に見分ける方法はないのう。

 

私: 雄の木、雌の木を選んで植える事はできないということですか?

 

イチョウ: 工夫している人間はおる。

 

私: 工夫?

 

イチョウ: 数十年経って、実が成り始めた木、実が成らなかった木を見分けて、その枝を使って、接ぎ木(つぎき)をするのじゃ。

 

私: 接ぎ木? 

 

イチョウ :相性のいい樹木同士に切れ目を入れて、くっつけるのじゃ。根のついた、台になる短く切った木。これを台木(だいぎ)というが、台木と増やしたい樹木の枝、これを穂木(ほぎ)という。それを組み合わせて、固定すると、うまくいけば、くっついて成長しだす。成長した枝は、そのままの性質だから雌の木なら雌のままだ。

 

 :そういうことなんですね。雌の木だって確認できた木の枝を、接ぎ木で増やすんですか。そうか、上に伸びる枝の性質だけ確認できれば、下の木は、雄でも雌でもいいのか……

イチョウ: 果実がなる樹木は、年月を経ないと実らないものがある。成長した果樹の枝を穂木にすると、早く実る苗木を作ることができる場合もある。丈夫な品種の台木に接ぎ木をして、病害虫に強い苗にすることもある。

 

私: そんなにいろんな用途が……

 

イチョウ: 古代ギリシャでもやられとったそうだし、日本でも平安時代から技術はあったそうじゃ。

 

私: 接ぎ木って、そんな昔から……そうすると、ギンナンの実を売る農家は、接ぎ木で、雌の木をたくさん作るのかな。

 

イチョウ: そうじゃな。街路樹は、あの臭い実の始末がたまらんので、雄の木を植える事が多いらしいな。

 

私: ありがとうございます。それで、話が繋がりました。臭くて管理が大変だから、清正公は、雄の木を……あれ、でも、それじゃあ、雄の木は実用的な用途は無いのかな……

 

イチョウ: 材木目的だろうか。わしらイチョウの木材は均質で、時間が経っても狂いが少ない。しかし、成長が遅いので、大量生産には向かんし、生木をすぐに使えるとも思えん。

 

私: 結局、清正公のイチョウは、何だったのでしょうか。

 

イチョウ: 熊本城のイチョウは、西南戦争の時、焼けてしまったと聞いた。

枯れるのではないかと思われたが、復活したそうじゃな。接ぎ木した穂木が雌の木で、台木が雄の木だったのかもしれぬ。上の雌の木が焼けて、生き残った雄の木から芽生えたものだけが残ったかのう。

 

私: なるほど。

 

イチョウ: 真偽のほどはわからぬが、そんな事を考えても、腹の足しにもなるまい。人間は、余計な事を考えるのう。

 

私: 人間は余計なことに頭を使う……チョウセンアサガオさんにも、言われました。

もう一つ伺いたいのです。チョウセンアサガオさんに、振り込め詐欺師の修行の事を聞きました。チョウセンアサガオさんは、イチョウさんが教えてくれたと、言っていました。

「こんな方法で、幸せになれるとは思えない。これだけの才覚と努力ができるなら、別の生き方でもやっていけそうだ。なぜ人間は、こんなふうに頭の良さを使うのだ。人間は実は馬鹿なのか? そういう生き方は、軽蔑する」と言われました。

 

イチョウ: はっはっはっは。

 

私: 何がおかしいのです……

 

イチョウ: チョウセンアサガオは、相変わらず生真面目だと思ったのじゃ……恵まれている者には、わかるまいが。

 

私: え?

 

イチョウ: その詐欺師の話は、たいそう重い話じゃが……本当に聞きたいか?

 

私: 重い話?

 

イチョウ: そうじゃ。聞くなら覚悟して聞いてほしい。

 

私: …………わかりました。

 

イチョウ: わしらは、寒さ、暑さ、病気。それらに強く、少々乱暴に剪定されても耐えられる。移植も比較的容易だ。管理しやすいというわけだ。樹木の中では葉も枝も幹も、水分が多く、燃えにくい性質を持っている。それで、火災の燃え移りをある程度防ぐ。だから、寺や神社などに植えられた。わしも、そういう理由で、この神社に植えられた。

 

私: はい。

 

イチョウ: ここは神社の境内だ。人々が、いろいろな願いや思いを抱えながら、参拝する。中には、命が危ないくらいに心が弱っている人間も来る。その若い男が来たのは、2012年のある夕暮れのことだった。長年、人々を見ていると、その人間の持っている心の色や力の程度がわかるようになった。

 

私: 2012年……

 

イチョウ: このままでは、この男は、命を絶つ恐れがあると思った。だから、その男に話しかけた。その男の抱えている悩みを聞いた。

最初は、ついに自分は狂ったのかと戸惑っておったな。

 

私: その男は、何に悩んでいたのですか? 

 

イチョウ: 裏稼業の言葉なのじゃが「道具屋」というのを知っているか?

 

私: 道具屋?

 

イチョウ: 裏稼業の「道具屋」とは、犯罪の道具を用意する輩のことじゃ。

 

私: 犯罪の道具屋……

 

イチョウ: その男は、広域で振り込み詐欺をする一味に関わっていた。

その男から振り込め詐欺師の厳しい修行の話は、聞いたのだ。

全部の犯罪集団が、そこまで徹底しているかどうかは知らん。ともかく、その男の関係していた一味はそうだったらしい。

何かをやるためには、道具も必要だ。

振り込め詐欺に必要なのは、身元を辿れない電話やカモの名簿だ。男は、そういう道具を用意しては、いろんな一味に流していたそうだ。

その男は、被災地の金融詐欺にも関係していた。

 

私: 被災地の金融詐欺?

 

イチョウ: 被災者に、「こういう被災支援の手続きを代行しますよ」と嘘をついて手数料をだまし取った。

あるいは「あなたの親戚の者が私に借金をしていて、心苦しいが返済をしてもらいたい」と偽の借用書を出すそうだ。そういうとき、東北の人たちは「それは、本当にご迷惑をかけた」と言って被災しているのにもかかわらず、なけなしの財産を出そうとする。痛ましいほど善良な人たちが大勢いたそうだ。


私: 酷い……

 

イチョウ: 男は、遠隔地で詐欺の支援をしていたが、もっと違う詐欺のネタを探せないかと、実際に被災地を訪れ、愕然としたそうだ。

瓦礫の山。大きな看板やタンクが、戦争のあとにように転がっていた。

根こそぎ跡形もない地域や残っていた家屋も床が腐り住めない地域。津波に流されたあとの放置されている車。
被害範囲が広過ぎる上に道も破壊されていて、警察、消防、医者も辿りつけず、遺体を安置するのすらままならない。遺体を安置し、身元の確認ができても、僧侶も被災していて、経すら挙げられない。

 

私: イチョウさん、聞いていて辛いです。

 

イチョウ: だから、言ったろう。やめるか?

 

私: いえ……最後まで聞きます。

 

イチョウ: 被災地に出かけていっても、何も感じない詐欺師たちも、たくさんいた。しかし、その男は、人間らしい心が残っていたらしい。

 

私: 彼らは、なんで、そこまでして酷い事をするんでしょう? 
悪い事をするのは独特な魅力があります。そういうことに、ギャンブルにはまるようにやめられなくなったというようなことだと、私は思っていましたが、何だか、そういうものを通り越している感じがします。
チョウセンアサガオさんではないですが、そんなに努力と知恵を積み重ねたら、ほかの生き方ができそうな気がします。

 

イチョウ: お前たちの昔の流行り歌で、こんな歌があるそうだな。弱い者が……さらに弱い者を叩く……

 

私: その歌……

 

 

イチョウ: お前は、食べ物が無くて困ったことはあるか?

 

私: あります。

 

イチョウ: 子どもの時、何日も親が帰って来なくて、食べ物が無く、近くの店のゴミ捨て場を漁った事はあるか?

 

私: そこまでは……ありません。

 

イチョウ: その男が言うには、テレビもなく漫画も買えなかったから、同じ年代の子どもと、話題が合わず、友だちを作れなかったと言っていた。

風呂に入れるはずもないから「なんとか君はお便所のにおいがする」と同じ年頃の子どもに言われて、心を焼かれたとも言っていた。

その男の子ども時代は、そんなふうだったそうだ。そういう育ち方をした者が、何を信じて生きられる? 信じられるものは金しかなかった。何でもやったそうだ。『普通に暮らしている人間が、とても憎かった』そうだ。

「耄碌(もうろく)しているのに、金を貯め込んでる老いぼれの金を、俺が有効に使ってやる」。そういう気持ちで、振り込め詐欺にも関わるようになった。頭も良かったのだろう。犯罪組織の下働きから、独立して道具屋にまでなれた。自分の意志で自立して、何かができるようになったのだ。

自分が被害を与えた相手が自殺しようが、一家離散しようが、まったく気にならなかったそうだが、破壊しつくされた被災地を見て、言葉を失った。
自分を見捨てた親や社会よりも、もっと自分は酷い事をやっていると思ったそうだ。

 

私: イチョウさん……その男にどんなアドバイスをしたのですか。

 

イチョウ: 何も…… 心が傷ついている者に対しては、話を聞いてやることしかできない。

 

私: それで、その男はどうなったのですか?

 

イチョウ: わからぬ。

 

私: 今は、困っている人のために尽くしているとか、そういう話にはならないんですか……?

 

イチョウ: 生憎(あいにく)とな。生き方が変わるというのは、死んで生まれ変わるようなものだ。三文芝居のようには、行くまいよ。

 

私: ……イチョウさん、災害の話が出ましたが、思い出した事があります。

私は、愚かな事に、東日本大震災の時、被災した人たちのことを、どこか他人事のように感じていました。

自分が酷い病気になって、仕事も生活も、厳しい状況になって、初めて、平和を失った人の痛みがわかるようになった。どれだけ、酷い事か、想像がつくようになった……それでも、私には家がある。それに対して、故郷を丸ごと失った人たちもいる。

2016年にさっき言った熊本で、震災がありました。数百年、びくともしなかった、熊本城の石垣が崩れるほどで、各地に酷い被害が出ました。私には、熊本に数少ない友人がいたのです、何かしてやりたかった。金や体力や時間があれば、何かできる。

でも、金もない、病気で体力もない。寄付もできない。ボランティアで何かするどころか、ラジオで、被害状況を聞くことすら、辛過ぎてできなかった。自分が、情けなかったです。生活維持で精いっぱいの自分ができることなんか、何も無いのかもしれない。でも、もどかしいです。


イチョウ: お前は、そんなに焦らず、弱っている自分を虐めず(いじめず)労わり、病気を治す事の方が、先のような気がするが……
随分と、金も物も時間も、困窮している者たちのために使っている人間も、少なからずいると思う。
しかし……人間に対して思う事が無いこともない。 

 

私: 思う事?

 

イチョウ: 吉浜の津波石は知っているか?

 

私: 知りません。

 

イチョウ: 岩手県大船渡市の吉浜にある大石だ。1933年の大津波の時に打ち上げられ、津波記念碑とされていたのだが、1970年代の道路工事の時、邪魔なので、埋められてしまった。

 

私: それは……

 

イチョウ: 吉浜で散歩をしていた老人たちが「津波石なんてものがあったなあ」「そうだったなあ」「もう一度津波が来たら、出てくるかなあ」などと話していたそうだ。2011年3月11日の朝だったそうだ。

 

私: ……その直後に……

 

イチョウ: そうだ。津波石を埋めてしまった人間たちは、そうしないための、金も時間も体力も無かったとは、思えんな。

ただ、昔の記録から学ぶ、そういうことができなかった。

 

私: …………

 

イチョウ: 祈り伝え続ける事ができれば、それは、意義があるのではないだろうか。

いつ何が起きたか。賢さと愚かさの間で、人々が何をしたか。それを伝え続ける。そうしたら、今生きている人たちも、何か、行動を変えるかもしれない。次の世代の人々にも、少しでも良い方向に進めるような手がかかりを残せるかもしれない。

しかし、人間は……
先日、戦争が起きたそうだな。
異国の友人のために、祈りに来た者たちがいた。

 

私: はい……

 

 

イチョウ: 一歩間違えば、あの忌まわしい世界大戦に繋がりかねないような状況ではないか。

あの時は、ベタベタする可燃物を撒き散らす爆弾が、雨あられと降ってきた。水では消えぬよう設計された火で、人も建物も焼き払うのだ。
あんなものを考えて使う頭脳の方が、振り込め詐欺師の悪知恵よりも、よっぽどタチが悪い。

これは、自然災害ではない。

人間の意志によって、起こされたものだ。

 いつもは、人間の祈りを聞いているばかりのわしだが、このたびばかりは、人間のために、わしは祈ろう。

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